7. ジーク魔術師説

 

 ――今更ながら、こいつもしかして滅茶苦茶身分の高い人だったのでは。


 その日の夜、ヒルデガント家のソファに凭れ掛かり本を読みふけるジークを見て、リッテは内心でその疑惑が膨らんでいくのを感じた。


 ホープライト卿は元を辿ると第三階級から出世した人なので侮られることもあるが、実際には人を先導するカリスマと政治を司る知恵を兼ね備えた人物だ。その教養と気品から周辺ではどこかやんごとなき名家のご落胤ではないかという噂も絶えない。


 しかもジークの話を信じるなら、ホープライト卿の血筋はかなり古い。『血統共鳴ブルートレゾナンス』は古代より血筋の薄れていない一族でしか起きない現象であり、その時代に共鳴の儀を行っていたのは国興しや戦の中心人物のみ。つまりホープライト卿もそうだが、ジークも実はそのやんごとなき血筋に連なっているかもしれない。

 実際、ヒルデガント家も先祖が仲間だった一族との間で『血統共鳴ブルートレゾナンス』が発生することがある。家柄だけはレヴィナス王家に次ぐほど古いこの家以上に強い共鳴が起きているのなら、代々強いつながりを持ち続けているのだろう。


 それに、彼が高位の立場だと思うと色々と納得できることもある。


 まずジークが記憶を失った理由。やんごとない家では人々の想像を絶する騒ぎや事件が起きるものだ。もしかしたらジークはそれに巻き込まれて記憶を失ったか、或いは禁呪等によって消されてしまったのかもしれない。

 実は記憶を失っているのも嘘で、それらの事情を話すと騒ぎになる事を知っているから敢えて言わない可能性もある。実際、彼は魔術障壁らしきものでリッテの拳を防いだ。高度な知識がなければ扱えない魔術障壁を咄嗟に展開するにはかなりの術の教養と判断力が必要なので、記憶喪失状態で咄嗟に出せるものとは思えない。


 また、ジークは口調も偉そうで、服もなしに極めて堂々と振舞っていた。

 これは彼が根っこから人の上に立つための教育を受けていたのならば当たり前で、服についてもある程度身分が高いと着替えを全て召使いに任せたりするから裸を見られることに抵抗がないのだろう。女の子の胸も揉み放題だ。リッテの勝手な想像が含まれている気がするが。


 その後に両親が騒いだ際も動じず、途中で父が「食事まで面倒を見られない」という話をした際には「施しを行うならば自分たちの懐に余裕が生まれてからにせよ」と自ら突っぱねた。その辺の第三階級や貴族派の第二階級ならば、まず不満や失望を顔に出していたであろうことを考えると、施しを断る高潔さが伺える。

 妙に世間知らずに見えるのも家から外の世俗に関わったことがないからと理由付けをすれば、全て繋がる気がした。


(もっと媚び売ってればよかったかしら? ああでも、ジークそういうの通じなそう。というか最悪ジークって名前そのものが偽名なのかも……)


 本に目を落とすジークの端正な顔が非常に知的に見えた。

 ただし、読んでいる本が幼児向けの絵本でなければだが。


(分かんない奴ね、こいつも……格好いいんだか悪いんだか)


 とりあえず本人が「控えおろう」と言わないのであれば控えずとも問題ないのだろう、と勝手に結論付けたリッテは立ち上がる。


「ここの灯りに使ってる電気もタダじゃないから、時計が9時になったら切るわよ」

「問題ない」


 そう言うと彼は手のひらから片手で握られる程の大きさの火の弾を浮かせ、その灯りの下で本を読み始めた。何をしたのか理解したリッテは思わず息を呑む。すぐに電気のスイッチを消すが、部屋の明るさは電気が灯っていた頃とさほど変わりない。


(ライトの魔法……違う。ライトは周囲を光で包むフィールドを発生させるから、家で使うと別の部屋まで無差別に明るくしちゃう。発火魔法じゃあんな形にならない。これはフレイムシューターを発射前状態で固定してる!? しかも光量まで一瞬で調整を……マジで何なのよコイツ!?)


 フレイムシューターは炎属性の初歩魔法なのだが、この手の攻撃魔法はそもそもエーテルの収束、属性変化、座標固定、発射の四段階で構成されている。ジークはその魔法を三段階目で意図的に止め、しかも力加減を調整しているのだ。

 多くの場合、魔術は戦術器の補助がなければ使役するのが難しい。故に、これは高度な魔術知識を持った人間にしかできない事である。障壁の件といい今のこれといい、もしかしたらジークは高位の魔術師なのかもしれない。


 今更になって、リッテはあの公園での爆発の犯人が彼なのではないかという嫌な予感を覚えるのだった。




 * * *




 一方のジークは、魔術の行使をしているという感覚はなかった。

 そもそも魔術とは魔の存在が使役する力を人間用に解析したものである。人にとっては複雑でも、魔に属する存在にとってはこの程度操れて当前だ。そのことをリッテは知る由もないし、ジークもリッテにどんな印象を与えているかは全く知らない。

 人からすれば非常に高度な魔力運用をしているジークはしかし、本を読みながら内心で唸っていた。


(基礎的な文法は変わっていないが、この時代の本は読み辛いな……所々意味の知れない単語もあって、とてもではないがこの書物ぐらい簡略なものでなければ快読できぬ)


 嘗て母の言いつけで一通り人間の文字を学んだドラゴンだったが、どうやら自分が長らく封印されている間に言葉という文化そのものが成長してしまったらしいことを悟る。


 嘗ての文字に比べて表現の幅が増え、一部は簡略化され、更には字の形が変わっているものもある。おかげでジークは絵本を読みながら、いまや古代のものと化してしまった記憶の中の文字と照らし合わせ、頭の中の情報を更新しなければいけなかった。


 それにしても絵本という形式を考えた人間は賢いな、とジークは思う。

 絵と同時に文字を並べることで情景をより理解しやすくするよう設計された「絵本」という形式は、嘗てジークが知る人の文明にはなかった。紙そのものも嘗てのものと比べると非常に繊維がきめ細やかで、鮮やかな着色までしてある。

 ジークが現代の文字を知るうえで、絵本はある意味最適だった。


 そういえば、とジークは先ほどの出来事を思い出す。ヒルデガント家は何故自分に食事を提供しないなどと言ったのかがジークは不思議だった。


 まず、何の対価もなしに人が人に食物を提供することはない筈だ。それに食物が常に手に入るとは限らない以上、それを見ず知らずの人間に渡すことは、断りを入れるまでもなく人間の価値観からしてあり得ない。それがジークの知る人間というものだ。


 いや、と、そこで家に辿り着くまでの短い道のりを思い出したジークは固定観念を振り払う。建築物といい家具や家の構造といい、あれから文明が発展して食料事情も大きく変わっているのかもしれない。ヒルデガント家の人々も嘗てジークが見た難民よりはだいぶ肉付きがいい。


(そういえば……マイアとクラヴィアだったか? あの二人も何やら話し込んでいるな)


 ジークは部屋の外にいる二人の人間、リッテの両親であるマイアとクラヴィアの会話も鋭敏な耳で捉えていた。

 場所は恐らくリッテがジークの服を取ってきた部屋の前だろう。


『……あなた、まだ気にしているの?』

『気にもするさ。確かにハルトがいた頃まだあの子は小さかったが……まさか、よりにもよってハルトの服を縁もゆかりもない者に与えるなど……!』

『リッテが心まで貧しくなっていない証ですわ。それに、言いたくはありませんが、もうハルトは戻ってこないのです』

『そんなことは、分かって……ッ!!』


 先ほどの時より感情をむき出しにしたマイアの声はしかし、冷たく感じるほど穏やかなクラヴィアの声によって弾かれる。


『いいえ、貴方は分かっていません。だからあの子の部屋を当時のままずっと残しているし、維持するのにお金を払っているのです。でもリッテはここでずっと死蔵するくらいなら、困っている人に服を渡した方がいいと思ったのでしょう』

『お前はいいのか!? ハルトの生きた証がここから消えて行って!!』

『悲しいですわ。時折ふと、またこの部屋でハルトが剣の素振りをしているのではと思う日もあります。しかしわたくしは、これ以上それの所為で今を生きるリッテがしわ寄せを受けることは承服できません。ハルトだってそんなことを望んではいない筈。違いますか?』

『……分かって、いる。だがこの部屋にあの少年を寝かせる訳にはいかない。時が止まったこの部屋を動かすのは、せめて家族の手で……』

『そうまで言うのならもう咎めません。礼を失してはいますが、彼の客人にはあのままリビングで寝てもらいましょう』


 ジークは静かに本を閉じ、自らが身に着けている服に視線を落とす。

 この服の持ち主であるハルトという者はリッテの兄で、しかし既にリッテの方が姉だという。そして生きた証という言葉に、時が止まった部屋という言葉。更に、家族であるはずのハルトの姿が家の中に見えないどころか自分の前で話題にも挙がらなかった事。


(母上がいつか仰っていたな……人とは儚き者であると)


 ジークは現代の人間の文化に詳しくない為、言葉の真意のすべては理解できない。

 しかし、何となくそうではないかという仮説くらいは頭の中で組み上がっていた。

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