6. 不変の真理

 その日の夜、ヒルデガント家は重苦しい雰囲気に包まれていた。


 重い空気を放っているのはリッテの両親――ジークマイアとクラヴィア。元凶となっているのはリッテの隣で眉一つ動かさず黙しているジークだ。


「これはどういうことなんだリッテ。何故我がヒルデガント家の中に招かれざる客人がいて、しかもその客人がハルトの服を着ている?」

「リッテちゃん、説明して頂戴」


 両親の顔は険しい。特に父のジークマイア――親しい者にはマイアと呼ばれている――の眼光は、普通の子どもがぶつけられれば震えあがって声も出せなくなりそうなほどの重圧感だ。普段は厳格な顔を見せることのない父の態度に思わずリッテもたじろぐが、隣のジークに全く動揺が見られないのを見て対抗意識が湧く。

 自分の親なのだ、簡単に負けていられない。


 リッテは自分なりに考え、少しばかり脚色を加えた話をすることにした。


 リッテとジークは公園で偶然出会ったのだが、途中で爆発騒ぎが起きた際にジークはリッテを庇い、頭を打ってしまった、と。事実とは異なるがそう主張することによってジークへの心象を少しでも和らげたかった。


 更にその衝撃でジークは一時的に記憶を失ってしまい、爆発の衝撃で服もぼろぼろになってしまって替えの服が緊急に必要だったと主張した。これもまた事実とは異なるが、最初から全裸だったよりは自然な話の流れだ。


「むぅ……」

「爆発って、あの……」


 爆発に巻き込まれた話に入ると両親は露骨に動揺し、そしてジークが庇ったおかげで怪我はなかったと知るとほっとして椅子に凭れ掛かる。兄のハルトがああなっただけに、二人はリッテの身を過剰に案じているのだ。

 嘘をついたことにリッテの良心がちくりと痛んだが、ジークを明日アモン卿に引き合わせれば気がかりな問題は恙なく解決する。そう信じてリッテは痛みを呑み込んだ。


 同時に話の流れによってジークへの留飲も多少は下がった。ジークにも時折話が振られたが、「記憶があいまいだが、そうらしい」といった旨の回答を繰り返すよう予め指示していた通りに振舞ってくれた。余りにも淡々としていたので疑われないか不安に思ったが、両親は多少の不信感はあれどそこまで強く訝しんではいないようだった。


「確かに公園で爆発騒ぎが起きたのは聞いたが……もしや、また行ったのか」

「べっつにー。私だって何の用もなしに公園に行きたくなることもあるしぃー」

「リッテちゃん、肘の擦り傷が隠れ切れていないわ」

「これは転んで擦りむいただけだしぃー」


 そっぽを向いて口では否定したが、意味はない。

 敏い両親はリッテがいじめられていることも、辛いことがあると公園の隅に行くことも、リッテが両親の前でも虚勢を張ることも知っている。それは分かっているが、それでもリッテのささやかな意地が二人に心配される事を拒否していた。


「で、話はあんまりしてないし記憶もなくなっちゃってるんだけど、どうやらジークは……ホープライト卿とゆかりが深いらしくて、会いに来たらしいの」

「本当か? ホープライト卿は天涯孤独の身。その手の法螺は数知れないぞ」

「ジークも最近まで知らなかったって言ってた」

「……厄介ごとではなかろうな。虚言でなかったとして、隠し子の類ならば後々騒ぎになる。下手をするとホープライト卿の一派に恨みを買うぞ」


 マイアはジークの主張を頭ごなしに否定はしなかったが、真実である方が厄介ごとになると考えたようだ。リッテはそこまで頭が回っておらず、もしかしたら失敗したかもしれないと内心で呻いた。


「問題ない」

「なに?」


 ここで初めて、自主的には喋らなかったジークが口を開いた。


「ホープライトキョウは我が同胞。あちらも既に我に気付き、接触の機会を伺っている筈だ」

「何故そのような事を言い切れる?」

「我が身に連なる血筋が故に。そこは覚えておる」

「むぅ……『共鳴レゾナンス』の事か」


 これはリッテも聞いていなかった話で驚くが、同時に何故ジークがアモン卿を同胞と確信していたのか納得もする。


 『共鳴レゾナンス』とは、特定の血統の間でのみ発生する特殊な相互現象だ。


 嘗て、魔王との戦いの後にレヴィナス王国が神への信仰の在り方や正当性の是非によって分裂した時代、主要な血統の一族は互いに互いを裏切らぬよう魔術的な儀式によって結束を高めた。これは現在では『血統共鳴ブルートレゾナンス』と呼ばれており、共に戦場を駆ける際に以心伝心し、更に絆が深まると相互的な戦闘力の上昇なども齎したと伝えられている。


 しかし、この儀式は子孫の代になると当人が契約の事を知らないのに血のせいで継続されるケースが続出。効果が薄まったり、逆に縁が遠いのに勝手に『共鳴レゾナンス』が発生するなどの弊害を多く生み出した。後に時代の流れの中でこの同意なき血統の繋がりは否定され、その技術も今や禁忌とされている。

 その代わりに現代では道具を媒介にした人工的な魂の『共鳴』が一般的なものとされている。


「『共鳴レゾナンス』の媒体となる共鳴器リングも所持していないようだし、そもそもリングでは『共鳴』発生の範囲が狭い。となると『共鳴』が起きる程に古い血統の繋がりがあるということか……しかし……」

「貴方、ひとまず最後まで話を聞きましょう。判断するのはそれからでも遅くはないわ」

「う、うむ……リッテ、話を続けてくれ」

「えっと。どこまで話したんだっけ……そうそう、ホープライト卿とジークが繋がっているって所だったわね。それで、ジークをホープライト卿に引き合わせる方法を考えたの」


 ひとまず話を戻し、リッテは自分の考えを告げた。


「たしか明日、ホープライト卿主催のパーティの招待状が来てたよね?」

「ああ。しかし貧乏一族のヒルデガント家が招待に応じても恥をかくだけ……おいリッテ、まさか」

「主催者であるホープライト卿はパーティーに案内した人全員と必ず一度は会話をすることを信条としているって話じゃない。そこにジークを親戚だってことにして一緒に連れて行けば……」

「無茶を言うな!」


 マイアが声を荒げて話を中断した。


「唯でさえ第二階級最底辺のヒルデガント家は評判が悪いのだ! それを、身分を偽ってパーティに見知らぬ子を参加させるだと!? 仮にその少年がホープライト卿の縁者だったとして、そのような恥知らずな真似をしたと知れれば……!」

「き、きっとホープライト卿がフォローしてくれるわよ!」

「何をいい加減な――!!」

「いえ、いい案かもしれない」


 マイアに異を唱えたのは、それまで黙していた母のクラヴィアだった。


「ホープライト卿は気遣いの出来る人よ。例え招かれざる客であっても決して相手に恥をかかせるような真似をするお方ではない。それに……仮に狂言であったとして、あの方なら事情を察してくれるでしょう」

「し、しかしクラヴィア……!」

「落ち着いて貴方。今更門前払いにしても、もし彼がそれを周囲に言いふらしたら? 明日を逃して何日も滞在することになったら? それを誰かに見られたら? ホープライト卿の好意に甘えるのが一番リスクの少ない道よ」

「借りを作ってしまうではないか!」

「返せばいいのよ。簡単に返せるわ……革新派に入ると言えば」

「くっ……」


 苦悩に思わず声を漏らすマイアの姿に、ジークがリッテへと小声で疑問を呈した。


(どういうことだ?)

(今、この街は貴族派と革新派の二つに割れてるの。貴方が会おうとしてるホープライト卿は革新派の中心。私たちは今はどっちつかずだから。ママはこれを機に革新派に入ろうと思ってるみたい。パパはちょっと優柔不断だからすぐにウンとは言えないのね)

(……家族で意見が割れるとややこしくなるのはどこも同じか)

(ん、何か言った?)

(いや)


 ――リッテは与り知らぬことだが、ジークはその話を聞き、まだ二人の兄弟と母との四柱でいた頃の事を回顧していた。

 ジーク――ドラゴンは兄弟の中でも最も好戦的だったが、末の弟は消極的で、妹はどちらにも付かずに意見もふらふら。母にもっと仲良くしろと叱られ、結局母が指揮を執ったのは、彼にとってはいい思い出となっている。


 ――ジークが太古の昔に思いを馳せているとは知らないリッテは、久々にヒートアップした両親の論争を頬杖をついて見物していた。とはいえ、この夫婦が論争を始めれば結果はいつも見えている。


「あ、な、た? いい加減に貴族派に震えるのはおよしなさい! 私は知ってるんですからね、一番リッテを虐めているのがどこの誰なのか!」

「し、しかしだな。腐ってもヴ家は最大権力者なのだぞ。敵に回しては……」

「だからいいようにやられるの!? 誰かの尻馬に乗る事より誰を勝たせるのかを考えなさいな!!」


 一方的に叱られて縮こまっていく情けないマイアと止まらないクラヴィア。リッテは、客人の前でなにをやってるんだか、と呟いて頭を抱えた。


(心なしか無表情のジークが飽きれてるように見えるわ……)

(どうやら我々と同じく、人間の母も強い存在らしいな。うむ、また一つ人間を学んだぞ)


 その後、結局マイアはクラヴィアに根負けし、力なく頷くのであった。

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