2. リッテの日常

『――昨日正午、神聖レヴィナス王国で発生した謎の閃光について続報です。レヴィナス議会の発表によると、閃光の確認されたリドル国立自然公園を調査した結果、デリク遺跡の未発掘部分から光が発せられたことが判明しました。この閃光は物理的な熱量を含んでおり、遺跡内部から上空に向けて発射されたものであるという見方が有力です。これによって空からの攻撃という可能性は極めて低くなりましたが――』


 ぶつり、と音を立ててラジオの音声が切れる。


「あり? 回線の具合がおかしくなったかな?」


 ラジオを数度弄り、電源ボタンをカチカチ押し、ツマミを弄り、どうにもならないのでやけくそ気味に斜め四十五度の角度から一発叩いてみる。するとバツン、と嫌な音を立ててラジオが黒く異臭のする煙を吐く。そこに至って、彼女はやってしまった、と冷や汗を噴き出した。


「うわー……軽はずみに叩かないでちゃんとメンテすればよかった。あぁもう、私のばかばか……」


 過ぎた事を論じてもしょうがないと思い、彼女はラジオを工具で分解して中を見る。原因はすぐ分かったが、そもそも全体的に部品が劣化していて作り直した方が早そうだ。実際問題、ショートしたパーツや線の中にはもう手に入らない骨董部品が多い。己のがさつさが招いたヘマである。


「……よーし、こうなれば自力で作ろう!」


 幸い、今日は『退魔記念日』で休みだから用事はない。

 そう思い立ったが吉日か、手荷物を鞄に放り込んで部屋を出る。

 幸いにして、彼女は機械関係については明るい方の人間だった。


 街に暮らす少女、ジークリッテ・ヒルデガントを待っていたのは、いつも通りの町並みだ。


 親しい者からはリッテと呼ばれている彼女は、先ほどラジオで流れた神聖レヴィナス王国の隣に位置する国――ミラベル共和国の国民である。より細かくは、共和国のロイズ州都アルタレイに住んでいる。


 ミラベル共和国は、いわゆる新興国と呼ばれる国らしい。

 他国からは『成り上がりの国』とか『伝統のない国』とか悪い事を言われることもあるが、ジークリッテはこのミラベル共和国が好きな所があり、嫌いな所もある国だと思っている。

 つまり、普通だ。案外他の国もそんな感じなのかもしれない。


「誰かいい国にしてくれないかなぁ。やっぱりアモン様の派閥に入ろっかなぁ」


 ミラベルの有志ことアモン・ホープライト卿は、まだ成熟していないジークリッテでも理解できるほどの大物人物だ。まだ若くしてロイズ州の知事に就任し、民の声を聞いて回って改革を進めるアモン卿は容姿端麗、才色兼備の完璧超人である。


 ミラベルにおいて第二階級の端くれであるヒルデガント家にとって誰の派閥に入るかというのはかなり重要な意味を持つ。アモン卿には政敵も多くおり、彼がこれから州を変えて大物になってゆけるかは未知数だ。気に入っているからで入れるほど単純でもないが、もし後世大物になってゆくなら早いうちに未来の勝ち馬に乗らなければ、唯でさえ財政に余裕のないヒルデガント家は没落してしまうだろう。


 ヒルデガント家はまだミラベルが共和国ではなかった頃に生まれたが、興した初代だけが優秀だった家であった。つまり初代の栄光と財に縋りついてなんとか今まで家を保ってこられた無能一族なのである。共和国化してからも名家の影響力は大きいが、その影響力を辛うじて保っているだけのヒルデガント家は、いわば沈みゆく船。誰かに牽引してもらわねばならない立場だ。


 アモン卿は誠実で優しい人なので、頼れば助けてくれるかもしれない。

 でもそうなるとヒルデガント家の未来はアモン卿の手の上。

 もちろんアモン卿が没落したらヒルデガント家もめでたく第三階級の仲間入りだ。

 第三階級の暮らしも別に貧乏という訳ではないのだが、この国はまだ階級格差の激しかった前国家の膿を出しきれていない。落ちてきた元第二階級など格好の虐め対象であり、馴染ませて貰えないだろう。


 近所で仲良くなった女の子が、私が名家であると知ったとたんに泣きながら嘘つき呼ばわりしてきて、駆けつけてきた彼女の親に「権力者が近寄るなッ!!」と石を投げられたのは今でもリッテのトラウマ的思い出である。名家=虐げられた民の憎しみの対象という構図は、アモン卿も苦心する問題なのだ。


 しかも、第二階級内でも当然の如く差別がある。国のルールが変わっても権威を傘に着る輩は多く、そんな連中にとってもヒルデガント家のような弱小の家は自己顕示欲求のはけ口になる。


「おやぁ、そこにいるのは没落一族のジークくんではありませんか!」


 ほら、こんな感じに……と内心で舌打ちしながら、なんでもないように笑顔で声の主に応対する。


「あら、お久しぶりです! えーと……えーと……まぁ、誰かちょっと思い出せない卿!」

「ふーん……このロムスカヤ・ヴェルリツヴァロヴの名も覚えられない程教養のない人間がロイズ州にいたとは驚きだよ。レヴィナスの落ち武者ジークくん?」


 視線の先にいたのは、それ食事の際に邪魔になりませんかと聞きたくなるほど長い前髪を顔半分に垂らした銀髪のキザな男、ロムスカヤだ。その後ろには簡易武装したガタイのいい護衛が二人、ぴったりと付いている。何かあった際にいつでもこちらを取り押さえられるポジションにいるので威圧感が凄まじく、気の弱い者はこれだけで後ずさってしまうだろう。


「申し訳ございません。名前が覚えにくい上に『元』有名人となると咄嗟には名前がでなくて……」

「で、あるならば。君の家はそのうち消えてなくなるということだ。世情に疎く従うべき存在の名前も覚えられない蒙昧は仮に味方であっても切り捨てる尻尾以外の価値はないからね」


 ちょっとした嫌味も更なる嫌味で塗り潰してくるこのロムスカヤという男は、以前に州選挙でアモン卿が現れるまではずっとロイズ州の知事だったヴェルリツヴァロヴ家という舌を噛みそうな名前の家の跡取りだ。


 言いにくすぎるので略してヴ家と呼ぶが、このヴ家は共和国以前の腐敗権力の象徴でありながら、革命をのらくら躱してちゃっかり共和国の重鎮に戻った相当のタヌキ一族だ。今もこの州都で多くの事業を抱え、金の力で第三階級以下の人々に汚れ仕事や工作をさせてアモン卿の評判を落とそうとしている。


 そのヴ家の権威を妄信するロムスカヤは、特にジークリッテにはしつこく絡んで貶しに来る。


「はぁ……栄あったヒルデガント家も哀れなものよ。嘗てレヴィナスに反旗を翻し戦場を駆けた初代の栄光は見る影もなく、今や家の長女も碌な教育を受けられず沈んでゆく有様。栄光の剣士ジークフレイド殿の無念は如何ほどか」

「格別のご同情賜り誠に恐悦にございます」

「で、あるならば……いい加減に君の父上に意味のない虚勢をやめるよう伝えてくれないか。意地だけが残った名家の虚勢ほど哀れなものはない。正直、醜くて見るに堪えないよ」

「……」


 なんのことなのか、実情などジークリッテは知らない。

 ただ、何が起きているのか想像できないほど子供でもない。

 それら全てを知った上で、護衛の男たちが一歩深く踏み込んでくる重圧の中で、それでもジークリッテは能天気な顔で微笑む。


「ロムスカヤ卿のお話は、碌な教育を受けられないわたくしには難しすぎてご理解が及びませんわ」

「……そうかい」


 ロムスカヤは心底人を見下した顔でそのまま進み、ジークリッテの肩と自分の肩を態とぶつけた。衝撃に喉の奥から悲鳴が漏れ、体格で圧倒的に劣るジークリッテはよろめき、更に続く護衛の男に突き飛ばされる。


「いっ……!」

「ロムスカヤ卿に触れん者は須らく遠ざけよと命令されている。これは護衛としての正当な行為だ」

「……馬鹿な娘だ。察せぬわけでもあるまいに、まさかあの余所者のアモンが本気で州を変えられると思っているのか?」


 突き飛ばされて倒れ伏したジークリッテの鼻先に、護衛の吐きかけた唾がべちゃりと張り付いた。

 護衛の仕事とは建前だ。機嫌の悪いロムスカヤがよくやる、自分の手を汚さない八つ当たりの一種である。突き飛ばされた程度であればまだ軽い方だ。たとえ顔や肘の皮が擦り剝けてじわりと血が滲もうが、これならまだ軽い方なのだ。


 この暴力を衛兵に訴えても、たかが擦り傷と相手にしてはくれまい。そして倒れ伏した彼女を助け起こそうとする人間も周囲にはいない。理由はいくつかあるが、最も大きいのはいまだ大きな権力を持つヴ家の機嫌を損ねてまで木端のヒルデガント家を助ける理由がないからだ。


 吐きかけられた唾が鼻先から垂れて地面に落ちるのを見つめながら、ジークリッテは母に貰ったハンカチを取り出して顔を拭う。母の好意であるハンカチに見知らぬ男の唾が張り付くと思うと視界がじわりと滲み、これも唾のせいだと手で目元を拭った。


 突き飛ばされたときに鞄から零れた買い物リストは、中身が読めないほどぐしゃぐしゃに踏み躙られていた。

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