第3話

幼少期からすでに充分なフィクションに囲まれていたマナブは、そのため退屈しのぎに困ったことのない少年だった。仮にテレビを見続け、脳の処理速度が低下すれば外にでて自転車にのれば気が休まる。



駅前の書店に行けば、ここにも読みきれないほどの漫画がある。自分にはなにか特別な嗅覚があると理解していた。目利きのセンスとでもいうべき、第六感である。自分に備わっていて当然であり、また何かの愛好家にも備わっているだろう、流行を押さえるセンスと価値を見いだす審美眼。

許せないことがあるとすれば、この流行することが価値であるとする、読み手が商業主義化することで、その読みが陳腐になった者たちの存在であろうか。彼には具体的に顔が浮かんでいる。同級生の男子の顔だ。作りの整った童顔の目がぐんにゃりと歪み下卑な笑いでソフトなエロスに喜ぶ、そんな顔だ。志を持てと言ってやりたい気を押さえるのも苦労する。かくも面倒な付き合いで成り立つのが友情だ。


この頃になると漫画のほか映像芸術や文学といった、フィクションといえど、その歴史の深さに圧倒され、その敗北に心地よい劣等感を覚え始めた。書籍をひもとけば、その書籍は別の書籍とネットワークを形成している。書籍だけではなく映像とも繋がっている。フィクションを読みとくとは、この網目を認識することではないかということに気がついた。


「世の中には階級があります。この階級とはその家のもつ資産額からはっきりとわかるものです。君たちが今、頭に詰め込んでいる学問も、この国では比較的に中の上といえなくはないですが、上の階級ではこんなこととっくに学び終えています。君たちの人生は大学でいかに自分達の個性を見いだすか、そのためにはどの大学に入学したいか、その事を考えてこの一年をすごしてほしいと思います」

マナブは学年主任の柳ケ瀬の明け透けな言葉を、図書委員会で聞いた。自分達はまだ小学生だぞ? ぶっちゃけと形容されるような発言に思わず笑ってしまった。現実の人間は、虚構内にいる教諭ほど熱血か冷淡かの極ではない。凡庸なまま生活できれば良しとするのが多いだろう。むしろ教師としての職能に欠けるならば、やる気がある方が困る。


いつものように帰宅すると、休みだった母が、これまたいつものようにシンクの中で書類を燃やしていた。日課のようなものらしい。換気扇もついている、水もある、紙を燃やすにはうってつけだとのことだった。仕事で発生する要らなくなった報告書などを燃やす母が、マナブにとって当たり前であった。

「これ、おたよりです」

「へぇ、桜の写真かぁ」

自分の母親が桜の季節が好きなことは知っていた。大学時代に出会って、子供、つまり自分の子種を放出して、母を残して死んだ男との思い出をたまに語る。

あまり、興味はなかった。むしろ、話を聞かされるたびに、桜桜と鬱陶しいことこの上ない。

とくに、桜のイメージが日本と結び付いていることに腹をたてていた。しかし、全体主義的な花は何も与えてくれない国にお似合いであるとも思っていた。


母には悪いから言わなかったものの、家が裕福でないことは知っていた。仕方がない。マナブは、大卒女性と男性の平均年収の差と、日本経済がいつまで経っても賃金が上昇していないことと、シングルマザーという悪条件を加味して、自分はマシな方だと知っていた。日本の政治は、父と母が揃った「標準」しか救わない。

だから、いつまでも貧乏に違いない。所得は、親から子で、あまり変わらないらしい。身分は固定されるらしい。

親子二人で暮らして、貯金はほとんどできていない。自転車操業のような生活であった。進学など、望めないだろう。

しかし、である。自分にひとつ信念があった。世の中のほとんどは貧乏人である。つまり、自分達こそ数の上では有利なのだ。にも拘らず、現実がそうなっていないのは、資本家たちの愚行により歪まされた結果である。すると、である。信じるべきは、なにか。お金であろうはずがない。無いものを信じるほど愚かになったことは、12年の人生で1度もなかった。おそらく、子宮に居たときから。


つまり、貧乏こそ信じるものである。貧乏神こそ、唯一である。


世界が、自分の生活環境くらいになれば、貧乏になれば、世界は平等だ。飢餓と虐殺と、あとはなんだろう。とにかく誰がいつ死んでも気にならない平等が待っている。世界が貧乏になればいい。もしくは、我が家に金がほしい。このまま、テレビにうつる政治家たちと、その取り巻きが国の政治に居座り続けるなら、自分は一生貧乏だろうなと思った。


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