閉じた箱の中.09

 あちこちから爆発の音が大きく鳴り響いた。音が耳に入ったときには手遅れ。いくつもの建造物が崩壊し、つんざくような悲鳴が上がる。そのうちにサイレンの音がして街中、いや防御壁都市全体に混乱が発生した。


 付近の建物に被害はないが、建物と建物の合間をぬった先は砂塵で光景がよく見えない。どうやらこれはルベルとサブラージがいる北区だけではないようだ。各地の砂埃が舞い、次第に空が曇っていく。天変地異でも起こったのではないかと思うような、神が怒り狂ったのではないかというほどの、唐突な建物の崩壊。それが同時に複数も起こった。


「北区が起爆したのかも!」

「やべえな。急ぐぞ!」


 バイクのスピードを上げる。サブラージはルベルの腹に回していた腕に力を込めた。サブラージが言っていたように、本当に計画を前倒ししたのだろう。恐怖に、困惑に、焦燥に、衝撃に、絶望による支配がはじまった防御壁都市を逃げ惑う人々の間をすり抜けて北区マフィアの本拠地である邸へ一直線に向かう。

 各マフィアの邸の位置はほとんど同じだ。壁に近い森の中に佇んでいる。到着したルベルとサブラージはそれぞれ武器を構えて邸に突入した。玄関の扉をルベルが蹴破ると驚くべきことに、そこにはガンマが待ち構えていたのだ。


「やはりここに来るのはルベルくんとお前か」


 ガンマにお前、と呼ばれてサブラージはぴくりと肩を動かした。視線を落とすサブラージを鼻で笑って、ガンマはルベルを見据える。


「因縁だなァ、ルベルくんよお。ルベルくんが妹と同じ顔をしたクローンと共に俺と対峙するとは」


 笑って、ガンマは両手に拳銃を構えた。拳銃の先にはナイフが装着されている。


「この先には行かせない。ここでルベルくんとの因縁はおさらばだ。さっさと死ね、異分子」


 壊してしまうのではないかというほど拳銃を握る手に力を込めていたルベルは、歯ぎしりをした。ルベルの顔は赤くなり、これでもかというほど目を見開いている。その隻眼にはあからさまな殺意と復讐の念が隠しもせず剥き出しに曝されていた。もう他のことは考えられないほど、一心にガンマへ釘付けになっていた。

 殺してやる、殺してやる、殺してやる。そんなものがルベルの内側を駆け巡っているのだ。


「……ルベル」


――おにいちゃん――。


 はっとした。弾かれたようにルベルはサブラージを見た。なんだか目元がぼやけて、サブラージがユアンと重なって見える。だめだと首を振っても、ガンマを前に正気が欠けたルベルに正しい世界が見えない。


「ガンマは彼氷の腹心だよ。ここでガンマを殺さないとクローン破棄なんてわけわかんないこと止まんない。やろう」


 ――。

 突発的にルベルはガンマへ銃口を向け、撃った。ガンマはすぐにその全弾を回避してしまう。サブラージは一旦ルベルを見上げてから目を伏せ、間もなく手榴弾を投げ込む。


「目!」


 ルベルは腕で目を隠した。サブラージも同様である。それは閃光弾。強い光が一帯を照らす。わずかだが光を直視してしまったガンマは目玉から脳まで突き刺さるような痛みにうめき声をあげる。少しの隙も逃さない。ルベルはガンマへ装填したばかりの銃弾を撃ち込んだ。再び回避を試みたガンマであるが、ろくに目が使えないせいか、平衡感覚を麻痺しているせいか思い通りに回避できず、その体に銃弾が撃ち込まれてしまう。それは腕と胴を一線にして当たり、ガンマから血が噴射する。ルベルは大股で彼に近づくと、拳銃から剣へ武器を持ち変えた。ガンマの懐に入り込んだルベルは剣を振りかざし、全力で腕を振り下ろした。ルベルが剣を振り下ろす勢いは強い。ガンマはその腕へ拳銃の先につけていたナイフを刺した。ナイフはルベルの腕を貫通し、切っ先は腕から飛び出る。


「ルベル!」


 サブラージはすぐガンマへ走りこんだ。ガンマの腕を叩き落そうとして、しかしガンマはルベルの腕から銃剣を引き抜いて下がる。びちゃびちゃと床にルベルの血が水たまりのような大きな斑点を作った。ルベルの手から剣が抜け落ちる。腕に力が入らない。とめどなく血が落ちているにも関わらず、ルベルは無事である反対側の手で剣を拾うと、ガンマに襲い掛かった。ただ振り回すだけのような剣筋が繰り出される。かと思えば的確に急所を狙った蹴りがガンマを捉えた。蹴られたガンマはルベルに撃たれた傷跡からまた血を溢す。

 サブラージが介入する間もなくルベルとガンマの一進一退の攻防が続く。切っては撃たれ殴り切られ。互いに等しく傷を作っていくのに消耗していくのはルベルだけだ。


「ガンマは第二世代のクローンだよ、ルベル!」

「あんだって?」

「第二世代! 首を切らないと死なないよ。たとえ心臓を突き刺されても、どれだけ血を流しても、首を落とさないと死なないクローン!」


 クローンには世代がある。世代を追うごとにより人間に近くなっていくのだ。サブラージは助手やデルタと同じ第六世代。一番人間に近いクローンだ。日常生活を送る上でほとんど人間と同じ機能をもつ。


 しかしガンマは第二世代。異様なまでに生存力が高いのだ。一見は人間のようだが、彼らの本性は化け物だ。サブラージの言う通り、首を落とさないかぎり何をしても死なないのだ。体の中身が人間のように完成されていない。肺に入った酸素が体内に供給される、心臓が血液を送る、口にした食べ物が栄養となって全身に行き渡る、など人間の基本的な機能が欠如しているのだ。今、目の前に立っているのは人形である。呼吸で取り入れた空気は体内に供給されず排出され、心臓は鼓動するだけで血液など送っていないし摂取した栄養はそのまま吐き出される。それぞれの臓器は連動せず、ちぐはぐに独立しているのだ。

 第二世代のクローンはまさしく肉の人形だ。クローンと呼ぶことでさえ躊躇われるほどの出来損ないである。


「おいおい、バラすなよ。恥ずかしいだろ」


 ガンマは口角をあげてルベルの腹部を切った。ルベルは若干後退していたため傷は浅い。しかし、わずかに鈍くなったルベルの動きを見逃さなかったガンマはルベルの胸部へ飛び蹴りをする。胸にかかる強い圧にルベルの肺は麻痺した。咳き込むルベルをさらにガンマは撃つ。いくつかの銃弾は剣で弾き飛ばすことができたが、肩や腕にその弾をくらってしまう。


「手前の死体を回収屋に見てもらうためにあいつをここに連れてきたのか? ああ?」


 ルベルはサブラージを視界に入れる。だがどうだろう。頭ではサブラージと分かっているはずなのに、どうしてもユアンに見えて仕方がない。


 ――克服などできていないのだ。

 サブラージが抱え込んできた負い目はルベルが克服すべきものだ。彼女には考えすぎだと言って荷を下ろしてもらった。ユアンとサブラージの姿かたちは同じでも明らかに別人だとも言った。


 だが、だが、だが。口では立派な台詞が吐けてもルベル自身はまったくそうではないのだ。


 たしかにユアンとサブラージは別人だ。それは本心から言った言葉だったが、ルベルはサブラージのその姿に過去を重ねてしまっているのだ。


 もしユアンが生きていたら今頃……。


 そんなふうに考えることがよくあった。ずっとずっとルベルはユアンを失ってしまった自分の不甲斐なさ、弱さ、落ち度、ガンマに対する復讐心。胸の内にいつもあった感情はそう簡単に昇華できるものではない。今もこうしてサブラージが霞んでユアンと勘違いしてしまいそうだ。いっそそのように狂ってしまえば楽なのかもしれない。ユアンが生きているという幻想を信じ込んだ妄想の世界に身を投じることができたならば。


 しかしそれではあの時、あの瞬間、ルベルの腕の中で命を落としたのは誰だったのだろう。ユアンは、最愛の妹は唯一じゃないのか。替えの利く存在なのか。そんなこと、断じてない。


 ユアンは世界でたった一人。唯一無二の愛する家族だ。


 幻想など振り払ってしまえ。現実を見ろ! 目の前にいるのはユアンを殺し、そして再びルベルから世界を奪おうとする男だ。

 防御壁都市はルベルの小さな世界だ。大切な人がたくさんいる。心許せる人がいる。もう二度とルベルから大切なものを奪わせない。もう二度と!

 これは復讐ではない。

 これは過去を繰り返さないための、終止符だ。


 二丁拳銃が火を噴く。途切れることのない弾幕を掻い潜り、ルベルは彼の目の前に躍り出た。すぐに拳銃に取り付けられたナイフが振られる。ルベルは剣を使ってナイフを防ぐと、左手を軸にガンマへ多段蹴りをする。そのガンマの背後にはサブラージが双剣を構えていた。首を狙った薙ぎが襲い来るが、ガンマはあえてルベルの蹴りを回避せず受け止めたことで自然とサブラージの剣を避ける。ルベルの力強い蹴りはガンマの身体を吹き飛ばし、彼を壁まで叩きつけた。回避されたサブラージが追撃するために迫る。


「くたばれ!」


 サブラージは交差させた腕を引いた。ガンマは床に滑り落ち、飛んできたサブラージの腹に銃口を向ける。引き金を引こうとして、ルベルの方向から銃声が鳴った。ルベルの銃弾は的確にガンマの腕を貫いている。大きく照準がずれたガンマの軌道はサブラージから外れて天井を撃ち抜いた。すぐさまガンマは飛び起き、サブラージはついさきほどまでガンマがいた壁を蹴ってバネのような反動で彼の背中に剣を刺す。だが致命傷ではない。さらにサブラージはガンマの背中を蹴って剣を引き抜く。ガンマは前方に倒れたが、転回して姿勢を整える。

 ルベルとサブラージの連撃はガンマに一息つく暇さえ与えない。休む間もない攻撃にガンマの息は切れていたが、それだけだ。どれだけ攻撃を仕掛けてもガンマに致命傷は与えられていないのだ。


「そろそろ死ねよ」

「俺を殺せるのなら死んでやるが」


 ガンマの身体は血だらけで真っ赤だ。赤以外に染まっている部分はないというほどである。ガンマでなければまず大量出血で貧血を起こしているだろう。だが、首さえ落とさなければ意味がない。首だけは死守するガンマにルベルとサブラージは決定打を決められずにいた。ガンマの命より先にサブラージの体力が底をついてしまいそうだ。彼女は強がっているものの息があがっており、節々が震えている。頭から垂れる血を拭って、サブラージは剣を握り直した。

 ガンマがルベルの太ももを狙う。ルベルは避けたが、避けた先でガンマの銃弾が降り注いだ。身体の複数に被弾するが、動けなくなるほどの攻撃ではない。狭い視界の中、ルベルも銃弾を放つ。互いに撃ち合いながら急接近した。ルベルは剣を振り上げ、ガンマはナイフを交差させて防御する。だがルベルの振り上げた剣はフェイクだ。ガンマの足首を集中的に射撃した。シリンダーに弾が無くなるまで撃ち込んでいく。


「サブラージ!」


 サブラージは手に持っている閃光弾のピンを噛んで引き抜いた。その閃光弾をガンマへ投擲する。


「これで!!」


 その閃光弾を追うようにサブラージは踏み込んだ。

 真っ暗になるような閃光が炸裂する。ガンマが腕で目を覆う。しかしルベルとサブラージは目を覆って隠したりはしない。ガンマの首を、首だけを凝視した。


「これで――ッ!!」


 ルベルの剣がガンマの首の肉に埋め込む。サブラージの双剣が首に触れる。

 力いっぱい、ありったけを込めて。容赦なく。決別するために。


 ――、薙いだ――!


 弾き飛ぶ、ガンマの首。激烈な煌めきの世界は視界を一時的に奪う。


 ……――おにいちゃん――。


 その一瞬の世界。幻聴か、気のせいか。ルベルは呼ばれた気がした。


「さようなら、ユアン」


 あの時。あの瞬間。あの間際。


 言えなかった言葉を告げて、ルベルは目を閉じたのだった。

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