閉じた箱の中.07
ルベルとサブラージも空を目指して舞っている黒煙を視認する。あとからやってくる地響きのような轟音は防御壁都市の状況を如実に示していた。
「北区が私たちの処理に気が付いて計画を前倒ししたってこと?」
「ありえるな。うかつに爆弾に近づけねえぞ」
幅の狭い路地裏は薄汚れている。壁を伝うパイプ管や裏口として使用されてから随分と久しいであろうドアは錆びていた。ところどころの壁や地面には濃いシミが付着している。
ルベルとサブラージが立っているこの細道の先に爆弾があるのだが、爆発する可能性を考慮して踏みとどまった。
「いったん紫音に連絡して……」
「だぁめだよぉ」
懐から携帯電話を取り出したルベルの腕のすぐ横を何かが通りすぎた。通過したそれがダーツの矢だと確認する前に、サブラージは双剣を取り出す。ルベルとサブラージの背後にいたのは北区マフィアのミューであった。派手で露出の多いいで立ちは相変わらず。しかしその真っ白なスーツはところどころ薄汚れていた。
「彼氷さんの邪魔はさせないんだから!」
ウエストポーチからダーツの矢をいくつか取り出すと、ミューはそれらを投擲する。とっさにルベルは剣の柄を握り、サブラージは回避しようとした。突き刺さるように投擲されたダーツが彼らに迫る。
――ふと、上空から影が落下する。それは地面に突き刺さり、盾となってミューの放ったダーツが突き刺さる。驚くべきことに、その落下物は外された木製のドアだった。
「んだこれ?」
「ドア? え、なんで?」
両名が困惑する中、ミューだけがそれを見て舌打ちをした。
「もーっ、しつこい!」
ミューはドアが飛来してきた上空に向けて叫んだ。
「そりゃしつこくもなるよ」
カツンと非常用の階段を降りてくる足音とともに聞き覚えのある声が降りかかった。ルベルはその声を聞いて首を傾げる。その声主はさきほどまで西区にあるサブラージのマンションにいなかったか。左都――右都とともに。
「情報屋は中立でしょ。情報を売る以外に加担するのはよくないんじゃないのー」
ふくれっ面をしてミューは反抗した。階段を降りてくるその人物、情報屋の助手を睨んでいる。助手は鞘から刀を抜いて切っ先をミューに向けた。
ミューの言うことはもっともだ。情報屋はその扱う商品から、何者の加担をせず中立を貫いているはずだ。助手が刀を抜くのは自分自身と左都、そして情報屋のためだけであり、それ以外の目的で人を直接傷つけたりはしないはずだ。
「彼氷を野放しにしていてはクローンの僕が殺されるかもしれないでしょ。それは困るんだよ」
助手の動機はそれだけだ。それは北区マフィアの方針が気に入らないからでも、ルベルたちに同情したからでもない。死にたくない、というのは至極単純な動機だった。
「ルベル、サブラージ。北区マフィア本拠地の邸に向かうといい。そこに中心の彼氷と、因縁のガンマがいる」
ルベルは助手の言う通りに邸へ向かうことにした。サブラージはあわててルベルの背中を追おうとして、いったん立ち止まる。振り替えて助手を見た。助手はサブラージに微笑んで返すと、彼女は「ありがとう」とお礼を言ってからルベルの後を追って路地裏から消えた。
残されたミューは不服そうだ。だが去るルベルらを追おうとはしなかった。
「私たちはただの数合わせ。どうせ意味もなく死ぬのなら、今日死んだって寿命を終えて死ぬのと変わらないじゃん」
ミューはダーツを取り出して指に絡める。しょせんクローンはクローン。人の形をしているが人間ではないのだ。人の営みを妨害している。生物ともいえないような邪魔者。
防御壁都市は長い間クローンをはじめとするマフィアを中心としてきた。マフィアの手に及ばない中央区の役所ですらなんの力もない傀儡同然と言うありさまである。クローン……とりわけマフィアは早急に滅ぶべきだ。
「僕たちは無意味とは違う。いつか死ぬなら今でもいいでしょ、という考えは極端で短絡的だ。君は生まれてから何も得ることはなかったのかな?」
「んむっ。言うねぇ。防御壁都市を思えば私たちは永遠に消えるべきだと考えるなあ。クローンが出来上がってからこの都市の出生率は下がっていく一方だし、クローンが統治してから治安がどんどん悪くなっていく。繁栄どことか私たちの存在がこの防御壁都市を滅ぼしている!」
なんて恐ろしい! 目元を両手で覆って嘆いて見せる。
「私たちは生きていたってなにも成せない。だって私たちクローンは肉人形。だったら人間を信じて、託して、譲るべきなんじゃないかな。目の前の未来よりずっと先の未来のために、私たちは世界を破滅させたっていい」
ミューは唐突にダーツを投げた。すぐに助手は刀で叩き落し、追撃するダーツをすべて払った。ミューは己の攻撃がすべて当たらないことをいち早く察知し、次の手に出る。
「ハチの巣にしてあげるっ!」
ミューが片手を大きく掲げた。すると路地裏の窓が一斉にがらりと開く。路地裏の、ミューと助手を囲む壁には小さな窓がいくつもあったのだ。やけに小窓が多い建物だな、というのは助手の印象だった。現在は途切れない間隔で続く窓すべてから、一斉に銃口が助手を睨んでいる。
「この辺の路地裏の管理は私がずっと任されてるの。だから私好みにリフォームしてるんだあ。私、この路地裏なら負けなしの無敵なんだから」
「ということはその優秀な成績を僕が今から塗りつぶすんだね」
「それ、私に勝ってから言ってくれる? 死人は喋れないから言えないかもだけど!」
銃声が鳴り響く。咄嗟に落としたドアを蹴り上げてその中に隠れた。ドアを盾にするものの銃を相手にしてドアはすぐに破壊される。助手はすぐ近くにあった建物への入り口に逃げ込んでいく。獲物がいなくなった銃口は再び静寂を取り戻した。
「だからあ、ここじゃあ無敵なんだって」
窓へ向かって合図を送り、ミューは悠々とした足取りで助手の入っていった屋内へ足を踏み入れる。
そこは飲食店だった。まだ営業時間ではないのか、休業日なのか、はたまたすでに店をたたんだのか。人や生活感のない店内が助手を迎え入れた。助手はすぐに階段を見つけ、二階へ昇る。助手を撃ったミューの部下がいた窓はこの建物の二階と三階、そして同じ高さの向かいの建物からだった。助手の探しているミューの部下はすぐ見つかる。
みな一様に白いスーツを着た北区マフィアが銃を持ってそこにいたのだ。すぐに発砲されるが、助手のほうが速かった。一番手前にいたマフィアを捕まえると自分の前に立たせ、肉壁とする。仲間を撃ってしまったことで一旦途絶えた銃声。その隙に肉壁を投げ飛ばす。その肉壁に二人がおし倒れる。助手は肉壁ごと二人を圧し斬った。この階にいるのは残り三人。三人の内一人が錯乱したのか、銃を乱射する。乱射で飛び出た銃弾は運が悪くなければ当たることはない。助手は落ち着いたままその乱射をしている一人を突き、あとの二人も易々と切り捨てることができた。あまり実戦経験がなかったのだろうか。
皆殺しにできた助手は三階へ上がろうとして、ちくりと腕が痛いことに気が付く。弾でも掠ったか、と見やるとそこには覚えのあるダーツが刺さっていた。
「へへーん」
鼻を高くしたミューの仕業だ。階段の手すりに身を隠した助手はすぐにダーツを抜き、傷口を絞って血を抜いた。助手はダーツに毒が塗られていることを知っているのだ。
「隙だらけだぞーうっ」
血を抜いている助手へ容赦なくダーツが雨のように投擲される。助手は柄を握ろうとした手がしびれていることに気が付いた。だが足はまだ動ける。回避しようと試みたが、その行く先を銃弾が遮った。三階に潜んでいたミューの部下が撃ったのだろう。二階にはミューが現れ、三階には彼女の部下がいる。助手は片腕がしびれて満足に動かすことができない。しかし彼は迷わずミューの方へ飛び込んだ。
「もしかしてぇ、窮鼠猫を噛むっていうのやる?」
「難しい言葉を知ってるんだね」
「むっ」
助手は低い姿勢でミューへ急接近し、下方から斜め上方へ切り上げる。圧すような払いに圧倒され、後退した足がもつれてしりもちをつく。すかさず助手は刀を振り下ろす。ミューは横へ転がったが、助手はすぐ追いついた。ミューがダーツを取り出すよりも助手が彼女の手を蹴り上げ、阻止するほうが速い。からりと音を立ててダーツが床に散らばる。助手が蹴ったことで放たれたミューの腕へ切っ先を突き立てる。
「っぁあ! いたい!」
「それはそれは」
ミューの悲鳴など耳に入らない。
彼女の部下たちは助手に照準を合わせているのだが、ミューに接近しているために引き金を引くことができずにいた。助手がまったく離れないまま撃ってしまえばミューを巻き込みかねない。しかし助手とミューの実力差は明らかだ。ミューはあまり戦闘、まして正面から挑むような戦いに不慣れだ。彼女の得意とするのは暗殺であって、戦闘自体は彼女に向いていない。そのミューが、戦闘力の高い助手にはかなわない。
助手は突き立てた腕から刀を引き抜くと、今度はもう一方にある彼女の肩を深々と刺したのだ。
「たしかミューは第三世代だったよね。ならある程度刺しても死ぬことはないね」
「やだあ、いじめっこ」
「軽口を叩く余裕があるのか。案外元気だね」
次に助手は彼女の膝裏を裂いた。そしてミューの胸倉を掴んで彼女を無理やり立たせる。首に腕を巻いて自身に密着させるよう盾にしたのだ。彼女の部下たちはうろたえてしまう。
「わあ、ゲスなことするね」
「どうとでも」
「でもそろそろ時間かな」
ミューは目を閉じた。抵抗を止め、助手に身を委ねたのだ。そしてミューと同じように部下たちも銃を下し、殺気をかき消していくのだ。
その意味を瞬時に理解した助手はミューを離し、すぐに立ち去ろうとする。だが。
「残念」
もう遅い。
ミューが笑った。そして――大きな爆発音とフラッシュアウトする強烈な光が世界を包み込んでしまった。
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