閉じた箱の中.06

 

 ――同時刻。紫音とベルデはすでに北区マフィアの襲撃に遭っていた。

 紫音たちがいる廃墟地区にはクローンどころかそもそも誰も出入りをしていない。物静かな亡骸のような地区にどうして爆弾が仕掛けられているのか疑問に思って訪れてみれば、ここはかつてクローン――人造人間の研究をしていた施設が密集した地区だったのだ。北区マフィアはこの地区を丸ごと破壊し、過去の記録を消し去ろうと企てたのだろう。

 紫音とベルデは人気がないのなら爆弾の処理は優先しなくていいと判断した矢先の襲撃であった。


「もし彼氷の邪魔をするのなら君たちだと思っていたよ」


 瓦礫が積み重なった廃墟ビルの一室にて、紫音とベルデの前に立つのはデルタただ一人。彼には部下がいたはずだが、今は引き連れていないようだ。もしくは物陰に潜んでいるか。


「君たちだけなんだ。材料にならなかった子供たちは。ぼくたちの礎にならなかった」

「は? 私たちを礎だと……?」

「いやいやいや、ごめんね。ぼくの言い方が悪かったよ。いい意味で言ったんだ。助かってくれてありがとうってことさ。でも残念だ。残念だよ。助かった君たちだからこそ、彼氷とおなじくクローンなんてなくなればいいって考えになるかと思ったのに」


 デルタは肩を落とした。おもむろに拳銃を取り出すと、構えなどせずいきなり前方を撃った。狙いを定めていなかったから紫音やベルデに当たらなかったが、背後にあった棚のガラスが床に散らばった。すぐに紫音とベルデは銃口をデルタに定めた。銃口をむけられてなお、デルタはへらりと口角を釣り上げている。


「ああ、でもそうか。君たちはこの防御壁都市が故郷じゃないから、ここの未来なんてどうだっていいのかな」


 デルタは天井を仰ぎ見て、両手を広げた。あまりにも無防備な姿にベルデが困惑する。構わずデルタは喋った。


「どうしてこの都市が壁に覆われているのか考えたことはあるかい?」


 問いかけは一つにとどまらなかった。


「どうしてマフィアなんていう自警集団が誕生したんだと思う?」


 それはこれまで考えようとしてこなかった疑問だ。


「どうしてぼくたちは閉じ込められているんだろう?」


 もしくは答えの見つからなかったもの。


「観測者は立ち去り、我々は放棄されたラット」


 デルタは脱力をやめた。


「ほんとうにそうだと思うかい?」


 彼の話はつながっているようでつながっていない。なにを言いたいのか、その終着点はあるのか。聞き苦しくなって、紫音は引き金に指をかけた。


「君たちはシュレディンガーの猫って知ってる?」


 引き金を引いた。銃弾はデルタの肩を貫いた。デルタは驚いた表情をして肩に手を触れた。どくどくとあふれる血液に目を丸くしている。


「狂っているのか? 長話をするほど暇じゃないんだ」


 紫音の銃口はデルタの眉間に定まる。もし話を続けるようであれば問答無用で殺すつもりだ。


「それもそうだ。その通りだ。ぼくが悪かったよ。君たちとは志をともにはできない」

「だろうな」

「はやく帰って彼氷にお茶とお菓子を用意してあげなくちゃ」


 デルタは唐突に駆け出した。室内から廊下へ飛び出る。予想外の行動にベルデは「え? なんで!?」と困惑しながらデルタのあとを追った。デルタは廊下にある窓ガラスを撃ち、追いかける紫音とベルデの行く手を阻む。ガラス片が破裂を続ける廊下を進むことができない紫音たちは一時たたらを踏んだ。


「もしかして僕たちを建物の中に閉じ込める気じゃ……」

「なんのためにデルタはそんなことを」

「僕たちはまだこの廃墟の爆弾を処理していないから起爆する気なんじゃないかな」


 ベルデの言うことにさっと顔色を青くした紫音ははじかれたように走り出した。ベルデも後に続く。

 デルタが部下を連れず単身で紫音とベルデの前に現れたのははじめから爆弾を起爆するつもりだったからではないだろうか。紫音とベルデがいる廃墟ビルは三階。飛び降りて脱出するなどとうてい不可能。素直に階段を目指して走っていくが、デルタとの距離は離れていく一方だ。しまいには姿が見えなくなってしまう。焦った紫音の手をベルデが引いた。遠くで爆発音がする。付近の建物が倒壊を始めたのか、耳には強烈な轟が響く。それは一つではなく、雨のように次々と連なっていった。

 ベルデに手を引かれて紫音はやっとのことで外へ飛び出る。途端、つい今まで入っていた建物の一階が爆発した。休む間もなくベルデは紫音と自身の車へ飛び乗る。車が猛スピード走り出した。


「た、助かった、ベルデ」

「気にしないで。それよりまずいよ」


 ベルデが指した方向にならって紫音もそちらをむいた。ついさきほどまでいた廃墟地区は砂ぼこりのなかに姿を消してしまっている。おそらくたくさん並んでいた施設すべて倒壊してしまっただろう。それだけではない。

 廃墟地区より遠く、ずいぶんと遠くから次々と黒い煙が防御壁都市から立ち上がっていく様子が確認できる。


「北区の作戦が始まったか!」


 防御壁都市から次々と上がる黒煙は、北区マフィアの爆弾によるもの。防御壁都市の崩壊が始まっている光景だ。

 くそ、と紫音が舌打ちをする。起爆を阻止したかったが、手遅れだった。


 ――すると、車の表面でキンと甲高い音が立て続けで何度か鳴った。


「狙撃されてる!」


 ベルデはハンドルをきってからアクセルを踏んだ。


「大丈夫なのか?」

「この車は防弾仕様だけど、対戦車ライフルを持ってこられるとまずいかな」

「そんなものこの都市にあるのか?」

「それで撃たれたことがあるから」

「狙撃手がどこにいるかわかるか?」

「二時の方向」


 紫音はそちらを見やる。狙撃手はそう遠くない場所から撃っていて、目を凝らせば銃口が光ったのを確認できた。


「ベルデ、やれるか?」

「試したことはないけど、そんなこと言ってられないよね」


 助手席から手を伸ばして紫音はハンドルを持った。ベルデは運転席から後部座席へ器用にするりと移ると、足元に隠していた己のライフルを手に取る。紫音は素早く運転席に移動した。車の天井を空けている間に分解状態だったライフルを組み立て、ベルデはそれを構えた。ガタガタと激しく揺れる車からの射撃は成功率が極めて低い。それでもベルデは銃口を滑らせ、落ち着いて狙撃手を狙った。

 相手の狙撃がベルデの頬にかすり、肩をえぐったが、それでも動じない。障害物、爆発によって変動する風向き、視界を遮る薄い砂ぼこり。じっとベルデは引き金を引くチャンスをうかがう。相手の距離はおよそ300メートル先だ。

 引き金に触れるだけだった指が、一瞬を狙って動いた。

 見事ベルデの銃弾は相手に命中し、以降狙撃されることはなかった。また、同時に放たれた相手の銃弾はベルデの車のタイヤに当たり、パンクさせてしまう。

 紫音は車を停止させ、二人は車を降りた。


「爆弾の処理は危険だからルベルとサブラージに合流しよう」


 ベルデの提案に紫音はうなずいた。北区が起爆してしまった以上、これ以上の処理は危険だ。処理の最中に遠隔操作されて爆発してしまっては木っ端みじんになって死んでしまう。

 急いで合流を目指す二人に一本の電話が入った。それは仕事付き合いのある情報屋助手からであった。

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