閉じた箱の中.03

「な、なに……」


 左都は後ずさる。しかしすぐにベランダの手すりが背中に当たって後退できなくなってしまった。男の一人が左都に銃口を向ける。左都は身動きがとれない。男はなおも歩き続け、左都の目の前に立った。銃口は額に押し当てられている。


「おい、小娘。奪還屋はどこだ」


 彼らが捜しているのはルベルだった。とっさに左都は嘘をついた。


「わ、わた、し、知らな……」


 恐怖で顎が震えている。うまく話すことができない。涙で前がよく見えなくなってきた。


 こわい、こわい、こわい。


 死が直前に迫っている。

 無防備だった、油断していた。走馬灯のように後悔がよぎる。

 視界がちかちかと点滅を始める。

 恐怖は極限まで迫っていた。

 左都の感情は恐怖で爆発しそうだ。


 この恐怖は、左都には荷が重すぎて――。


「それは人にものを聞く態度なのかい?」


 東区のマフィアたちは、その言葉を誰が発したのか分からなかった。それが少女の声で、目の前からしたのだと認識した時、少女の変化に気が付く。

 恐怖で震えていた彼女は、涙を流して顔をぐちゃぐちゃに崩していた彼女は、怯えて身動きができなかった彼女は、もうそこにはいない。震えは収まり、落ち着いた態度で少女は拳銃を突き付けている東区マフィアを見上げていた。恐怖が消し去ったどころか、彼女は口角をあげて余裕をみせているほどだ。

 姿は同じであるのに、彼女は先ほどと同一人物ではない。確実に別人だ。しかしそんなこと、ありえない。東区マフィアには彼女の正体が分からない。


「だ、誰だ!」


 威嚇のつもりで叫んだが、少女の緩やかな笑みが消えることはない。それどころか少女は手を伸ばして突き付けられている拳銃を握ったのだ。驚くマフィアなど気にもせず、当然のように安全装置を掛けた。


「わたしに質問をするときはまず金を用意しなくてはいけない。それと態度も考えなくてはいけないよ。わたしの気分次第で料金は上がるのだから」

「はあ? なに言ってんだクソガキ!」


 少女に銃口を突き付けているマフィアではない他の三人も拳銃を取り出して少女に向けた。彼女は無力な一般人のはずなのに。そのはずなのに、どうしてか歯車がずれてしまっているような錯覚をおぼえる。果たして目の前にいるのは一般人の少女なのだろうか。もっととんでもなく大きななにかなのではないだろうか。


 少女は意外な行動に出る。

 手始めに相手の手首をひねって拳銃を奪い取った。そのまま拳銃のグリップをマフィアの頭に叩きつける。手加減のないその打撃で男は気絶してしまった。


「な、なにしてんだ!」


 一人の男が発砲しようとして、しかしその前に少女が飛び掛かっていた。受け止めることのできない衝撃に、男は背後にいた女を巻き込みながら倒れる。女は頭を壁に強打し、彼女も意識を手放す。再び少女はこの男の頭にもグリップを叩き込んだ。あっさり男も気絶してしまう。驚いた残り一人は後退しようと部屋の出口へ向かった。しかし大きな壁に阻まれる。そこには、ジュースを手に持ったルベルが立っていたのだ。ルベルは侵入者に足払いをすると追うように肘を鳩尾に深く埋め込む。そして男も気絶をしたのだった。


「なにこれ、どういう状況なの! 左都!」


 そんなルベルの背後から飛び出してきたのは助手だった。

 ルベルが自動販売機までジュースを買いにいった際、左都を心配して彼女を探していた助手と遭遇したのだった。


「やっほー、助手くん」

「……。まさか、君、右都?」


 周囲の惨状を見て驚いているルベルとは相対して、助手はさっと顔色を青くした。次々と浮かび上がる言葉が捌ききれずぱくぱくと口を開閉させる。


「え? は? なんだこれ。どういうことだ」


 自分が倒した者以外にすでに気を失っている三人と、平然と立っている左都。どう考えても三人を倒したのは左都だ。しかしルベルの知るところでは左都は一般人だ。普通の少女であるはず。普通の少女がマフィアを三人も倒せるなんて聞いたことがない。ルベルは口をあんぐりと開けていた。それに助手は左都をみて「右都」と呼んだ。これは一体どういう意味だろうか。


「ああ、もう!」


 助手は左都の肩に腕をまわし、ルベルに背を向けた。助手と左都はルベルに背を向けて内緒話をしたあと、ゆっくりと助手のほうが振り返る。なにも知らないルベルの間抜けな表情を見て大きなため息をついた。、首を横に振りながら左都を相手になにやら訴えかけているようだが彼女はものともしない。


「ああ、もう」


 今度は左都のほうが言って、助手を振り払った。そしてルベルの前に立つと手を差し出したのだった。


「はじめまして。こうして対面するのは初めてだったね、奪還屋ルベル」


 なんのことだかさっぱりだ。ルベルは呆然として、目の前にいる少女の次の言葉を待った。


「わたしの名前は右都。情報屋だよ」

 

 差し出された手を握ってからルベルは彼女の発した言葉の意味を飲み込んで、思考が固まる。

 いま、なんと言ったか? 聞き間違いでなければ情報屋だと言わなかったか。驚愕をそのまま表情にするルベルを見て右都と名乗った少女は笑った。


「ずいぶんと驚かせてしまったみたいで申し訳ないね」

「え、は? 左都、お前、情報屋だったのか!?」

「いいや、違うよ。わたしの姿かたちはたしかに左都だけど、彼女とは別人だよ。左都は本当に一般人で、わたしは情報屋の右都なんだ」

「……双子?」

「ふふふ。双子でもないよ。混乱しているね。順を追って説明しよう」


 抗議しようと声を荒げる助手を制して右都は左都のしないようなずいぶん落ち着き払った表情と低い声音で語る。


「といっても詳しくは話すことができないんだけどね。なんせ根本はわたしではなく左都だから。わたしの口では語れない」


 そう前置きをしてから右都はルベルを見上げた。一切心境の見通すことのできない彼女の笑顔にルベルはおののいた。掴むことができない雲のようであった。


「わたしは左都の身体に共存する別の人格……。君は知っているかな、二重人格っていうの」

「二重人格……?」


 本来、人とは人格、自我が一つに統一し保たれている。しかしその統一性に異常をきたし人格ならびに自我が分離された状態を二重人格と呼ぶ。これは一人の人間が二つの人格、自我をもっているということだ。この分離された自我は互いを認識できないのが常である。人格の交代がなされている間、表に出ない人格は意識を失った状態になる。これは眠っているというより気絶している感覚に近いだろう。白昼夢でも見るかのように唐突に意識を失い、目覚めたときには身に覚えのない行動に出ている。


 左都と右都は互いを認識しているが、当然ながら対話などしたこともなければ意思疎通を直接行ったことはない。はじめに気が付いたのは右都だった。彼――もしくは彼女はずいぶんと聡い人物であった。右都は左都が強烈な恐怖や不安を感じた時、もしくは深夜に浮上しやすい人格が右都の正体である。

 右都は交換日記を持ち掛けることで互いの意思疎通に成功している。それからは互いに共存し、まめに連絡を行い、身に起きた出来事を伝え合うことで日常生活でもその正体に気付かれることはない。――唯一、気付かれてしまったのが助手であったのだが――。

 ゆえに左都はたくさんの情報を得ていた。情報屋の右都が扱う情報すべてを知るわけではないが、サブラージが回収屋であることもルベルが奪還屋であったことも初見の時から理解してる常識だったのだ。そして、よく知る人物がクローンである事実も理解していた。右都は賢く頭のきれる人物であったが、実は左都だってそういった一面があるのだ。知っていることを周囲に知られないという一点においては天才的だといっても過言ではない。だからこそどんなに裏社会の者たちが手を尽くしたところで情報屋の行方を知られることはなかったのだろう。


「知ってるのか、クローンの事実を」


 右都の口からすべてを語られたとき、ルベルの口から先走ったのがそれだった。本当は二重人格という存在や、左都と右都の正体についてもっと思うところがあったのだが、それよりも今ルベルの頭痛の原因である真実のほうに気を取られた。


「むしろこの都市の仕組みを知った者の間では常識だよ。ま、その常識はマフィアを含めたごく一部の人間しか知らないわけだけど」


 驚くことはない、とでも言うように右都は肩をすくめて見せた。そしてこうも付け加えたのだ。


「そのことは君が一番よくわかっているものだとばかり思っていたけど」

「な、なんでだよ」

「だってほら。サブラージ……、――もしかして奪還屋、この事実を知らないのかい?」


 ここで初めて右都は感情をあらわした。目を丸くして食い入るようにルベルを見ている。それから先を理解し、口元を手で押さえた。失言だったとこぼして顔をそらすが、ルベルは逃したりはしない。右都の小さな肩を掴んで捕まえてしまった。


「何を、知ってるんだ」


 それはなんと情けない声だっただろう。酷く怯えきっていたルベルは、右都の知っている事実を恐れていた。その真実を恐れているのに、告げてほしいという欲がせめぎ合っている。


 右都はルベルの問いに答えるべきか悩んだ。この真実はルベルとサブラージの間で語られるべきであって、部外者である右都が口にするのは邪推である。それに、情報屋である右都から情報を得るにはそれ相応の対価が必要である。それは金であったり、同等の情報であったりする。ひとしきり悩んだ結果、ルベルに真実の端くれを伝えようと決意する。これはルベルやサブラージのためなどではなく、左都のためだ。左都は行方不明のサブラージを捜しているのだ。サブラージを捜しだすために奪還屋に依頼することも聞いている。それならば依頼の対価にしてもいいと考えたのだ。


「実は都市に攫われ、外部からやってきた人間は奪還屋や殺し屋、運び屋だけじゃないんだよ」


 右都が口を閉ざしていたのはものの数秒であり、彼――彼女の決断は早かった。


「他にもたくさんの子供たちがいたそうだ。その子たちはみんな材料だったそうだよ。当人たちはもう存在しないんだけど」

「どういうことだ?」

「どういうことだろうね? ああ、そういえばクローンを作るのに必要な材料を知っているかい?」


 背筋に冷たいものが走った。右都が言わずとも、ルベルにはその材料が理解できる。むしろその材料こそは右都がつい先ほど正体を明かしていたではないか。


「クローンに必要な材料というのは人間だよ。とりわけ成長過程の子供が使いやすいみたいだね」


 頭をおもいっきり殴られたような衝撃がした。息を吸ったまま吐くこともままならず。焦点の定まらぬ点になった目が揺れた。おもわず一歩後退、それをきっかけに壁に背がつくまでゆっくりとゆっくりと下がった。

 さらに右都はとどめを仕掛ける。


「クローンは材料になった子供たちに似た容姿を持つのだそうだよ」


 ただし材料に使われる子供たちの遺伝子は何パターンにも混合されるため、容姿がまるっきり同じものが出来上がるとは限らない。一部だけ似た容姿になるものばかりなのだ。しかし皮肉にも、サブラージは一人の人物に容姿が酷似していた。


「ま、まてよ……。そんな……、嘘だろ」


 ルベルの記憶にかかっていた霧が晴れていく。恐ろしく辛い、悲しいトラウマが蘇える。その中心にいた最愛の表情が、はっきりと蘇生した。


 いてもたってもいられなくなったルベルは駆け出し、マンションを飛び出た。バイクの音が去っていく。その音をベランダから見送った右都は背後から突き刺さる視線に振り返る。助手が無言の圧力を向けていたのだ。さんざん助手の反対を押し切ってルベルに自分の正体を明かしたのだ。


「どうしてルベルに伝えてしまったの」


 情報屋の正体を探る者は数多存在する。その目的は様々。都合の悪い情報を売ってしまうから消したいという者、その情報量の多さから味方に取り込みたいと考える者など。だから情報屋は正体を隠し、常に中立を保ってきた。己に関する情報は一切流出させずに保ってきたのに、どうして正体を吐いてしまったのか。その助手の疑問は当然だった。同時に、彼は情報屋だけではなく左都の身を案じている。情報屋は右都だ。一つの身体に共存しているとはいえ左都には関係ない世界である。あくまで左都は一般人なのだ。左都には平穏な日常を送ってほしいというのが助手の願いだというのに。


「わたしはこの防御壁都市が好きなんだよ。人間とクローンが共存したこの狂った都市がさ。彼氷なんかにこの都市を壊してほしくないんだ」

「君は本当に変わってるね。僕たちが気持ち悪くないの」

「わたしたちだって随分と気持ち悪いじゃないか」


 右都の苦笑交じりに助手はすぐ反論した。


「そんなことはない。それはありえない! 左都と右都はとても神秘的だよ」


 助手はすぐに肯定した。それは本心だ。左都と右都は互いを尊重し、一個人と認め合い、共に歩んでいる。その存在が助手には美しく映った。

 だから助手は姿かたちがおなじでも左都と右都を別人としてとらえている。左都には異性として心を寄せ、右都には尊敬のまなざしを向けている。一度も気味が悪いなどと思ったことはない。きっと右都もクローンである助手に対してそうなのだろう。人造人間だからと疎ましく思うことはないのだ。


「観測者はこの都市を去った。わたしたちは未来を選ぶことができる」


 それが今なのだ。

 右都はそれだけを溢すと、静かに目を閉じた。


 材料にならなかった外部からの人間。そして妹を殺された一件からマフィアを嫌悪するルベルこそが、防御壁都市を変革しようとする彼氷を止めることができるかもしれない。右都はそうあってほしいと薄ら願いながら、ゆっくりと意識を遠のけたのだった。


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