閉じた箱の中.02
下唇を噛んだままルベルの出方を窺っていた。
左都は願うように奪還屋としてのルベルに頼み込む。
「……、助手の傍にいるからかもしれねえけど、左都はどうして俺が奪還屋だと知ったんだ?」
防御壁都市の住民にとってマフィアは周知のことだが、マフィアと直接関わることのない生涯を送る者が多い。その上、素性を隠している仕事屋を探し出し、依頼をする一般人はほぼいない。組織であるマフィアに対して仕事屋は個人だ。特定するには一般人では能力不足であるはずなのだ。そんななか一般人である左都はルベルが奪還屋であると的確に当てた。以前彼女が誘拐されたときからルベルは左都に少しばかりの違和感を覚えていた。助手に素性を聞いているのならそれまでだが、ルベルはこの左都がどうしてもただの一般人とは考えられなかった。
情報屋の助手と同じ場所に暮らしていて、彼女は本当に潔白な少女でいられるのだろうか。
「助手から情報を買ったの。だって、どうしても、サブラージを取り返してほしくて」
なるほどと納得する。情報の売買があったようだ。ルベルの抱いていた左都に対する不信感は杞憂だった。完全不燃焼ながらもルベルはそれ以上掘り下げることはしなかった。
「それで、あの、足手まといになることは十分理解しているんだけど……」
歯切れが悪いようで、左都は視線を斜め下あたりへ寄せながら身を縮こませた。まるで貝殻にでも閉じこもるように毛布をより深くかぶりながら、小さな声でルベルへお願いを重ねる。
「……サブラージを取り返すとき、私も連れて行ってほしくて……」
「断る」
仕事場に一般人を連れて行くなどありえない。ルベルは即答した。左都は肩を落とす。ルベルの返答は予測の範囲内だった。常識的に考えればルベルの返答は明らかに当然なのだ。なんの抵抗力もない一般人を血生臭い裏社会に捲き込むわけにはいかない。殺人だって珍しくない裏社会に片足を踏み込むなんてリスクを追ってまでなぜついていこうとするのか。最悪の場合死んでしまうかもしれないというのに。
「だって、私が誘拐されたときサブラージは危険を顧みず助けに来てくれたんだから、私だってルベルさんにまかせっきりにするわけには」
「まかせっきりにしろよ。銃の使い方ひとつも知らねえ奴を連れまわせば、お前は身の危険と隣り合わせになる。死ぬかもしれねえ」
「それは……」
「助手だって心配するだろ」
左都の同居人である助手ならば彼女の心配をする。彼女が誘拐されたとき、率先して助けに向かったのだ。助手が大切に想っている左都を易々と危険に曝すわけにはいかない。それどころか、サブラージにだって叱られるだろう。
口を噤んで、黙り込んでしまう左都にそれ以上の抗議はないようだ。
「もう深夜だ。助手んとこまで送ってくからこれ被れ」
ルベルは靴箱の上に乗せていたヘルメットを左都に持たせた。バイクで左都を送ろうとしたのだが、彼女は立とうとしない。動く気がないようだった。
「どうしたんだよ?」
「今日は帰らない」
口を一文字にきつく締める少女。年頃の少女の考えていることが分からず、肩を落とした。
「よく知りもしねえ奴、しかも男の家に泊まったらだめだろ」
「……、いま助手と喧嘩してて」
左都はホットミルクに口をつけた。
「喧嘩ぁ?」
「サブラージを捜してもらうようにお願いしたんだけど、忙しいから今はできないって。だから私、怒って飛び出しちゃって……」
助手が忙しいのは先の電話でもあったように、マフィアからの依頼が殺到しているのだ。その合間を縫って――おそらく休む間もなく――左都のためにサブラージの居所を捜していただろう。すれ違っているのだろうか。
「……、わがままだったかな。でもサブラージが……」
優しい少女なのだろう。左都はどんどんと声が小さくなりしぼんでいく。
「左都の依頼については承諾した。しょうがねえ。今夜はここにいてもいいけど明日になったら帰れよ」
「ごめんなさい。ありがとうございます」
「腹へってねえか?」
ルベルは仕事終わりで腹が減っていたのだ。左都は首を振ったので自分だけ食べる。その後、左都を風呂に入れてから自分のベッドで寝かせ、ルベルはソファの上で横になった。
翌日、昼頃にルベルは左都をバイクに乗せて外食をしたあと助手のいるマンションまで送っていくことになった。その道中、申し訳なさそうに左都はサブラージのマンションに行きたいと言った。これにルベルは同意する。助手はサブラージが一度も部屋に戻っていないと言っていたが、なにか手掛かりくらいはあるのではないかと淡い期待を抱いたのだ。
しかしサブラージをマンションまで送ったことはあれど、実際に彼女の住まう部屋に入ったことはない。そもそも鍵がないのにどうやって入るのだろう。
「前にも言ったと思うんだけどサブラージとルベルさんってすごく似てるから、管理人さんに家族だって言って鍵を借りよう」
「それはいいけどよ……、似てるか?」
「え? そっくりだよ」
気付いていなかったのか、と左都は目を丸くした。一方のルベルは似ていると言われて血の気が引いた。それほどまでサブラージのことが嫌いだというわけではない。口では憎まれ口をたたいているがむしろ好敵手として好ましい。しかしそれとこれとは話は別だ。
ルベルとサブラージは赤の他人だ。ルベルの両親は決別し、唯一の肉親であった妹のユアンもガンマの手によって殺された。この防御壁都市にルベルの身内は誰一人として存在しないのだ。
「まず瞳の色が同じ緑色でしょ。あと目つきも同じ。怒ったとき歯をむき出すのもそうだし、笑ったとき顔がくしゃってなったり。顔つきが似てるとかじゃなくて、性格も似てるよ。ルベルさんとはついこの間知り合ったばかりだけどね」
それでは、それではまるで、兄妹みたいではないか――。
ああ、ああ、脳がかゆい。脳がいたい。ユアンの顔がどうしても思い出せない。濃霧でユアンの顔だけが思い出せない。どこか遠くで懐かしい声がルベルへ囁いた気がした。
お兄ちゃん、と。
その声と同じ声帯がルベルと言うのも同時に聞こえてしまった。
「兄妹っていってもきっと管理人さんは見抜けないんじゃないかな」
乱れていくルベルの心境を左都の声が寸でのところで現実に引き戻した。ひそかにルベルは深呼吸をして我を取り戻す。
左都はサブラージの親友だけあってマンションには何度も訪れていたようだ。管理人室へまっすぐ進んでいき、そこにいる壮年の男性に話しかけた。左都の作戦はなんなく成功。スペアの鍵を持ってサブラージの部屋に入ることができた。
サブラージの部屋は几帳面な彼女らしく清潔感のあるところだった。白い壁と傷一つないフローリング。木製の家具で統一されており、所々にぬいぐるみやら雑誌が置いてある程度にシンプルな内装だった。部屋の一角には場違いなまでの作業場があり、そこで武器の手入れをしているようだった。二週間も人が入っていないためかうっすら埃の被った部屋でルベルは一度咳をしてから、周囲を見渡してみる。
「手掛かりはなさそうだな。普通の部屋だ」
テーブルの上に置いてあった雑誌をめくってみたが、サブラージの行方を掴めそうにない。小一時間部屋中を一通り見て回り、ルベルと左都が落胆のため息をついた。
「俺飲み物買ってくるわ。左都は何かいるか? 一息つこうぜ」
それならばと左都は炭酸ジュースをルベルにお願いし、部屋に残ることにした。ルベルが部屋を出ていくと、左都は窓を開けてベランダに出た。心配と不安に押しつぶされてしまいそうだ。彼女が回収屋という危険な立場にいることを理解しているが故に、安否さえ分からないというのは憂いて仕方がない。
手すりに腕をかけて頭を乗せる。
するとマンションの駐車場に一台の車が滑り込んだ。左都がいるのは四階。かなりスピードを出していたようで、車は甲高い音をたてて急停車した。慌てたように黒いスーツの男が四人ほど出てきたあと、マンションに駆け込んでいく。
左都はそれを見て恐れおののいた。すぐに血気盛んな東区のマフィアだと見抜いたためだ。左都が混乱しているうちに大きな足音が近づいてくる。左都の足が震えてベランダから動けなくなる。カタカタと震える手であわてて携帯電話をとりだした。助けを呼ぶために画面を点灯させたところで部屋のドアが開かれる音が響き渡る。左都は息をのんだ。はたと顔をあげると、黒いスーツを着た男が拳銃とナイフを持ってズカズカと部屋に入り込んでいたのだ。
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