TRUTH

閉じた箱の中.01

 回収屋のサブラージが行方不明のまま、二週間が過ぎた。


 この二週間は激動であった。西区マフィアは事実上の壊滅となり、残党は北区マフィアに吸収されることとなった。その北区マフィア内部も激しく変化することとなった。北区マフィアのボスが暗殺の手にかかったのだ。ボスの座が空白となったところに最有力候補の次期ボスだった彼氷が入り込んだ。今では彼氷が北区マフィアのボスとなっている。

 変革の最中を南区マフィアと東区マフィアが黙ってみているわけがない。血の気の多い東区マフィアが北区マフィアを襲撃するも、あえなく失敗。それ以降北区マフィアと東区マフィアの間に緊迫状態が続き、南区マフィアは静観を貫いている。


 こうした中では仕事屋は休む暇もなく働き詰めであった。

 防御壁都市で唯一の情報屋、その助手である情報屋助手の男は奪還屋のルベルに愚痴を吐いていた。


『マフィアだって組織なんだから、僕ら情報屋に頼らなくても情報収集能力くらいあるでしょって思わない?』

「俺、いま仕事中なんだけど。分かってて連絡してんだろ」

『まあ仕事があるってことは稼げてるってことだから悪いことではないんだけど』

「聞いてんのか」

『いつかは彼氷が暴れだすとは思っていたけど、予想より早くて驚いたかな』

「は? なんだって?」


 ルベルは振り上げていた腕をおろして、携帯電話の方に耳を傾けた。目の前にいた東区マフィアの下っ端が逃げだしそうになったのを、足で踏み倒し食い止める。下っ端がたいそう大事そうに抱えていたアタッシュケースを引っ張りながら助手の言った言葉について考える。

 彼氷が動くことを予想していたのは驚きだった。つまり、それは彼氷が動く動機も理解しているということだろうか。助手は知っているのだろうか。クローンの存在を。防御壁都市の住民ほとんどがクローン――それどころか助手自身もクローンなのだ。その狂気を、彼は理解しているというのか。


『中央区が一切動く気配がないのもちょっと気になるかな。それに、ほら。サブラージが行方不明なのもね……』


 ルベルの動きがピタリと止む。その隙に下っ端が逃げ出そうともがいたため、拳を放って黙らせた。気を失った下っ端からアタッシュケースを奪い取りながら、助手の言葉に耳を傾ける。


『サブラージはあれから自宅には一度も帰ってないみたいなんだよね。左都が心配してるから僕も暇さえあれば捜してるんだけど……』

「見つからねえのか……」


 最後に会った時のサブラージは鮮明に覚えている。ルベルらがガンマを追うのをあまりにも嫌がっていた。それはおそらく、彼氷の言った真実をルベルらに知られたくなかったからだろう。防御壁都市がクローンでできているのはいまでも受け入れきれないほどの衝撃である。しかしそれをなぜ、サブラージがあんなに拒んだのだろうか。クローンである真実を知られたくない、というだけではないような気がしている。その真実は衝撃的だが、サブラージが嫌がる理由も行方をくらますほどの動機にはなりえないだろう。

 解消されない不安はルベルの腹の中にずっと巣くっていた。


『もしかしたらサブラージは消えてしまったのかな』


 助手が小さく呟いた。普段ならば聞き逃してしまうような小さなものだったが、今のルベルにははっきりとその声が聞こえた。

 もしサブラージが消されるのだとしたら、北区マフィアだろうか。しかしこれも動機が分からない。不鮮明なことが多すぎる。


『ルベルはサブラージの行方が気になる?』

「……。まあ、な。いままでよく会ってたやつが突然いなくなるのはな。それに、なんだかサブラージは、ユ……」


 はたと我に返った。何を言おうとしていたのか気付いてしまって、己の喉に触れる。恐ろしくとんでもないことを口走ろうとしたのではないかと、肝を冷やした。さあっと引いていく血の気が、まるでここが極寒であるような錯覚を振り下ろす。


「いや――、なんでもねえよ」


 首を振って、ついさきほどまで浮かんでいた考えを振り放した。ありえない、ありえないと繰り返し呟きながら。


「もう切るぞ。仕事中だしよ」

『ああ、そうだったね。それじゃあ』


 助手は愚痴を聞いてくれたことへの感謝を述べてから通話を切った。ルベルは眉間にしわを寄せ、しばらく真っ暗になった携帯画面を眺めた。ふと、足元にいる下っ端が唸ったのが聞こえて今一度蹴り飛ばした後、路地裏から去る。依頼主である南区マフィアの目標のアタッシュケースを渡してから西区にある自宅へ帰路についた。


 西区は相変わらず機能している。表社会での変化はなく、一般的な住民が生活する上での劇的な変化はない。西区を運営するのは北区マフィアとなったが、実のところそれ以外の変化は一切ないといっても過言ではない。工場は相変わらず機能しているし、住民も二週間前と同じように生活している。

 たとえば西区に白いスーツを着た人間を以前より見るようになったが、運営が変われば当然といえよう。変わったのは裏社会だけなのだった。


 夜がずいぶんと深くなった街並みを抜けて、ルベルは小さなアパートに到着する。腹が減ったなあ、家になにかあったか、などと考えながらポケットから部屋の鍵を取りだす。電灯の少ない薄暗がりの中、自分の部屋の前に何かがいる。考え事がピタリと止み、部屋の前にいる丸まった影を注視した。それは人影で、髪の長い少女のようだった。ルベルの気配に気が付いた少女はゆっくりと顔を上げ、大きく息を吸った。


「ルベルさん……」


 泣き腫らしたのか声は随分と枯れていた。寒い深夜、いつから一人でそこにいたのかとルベルは驚き、あわてて駆け寄った。


「左都?」


 サブラージの友達だったな、とルベルは思いながら彼女の肩を抱いて立たせた。ひんやりと冷たい肩と、彼女の震える唇がどれほど前からルベルを待っていたのかと思わせる。急いで部屋の鍵を開けて彼女を入れると、ルベルは自分のベッドから毛布を引っ張り出して左都にかぶせた。


「ホットミルクならすぐに用意できるけど」

「ごめ、ごめんなさい。急に……」

「そうだな。言いたいことはたくさんあるけどよ」


 マグカップに牛乳を入れて電子レンジで温めた簡単なものだが、ルベルはそれを左都に差し出す。左都は申し訳なさそうに受け取ったあと、袖で涙を拭いた。


「助手はどうしたんだよ。こんな深夜に一人でいたら危ないだろ。西区は治安がいいわけじゃねえんだぞ」


 なるべく優しくルベルは注意したが、左都は顔を俯かせて項垂れた。最近ではサブラージのような気の強い少女としか話していなかったため、言い方が悪かったかと頭を掻きながら肩を落とした。年の離れた少女とどのように話したらいいのか分からず、ルベルはひとまず彼女の正面に座ってなるべく目線を近くにした。ベルデがやっていたことのマネであったが、どうだろうかと緊張する。


「助手、忙しいみたいだったから……」


 電話でそのようなことを言っていたと、つい先ほどまでの記憶を引っ張り出す。


「お願い! あとでお金は渡すから、なんでもするから、サブラージを見つけてほしいの……!」


 マグカップを強く握り、左都はルベルの目をまっすぐ見た。

 左都も行方不明のサブラージを心配している。彼女とサブラージは知己だ。二週間も親友のサブラージがいないとなれば、不安になるのは当然と言えよう。おそらく、この手の解決に最も近い情報屋の助手は忙しなく働きづめで左都は彼を頼ることができなかったのだろう。だから、奪還屋であるルベルを訪ねたのであろうことは容易に想像できる。

 防御壁都市の自警団はマフィアだ。以前彼女自身を誘拐した組織と同類である。左都にとって、安心してサブラージの捜索を依頼できるのはルベルただ一人だった。


 左都は退くつもりなどない。サブラージへ繋がる糸は奪還屋ルベルしかいない。

 先ほどまで心細くしていた少女は、もういなくなっていた。

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