脳裏に潜んでいた影.03
現実はあまりにも残酷なものだった。
小説のような出来すぎた幸せな顛末などあるわけがないのだ。都合のいい展開や、理想や希望が叶うことはないのだと現実を叩きつけていた。その主犯である男は嘲笑しながら少年少女を見やった。
「ああ、遅せえぞ。たった今撃ったところだ」
ルベルの目の前には、何度も何度も見たことのある死があった。
小さく華奢な妹の体が血で染め上げられている。胴には何か所にも深い赤がぽっかりと穴を開けている。風穴以外に外傷はみられないから余計にその真紅が際立って見える。ルベルはすぐ目の前に広がる光景を拒絶した。
だってそんなもの、受け入れられるはずかない。助けに来た妹が、致死量の血液を流して倒れている。いまにも血の中に沈んで消えてしまいそうなユアンが、死を迎え入れていたのだ。
「ユアン……!?」
彼女をたった今撃った男など目に入らず、ルベルは剣を放って真っ先に最愛の妹を抱き上げた。わずかに息はある。だが、すべて手遅れだ。たとえこの場に名医がいたとしてもユアンは助けられない。全部の血を流しきってしまったのかというほど、彼女に体温は残っていなかったのだ。
「嘘だろ? ユアン、だめだ、だめだ、だめだ!」
ルベルはユアンを抱きしめる。強く、強く。自分の体温がすべて彼女に移るようにと祈った。ユアンはわずかに視線をルベルに向けた。口を開いて言葉を話そうとしたが、声は一切出なかった。
「死ぬなユアン。お願いだから死なないでくれよ、一緒に生きてくれよぉ……!」
声が出ないかわりに、ユアンは懸命に笑って見せた。
これから一人で生きていく最愛の兄へ。
ユアンの意識は沈んでいく。もう二度と浮上できないほど暗闇の中に消えてしまう。彼女の体は魂の抜け殻となり、そのすべては世界から失われてしまった。ルベルの腕の中で、ユアンは息絶える。もう一度、彼女の緑の瞳を見ることは敵わない。もう一度、彼女が笑いかけてはくれない。永遠に――。
「美しい兄妹愛だな」
その声がルベルを悲しみから引きずり出す。ルベルの眼がその男を捉える前に、男はルベルの頭を蹴った。容赦のない先制に成すすべなくルベルは床に叩きつけられた。次いで、ルベルの肩や足を撃つ。息継ぎの間さえ与えない連続した攻撃はすべて命中。またたくまにルベルの四肢はろくに動かなくなってしまった。
「な、にすんだ、てめえ!」
「妹を殺されただとかでお前は俺を殺そうとするだろう? だから先手を打って防衛したまでだ。痛い思いはごめんだからな」
男は拳銃に弾倉を装填し、ルベルの頭に銃口を向けたまま口角を持ち上げた。男の軽い言動にルベルの腹は煮えくり返る。込み上げてくる怒りで頭がどうにかなりそうだった。動かなくなったユアンの体を強く抱きしめながら、ルベルは男を睨む。怒りを表現する言葉がうまく見つからなくて、死んでしまいたくなるくらい悲しくて、大声をあげた。いつの間にか目頭が熱くなっている。頬を伝う涙が痛い。
「殺してやる。絶対許さねえ。殺してやるッ!!」
「やってみろよ」
四肢の不自由なルベルを嘲り笑っている。口先だけでなにもできない子供を恐れる必要はない。男はルベルから無理やりユアンを奪うと肩に担いだ。ユアンを奪われるとは思わなかったルベルは彼女を奪還しようと動かないはずの手足を懸命に動かした。激痛が走り、血が噴き出てもなお、ユアンを取り返すために。男はそんなルベルへ無慈悲にも頭を蹴った。サッカーボールでも蹴り飛ばすような軽々しい動きで。脳震盪で意識を飛ばしそうになった。それでも。それでもルベルは諦めない。
ユアンは世界で一番愛している妹なのだ。彼女と生きるためになんでもしてきた。彼女のためならば手を血に染めようが、死んでしまおうがかまわなかった。そんな最愛が目の前で命を落としてしまった。感じたこともないような感情がルベルを再構成していく。後悔、悲愴、空虚、憎悪。嫌悪、憤慨、殺意。目の前の男を殺したくて仕方がない。気が狂いそうだ。殺して、殺して、殺しつくしてしまいたい。返してほしい。ルベルから最愛を奪ったこの男が憎くて仕方がない。奪還したい。ユアンを。ユアンを返してほしい。
「ああ、あああ」
なぜユアンなのか。どうしてユアンでなければならないのか。よりによってどうしてユアンなのか。頭が割れそうだ。心臓が破裂しそうだ。
この男を、断じて、逃さない。絶対に、殺してやる。
「あああああああああああああああああッ!!」
四肢などかまうものか。知ったことではない。今はユアンを奪還し、男を殺すことだけを――。
「なんだ、こいつ!」
ルベルは男に掴みかかり、彼を押し倒した。それから男の首を絞める。両手でその首を強く絞め、気管を砕いた。首を走る血管を潰し、男を絶命に追い込む。動かなくなった男を殴り、蹴り上げ、踏み潰す。そこでルベルは糸が切れたように動けなくなり、倒れこんでしまう。朦朧とした意識の中、それでもユアンの元へ這って行った。冷たいユアンを抱き、涙があふれる。取り返しのつかない現実が悔しい。
「こんな、情けない兄でごめん。ごめん、ユアン。俺の、俺のせいで」
どこから道を違えてしまったのだろうか。どうしたらユアンを失わずに過ごせただろうか。今日の仕事なんか行かなければよかった。裏社会に手を出さなければよかった。地下施設から脱出しなければよかった。奴隷から逃げ出さなければよかった。尽きない懺悔を呟く。
「ごめん、ごめん、ごめん」
「いいや。そのガキには感謝したほうがいいぞ」
殺したはずの男の声がして、ルベルはとっさに振り返った。
「俺が失敗作でよかった」
などといいながら男はルベルに鳩尾を踏みつけた。ルベルの呼吸が止まり、口から何かが飛び出した。
「このガキは自分の体を引き換えにお前たち汚ねえガキを守ったんだ。そのために死んだんだぞ」
「なに、言って、やがんだ……」
「驚いたもんだ。そこのガキは自分がこの都市に連れてこられた意味を正しく理解していたからよぉ」
「連れてこられた、意味?」
「ま、てめえは一生知りえない事だ。この都市の人口が減少しているのも事実。増やすために製造する方針は俺も好きじゃない。一人を犠牲にてめえら三人が助かるなんてお涙頂戴のいい話じゃないか」
男はルベルの腹を幾度となく蹴ると、最後にまた頭を蹴った。今度こそ、ほんとうにルベルは意識を手放してしまう。その直前に男は言う。
「お前は俺を許さないだろう。俺の名前はガンマだ。忘れるなよ。同情はするが俺は間違っていない。いつか理解してくれると期待してるぞ。ルベルくん」
ルベルはその言葉が暗闇の中でこだまするのを静かに聞いていた。
ユアンを連れて男は立ち去った。そのあと、三か所同時に北区マフィアの拠点を襲撃していた紫音とベルデが順に合流した。ユアンを助けられなかったということは一目瞭然。あまりのショックからか、ルベルはユアンに関する一部の記憶を欠落する。彼女の顔だけがどうしても思い出せなくなってしまったのだ。
この日を境に、三人は別々の行動をとることとなった。
ルベルは奪還屋として、紫音は殺し屋として、ベルデは運び屋として。
――未成年だったルベルらがとうに成人したころ、彼らの前に回収屋としてサブラージが姿を現すこととなった。
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