脳裏に潜んでいた影.02

 四人が見つけたねぐらはずっと放置されていただろう廃墟だった。ところどころ壁が崩れ、外に広がる森が侵入してきている。郊外にあるこの廃墟は以前まで何者かが生活していたのだろう。放っておかれた家具がその生々しい生活感を残していた。四人はこの廃墟で暮らすことに決めた。幸いにも――不幸が転じて――四人はまともな生活を送ったことがない。廃墟での生活は慣れたもので抵抗することはなかった。


 まともな生き方をしたことがなかった四人は、まったく知らない都市で生きるために影へ手を伸ばした。それはこの防御壁都市の裏社会だった。東西南北を統治しているマフィアの下請けをすることから始まった。少年少女の幼い手は時がたつにつれ、次第に赤く、暗く染まっていった。もう後戻りなどできない。人の命を奪ってしまったその手は潔白を取り戻すことは二度とできないのだ。たとえそこにどんな理由があろうとも。しかし彼らの手が汚れてしまった事実は生まれた瞬間から決定されていたことなのかもしれない。奴隷として売り飛ばされた兄妹に、傭兵集団の中で生まれた少女に、狂った教団に囲まれた少年。今さら防御壁都市に放り込まれたところで運命の質は変わらないのだろう。

 当時のルベルらはマフィアとも仕事屋ともつかない曖昧な孤児たちだった。彼らを守ってくれる大人は存在せず、死んだところで悲しんでくれる人間など他にいない。マフィアたちのいいように使われる駒だった。


 ――だから、切り捨てられることだって……。


 それはルベルらが防御壁都市の生活に慣れて一年が経とうとした頃だった。その日、ルベルはベルデと共に西区から輸送される荷物の護衛についていた。運転されているトラックの荷台の上にしがみつき、周辺を警戒する。なにごともなく目的の東区に到着し、荷物の受け渡しを遠くから眺めながらルベルは両手を広げて体を伸ばした。


「今日も仕事終わったなー」

「さすがにトラックの上は寒かったね……」

「早く仕事終わったし中央区に寄って物件でも見てこうぜ。いつまでも廃墟ってわけにはいかねえだろ」

「そうだね。そろそろ貯まってきたし、引っ越したいってユアンも言ってたもんね」


 報酬を受け取ってから二人はどんなところに住みたいかと夢を話しながら中央区へ行った。用を済ませたその帰路でドーナツを買った。非番であるユアンと紫音が待っている廃墟に到着するとすぐに彼女らがいるだろうリビングへ向かった。

 ルベルとベルデは今にも壊れそうな扉を開けてリビングに入り込んだ。古びた家具が散らばったその部屋はしんと静まり返っていた。ユアンと紫音はリビングにいないようだった。ルベルは購入したドーナツを中央にあるテーブルに置いて首を傾げた。


「おーい。ユアン、紫音―。いねえのか?」

「すっごい静かだね。ちょっと僕さがしてくるよ」


 ベルデがリビングを出ていくと、ルベルは室内を見て回った。その行動にとくに意味はなかったはずだ。なんとなく。そう、なんとなく、室内を歩いただけのこと。ルベルは室内の一角に目を奪われた。


「血……?」


 赤色の斑点が、床に落ちている。その斑点はリビングから廊下の奥へ向かっていた。慌ててルベルは再度リビングを振り返る。いつも通り散らかった汚い部屋。だが、これはただ汚いというよりは荒らされているに近いではないか。家具は一部破壊され、壁や床に銃痕が飛び散っている。胸騒ぎがして、ルベルはリビングを飛び出した。血の斑点を追って駆け出す。


「ルベル!」


 近くでベルデが叫んだ。ルベルは壁が崩れたせいで普段はあまり入らない応接室へ飛び込む。そこには頭から血を流して倒れている紫音と、傍に駆け寄ったベルデがいた。


「ぁあ……」


 紫音が掠れた声と共にまぶたをゆっくりと開ける。すぐに飛び起きて立ち上がろうとしたが、バランスを崩して倒れてしまう。


「だ、大丈夫、紫音? 頭から血が……」

「かすり傷だ。そんなことよりユアンは!?」

「まだ見てねえけど」

「まずい……!」


 紫音はベルデの肩を借りてなんとか立ち上がると、ルベルの胸倉を掴んだ。真っ青になった顔がひどく切羽詰まっていて、その焦りからか目尻が赤くなっていた。


「連れていかれた!」


 紫音はルベルの足元で崩れ落ちる。血が滲んでしまうほど強く拳を握って床を叩いた。「私が無力なばかりに」「ごめんなさい」と懺悔を繰り返す。彼女の涙を見たのは初めてだった。


「ユアンが連れていかれた? どういうことだ!?」

「私にも分からないんだ。ただ、急に、マフィアの連中が押し寄せてきて……。……言い訳はしない。私は弱かった。あいつらはユアンを連れて行った。追いかけなくては」

「あいつらって誰だ! 誰がユアンを!」

「白いスーツだった。北区マフィアだろう」

「ッ――ぶっ殺してやる」


 ルベルは紫音を立ち上がらせるとその腕を引いて外へ向かった。ベルデが慌ててルベルと紫音のあとを追って走った。燃え上がった感情に従い、復讐心を掻き立てられたルベルと紫音をただ見送るわけにはいかない。このまま行かせるわけにはいかない。ベルデはルベルと紫音の肩を掴んで引き留めた。


「待ってよ! 闇雲にマフィアのところに乗り込むつもりなの?」

「ユアンがどんな目にあってるか分からねえだろ。のんびりしてられっかよ!」

「でも冷静にならなきゃ! 僕だってユアンが心配だよ。いますぐ北区に突っこんで行きたいけど、もし北区が待ち構えていたら? 彼らの目的はなんだと思う? ユアンだけ?」


 ベルデは危惧しているのだ。北区マフィアがユアンを攫ってなにをするつもりなのか、それを見極める必要がある。ユアンをふくめたルベル、紫音、ベルデの殺害を目的としている可能性だってあるのだ。


「んな小難しいこと考えてられるかよ!」

「わざわざユアンを誘拐してるんだよ。意味があるに決まってるよ!」


 ベルデはルベルを自分の方に向かせると、その頬を拳で思いっきり殴った。ルベルは勢いのまま床に全身を叩きつけられる。


「頭を冷やして!」


 ベルデが怒鳴りつけた。驚いて目を丸くしたルベルは言葉に詰まったようだった。ぽかりとあいた口から続く言葉がない。ベルデの言うことは正しい。下唇を噛んで下を向いた。


「僕、偶然聞いたことがあるんだ。マフィアたちが僕らを邪魔だと思ってるらしいんだ」


 ベルデは背負っていたライフルを抱えて床に腰を下ろした。ライフルの調子を窺いながら、心当たりのある出来事を口に出してみる。すると紫音にも心当たりがあったのか、「そういえば」と呟くような小さな声を溢した。


「逃げたガキどもを見つけた、なんて話を聞いたことがある。もしかしてそれは私たちのことだったのか」

「逃げたってなんだよ。俺たちが最初にあった変な地下から脱出したことを言ってんのか?」


 そもそも捕まった覚えなどないと、ルベルは吐き捨てた。しかし記憶がないのも事実である。


「ユアンだけを狙ったんじゃない。ユアンと僕たちを狙ってるんだ。そのためにユアンを誘拐して僕たちをおびき寄せようとしてるんじゃないかな。だからまっすぐユアンのあとを追うのは愚策だと思う」

「だからって悠長にできねえぞ!」


 考えている暇すら惜しい。ユアンは今どんな目にあっているのかと思うと胸が締め付けられた。妹のためならば命だって投げ捨てられる。なによりも大切にしている唯一の家族なのだ。なんとかベルデの言う通りに踏みとどまっているが、いますぐにでも駆け出して北区マフィアの拠点に襲撃をしてしまいそうだ。その衝動を抑えつける理性だっていつまで続くか……。


「北区マフィアの拠点だってたくさんある。どこにユアンを連れて行ったのか」

「私、八番街と聞いたが」


 ルベルとベルデが一斉に紫音の方を向いた。紫音は首を傾げながら「目的地が分からないのに行こうとするわけがないじゃないか」とため息をする。

 八番街といえば北区の中心地から少し外れた場所だ。古びた建物が多く、そのほとんどは空いている。ところどころに店が開かれているが、中心地と比べて圧倒的に人通りが少ない。しかしまったく人気がないわけではない。そのためルベルたちは隠密行動をしなくてはいけない。場所は敵地。そうすれば行動制限を強いられるだろう。

 それでも。それでも。


「絶対にユアンを助けるぞ」

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