DESPAIR

脳裏に潜んでいた影.01

 身震いする寒さを覚えて少年ルベルは目を覚ました。

 少しだけめまいがしたがゆっくりと上体を起こして、寸前の記憶を呼び起こす。自分は何をしていたのか、どうして寝転がっていたのか思い出せない。頭を抱えて身の回りを見てみる。最初に見つけたのは妹のユアンだ。ルベルの隣で寝息を立てている。彼女の頭を少しだけ撫でたあと、周辺の様子を窺う。


「どうなってんだ……」


 周囲はルベルの知らない場所だ。真っ暗だが夜目はよくきく。高い天井近くにしかない小窓から降るわずかな月明りを頼りに見た周囲とは、清楚なベッドのみの部屋だった。鉄の冷たい骨組みでできたベッドは少年には見たこともないほど真っ白なシーツが用意されている。ベッドは二段式で、壁に沿って二台並んでいる。二段式ベッドの間には子供がすれ違うことができる程度のスペースしかない。どうやらルベルとユアンは二段目にベッドにいるようだった。

 ルベルは次に、ユアン以外にも寝息があることに気が付いた。二段式ベッドには自分たち以外にも誰がいるようだ。ルベルは慎重に頭をおろして下段を覗いた。


 そこに居たのはこちらに寝顔を向けている銀髪の少女だった。太陽の光を浴びたことがないのかと思うほど色の白い肌が暗闇に浮かび上がっている。その寝顔は健やかとは言えない。強く口をつぐみ、眉間には浅く皺が寄っている。続いてルベルはその少女の向かい側、ルベルの位置からは対称となる方向を見た。そこにはブロンドの髪をした少年がまぶたを震わせていた。眠りながら涙を流している少年を確認して、ルベルは姿勢を戻した。


「わけわかんねえ」


 状況が分からない。とりあえずルベルはベッドを降りて床に立ってみた。唯一の鉄製ドアに近づき、ドアノブを回してみたが、鍵が閉められているようだ。ドアは開かない。肩を落としてため息をした。

 ルベルのその様子とはなんと無防備だったことだろう。彼の背後には息を殺した暗殺者が立っているとは気づきもしない。

 油断していたルベルの膝裏に突然、強力な衝撃が響き渡った。ルベルが気付いた時にはすでに遅く、腰を打って床に叩きつけられていた。仰向けになったルベルの肩を踏んで、その少女は彼の顔を覗き込む。殺意に満ちた恐ろしい形相で。


「お前は誰だ?」


 彼女は下段で寝ていた銀髪の少女だった。


「てめえこそ誰だよ」


 ルベルは両足を合わせて少女の頭部めがけて振り上げる。少女はルベルの肩から足を離して後退した。即座に起き上がったルベルは少女に拳を向けた。少女はルベルのパンチを薙ぎ払い、空いた懐を潜って背後を取る。少女の手刀が正確にルベルの首を狙って振られた。ルベルは頭をおもいっきり後ろに振って頭突きをする。思わぬカウンターが鼻に直撃し、少女は鼻血をたらりと流した。それを袖で荒っぽく拭うと、今度は回し蹴りを放った。狭い空間だが、器用に彼女の脚はルベルの胴に直撃する。ルベルは踏ん張ったものの彼女の蹴りは強く、彼は二段式ベッドに叩きつけられた。畳みかける少女の踵落としを交差させた腕でなんとか防御してしのぐ。続いて少女はパンチを繰り出したが、これはなんとか回避する。

 ルベルと少女の攻防は無言ながらも騒がしく、眠っていたユアンとブロンド髪の少年を起こすには十分だった。


「な、なに……?」

「お兄ちゃん何してるのっ?」


 飛び起きたユアンが声をあげるが、当のルベルと少女は視線すら寄越さない。二人の攻防は続行された。しびれを切らせたユアンは自分が羽織っていたシーツをルベルと少女の頭上に投げ込んだ。驚いた二人の視界は真っ暗になる。


「もー! な、に、し、て、ん、の! なんで喧嘩してるの!」


 ユアンは声を荒げた。すぐにシーツを取り除いたルベルがふくれっ面でユアンを睨みあげるが知ったことではないとユアンはそっぽを向いた。


「こいつが急に手を出したんだよ」

「私は誰だと聞いただけだろう」

「ああん? あれが人にものを聞く態度かよ」

「私の敵かもしれない人間にやさしく問えというのか」

「なんだてめぇ! 俺が敵だってのか?」


 ルベルと少女は互いに睨み合う。その視線に火花が見えそうだ。


「ちょっと待った。待って。私もそうだけど、もしかしてみんなここがどこだかわかってない?」


 ユアンはベッドを降りて、ルベルの隣に立った。ルベルはもちろん、少女も、泣きそうな表情になっている少年も頷く。この場所どころか状況が一切わからなくて混乱しているのだ。恐ろしいことに、この場にどうして居るのか心当たりのある記憶すらない。最後に残った記憶は彼らにとってのすこしばかり現実離れした日常。ぷつりとブラックアウトした先に唐突のこの状況。混乱するのも無理はない。

 この場にいる四人が同じ状況下にいることが判明すると泣きそうだった少年の表情が少しだけ和らいだ。仲間に近しいのだと思って安堵したのだ。


「私の名前はユアン。こっちはお兄ちゃんのルベル。あなたたちは?」


 歩み寄ってみようと、なるべく敵意のない笑顔になると先に涙目の少年がユアンに答えて自己紹介をした。


「ぼ、僕はベルデ。僕も、その、起きたのがついさっきで、なにがなんなのか分からないよ」

「ふん。私は紫音」


 ベルデのほうはへたくそな笑顔で、紫音はぶっきらぼうに。


「ここがどこなのか心当たりはあるか? 直前の記憶はどうだ?」

「私とお兄ちゃんはなにもない砂漠をずっと歩いていたの。水場になんとかたどり着いたところまでは覚えてるんだけど。こんな場所、全然知らないよ」


 ユアンはルベルと顔を見合わせる。ユアンとルベルの記憶は一致していた。死にかけた状態で灼熱の砂漠を歩いた記憶が根強い。ベッドしかない狭い部屋に押し込められるような覚えはないのだ。


「私が最後に覚えているのは……、仲間と飯を食べていたことくらいだ。ここが刑務所でないなら心当たりはないが」

「け、刑務所!?」

「お前……ベルデが刑務所なんて言葉に驚くような善人だとしたら、ここは刑務所ではないだろう。ベルデはどうだ?」

「僕が最後に覚えているのは、汽車のなかだよ。たぶんその中で居眠りをしたんだと思うけど……。こんなふうに閉じ込められる心当たりはないよ」


 記憶はバラバラ。同じ年頃の少年少女であること以外、現状では共通点はない。誰一人心当たりがないせいか、謎は何一つ解消されていなかった。考え込むよりもはやく、ルベルは頭をかきむしってドアを指した。


「出るぞ。こんなところにいたって変わらねえよ」

「賛成だ」


 ユアンとベルデは異を唱えることはない。ルベルと紫音はドアの前に立ってドアノブを掴む。やはりぴくりとも動かない。ならばと助走をつけてドアに体当たりをしようとしたルベルを紫音はあわてて抑え込んだ。


「状況が分からないんだ。隠密行動を心掛けろ! ほら、あそこに窓があるだろう」


 紫音はドアの位置とは反対側にある壁を指した。小さな窓が天井に近く高い位置でぱっくりと夜空を見せていた。窓の大きさは子供一人がなんとか通り抜けることができる程度のもの。しかし問題は位置だ。どうしたって手が届かない。床から窓まで三メートルは超えているだろう。


「僕、い、いけるかも」


 手を挙げたのはベルデだ。彼はベッドに乗ると、その二段目にのぼった。そして身軽にひょい、と軽々しく窓に飛び移る。窓の桟を掴んだだけのその手が身体を引っ張り、幅数センチだろう桟にベルデが乗った。


「すげえな」


 ずっと泣きそうな顔をしていた気弱な少年が意外な動きをした様子にルベルのみならずユアンと紫音も目を見開いている。その表情を見て、ベルデは少し困ったような表情をした。


「えっと……ここの窓、そもそも開閉できないみたい。で、でも、壊せば通れるけど……。どうする?」

「お前、案外……。いや、なんでもねえ。やることは決まってんだろ」

「そうだな。壊そう」


 ベルデはすぐに窓を壊すことにした。腰に巻いていたベルトを取るとその金具の部分を窓に叩きつけた。何度か叩いているうちに窓ガラスにヒビが入り、ついには砕いてしまった。子供の体は小さな窓をすり抜けて出ていく。


「えっ」


 ここが何階にあるのか、窓から地上へどのくらい高さがあるのか分からないが、躊躇なく出たベルデに驚いてしまう。束の間、すぐに窓からベルデの頭と手が伸ばされた。


「つかまって。僕が引っ張るから。あんまり、その、頼りないかもしれないけど……」


 最後の方はゴニョゴニョと声を小さくしてベルデの顔が俯いていった。自信のない表情をしているが、大したものだとルベルとユアンは感心した。


「いいや。ずいぶんと頼もしい」


 紫音は苦笑した。もっと自信を持てとその優し気な表情が言っている。

 はじめにベルデの手を掴んだのは紫音だ。窓の真下にいるルベルを足場に体を持ち上げてもらい、室内を脱出する。同じようにユアンも窓から脱出した。最後に残されたルベルは助走をつけて壁を蹴り上げてなんとかベルデの手を掴むにいたった。

 窓の外に出るとすぐ落下するものだとばかり思っていたルベルは拍子抜けした。窓を出たすぐは地面だったのだ。ルベルたちがいた部屋は二階や三階などではなく地下だったようだ。


「まっくらで誰もいない……。はやくここを離れようよ。ここ、変な感じがするもん」


 ユアンは周辺をキョロキョロと見渡してはルベルの袖を引いていた。ユアンの意見には賛成だった。全員が直前の記憶を落とした状態でベッドに寝かされていた状況が異質である。奇妙であることを理解していた少年少女はそのまま駆け出して行った。


 四人はその都市の姿を目の当たりにして息をのんだ。

 見たこともないたくさんの、たくさんの目に移り切らない光の数々。夜の世界だと言うのに影を追い払うほどの明るさがあまりにも眩しく。こんな世界は知らない、見たことはない、感じたことはない。ずっとずっと泥沼の汚い世界で這いずってきた少年少女にはあまりにもこの光は眩しすぎる。まるで宝石箱を覗くような好奇心で都市を見上げた。

 言葉を失う新世界の光景に胸を高鳴らせた。同時に、未知の光景を恐れた。視界いっぱいの光の下には一体何が待ち受けているのだろうかと。

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