防御壁都市と真相.04
見事、校舎の中に学校関係者はいなくなった。
人の声はなく、人の気配も消え失せたこの閉鎖空間にはおぞましいほどの静けさが漂っていた。遠くで巡回しているマフィアの音などまったく気にかからない、耳に入らないと一人の少女は無防備に廊下を突き進む。鼻歌さえ交えながら、ここが春のうららかな花畑であるかのように長い髪をなびかせている。スクールジャックをされた校舎内を歩いていく少女はあまりにも場違いであった。
「ふふふ。笑えるくらい誰もいない」
などと呟きながら少女は家庭科室へ入り込んだ。驚くことに、その少女はケトルを引っ張り出してお湯を沸かしはじめたのだ。ティーパックとティーカップそしてミルクを用意する。彼女はティータイムを開始してしまったのだ。
「北区マフィアの作戦は決行されちゃったんだねえ。ふうん」
などと独り言をつぶやいている少女のもとへ一本の電話が入る。少女は携帯電話の画面にうつる名前をみてしばらく出るか悩んだ。しかし出ずに無視をしたほうが後々面倒な小言をいわれると考えて電話に出ることにする。
『大丈夫!?』
「ごめんごめん。なんの用かな、助手くん」
『……』
少女が話す相手は情報屋の助手だ。開口一番に助手は慌てた様子で受話器に食いついたようだが、少女の声を聞くなりぴたりと黙り込んでしまった。
『えっと……、もしかして……』
「そう。わたしだよ」
深い深いため息をされた。少女はむっとして頬を膨らませる。自分の声を聞くなり落ち込むとはどういう了見だ。
「悪かったね、わたしで」
『いや……。君なら心配する必要はなかったね……』
「失礼な奴だなあ」
『ところでそっちの状況だけど』
「ああ、こっちはデルタ率いる少数の北区マフィアが西区の中等部をスクールジャックしているよ。生徒や教職員とかはまとめて体育館に詰め込まれている。いまのところ銃の音は聞いてないし、みんな無事なんじゃないかな」
『やっぱり、そこのスクールジャックは』
「そうだね。北区マフィアによる陽動だ。本命は西区マフィアの本拠地。いまごろそっちを襲撃しているだろうね」
『うん。幹部クラスは家族もろとも皆殺しをされている真っ最中。ガンマがいるところを見るに、たしかにこちらが本命みたいだ』
「あれれ。助手は西区マフィアの本拠地近くにいるの?」
『この情報はあれば高く値が付くからね』
「おや、優秀じゃないか!」
少女は手を叩いた。守銭奴らしい考え方だが、情報をもって商売する身だ。助手が偵察に行って確実な情報を得られるのならこれは素晴らしい。直接その目で、防御壁都市の変革を客観的に観察することができるのだ。今後この情報を欲しいという人は数多現れるだろう。商売繁盛である。
『僕の上司様も、まさか直々に陽動作戦の中に被害者として乗り込むとはね……』
「ほとんど事故のようなものだけど。ま、当事者として近い視点でみられるのは面白い。でも勘違いしてはいけないよ。わたしたちは情報屋。出来事の中心にいちゃいけないんだぞ」
『左都の誘拐の件は僕が悪かったよ……』
「十分反省しているようだね。まあ、左都は怒ってないさ」
少女の持っているティーカップが空になった。つい助手におかわりを頼もうかと思ったが、助手は近くにいない。いつも傍で話をしているものだから癖としてティーカップが宙に差し出されてしまった。
「あぁ、ええと。じゃあまたあとで」
助手に見られていないとはいえ気まずくなった少女は彼の返事などろくに聞かず、通話を切ってしまった。それから自分でおかわりを注ぎ、カップに口をつけた。彼女は中等部の制服を着ているものの、その正体は情報屋だ。情報屋とは普段から姿を現さずずっと潜んでいる。おおげさに言ってしまえば存在さえあやふやになるほど隠ぺいしているのだ。それなのに、今の情報屋は北区マフィアが支配下においている校内でティータイムを楽しんでいる。そもそも情報屋がここに現れたのは、彼女の言う通り事故なのだ。はやく引っ込んでしまいたいと思いながらも情報屋はテーブルに肘をついた。
「今日は記念すべき革命の日。変革の時。この都市はどう転がってしまうのかな」
薄笑いを灯して、情報屋は静かに目を閉じた。
……校舎内を徘徊するのは白いスーツを着ている北区マフィアたちだ。サブラージは北区マフィアに気付かれないよう物陰に身を隠しながら、教室棟から特別教室棟へ移動していた。ここまで移動して、北区マフィアの動員人数は比較的少ないとサブラージは思う。スクールジャックをしている割に、一階、二階、三階のそれぞれを巡回しているのがおそらく一人ずつ。それもかなり下っ端。まるで不良少年からマフィアへ移行したばかりの新人のようだ。彼ら彼女らは隙だらけ。視線は好きな方向に向いていて、集中力は散漫としている。
「なにあれ。ジャックする気あんの?」
意気込んで倉庫を出たサブラージだったが、拍子抜けするほど容易に移動ができる。こんなものかくれんぼと同レベルだ。北区マフィアの考えていることが分からず、サブラージはひそかにため息をつく。とにかく、体育館へ向かって生徒を含めた学校関係者の安全確認をしなくてはいけない。もし危害を加えられているようだったらそれを止める。どんな理由があっても一般人を傷つけてはいけない。裏社会の人間が彼ら彼女らの生活を暴力で脅かすことなどあってはならないのだ。
「やっぱり、最近の北区マフィアはおかしいよ。他のマフィアたちはなにしてんの……」
「みんなみんな様子見らしいよ」
「ひっ!?」
柱から廊下の様子を窺っていたサブラージは突然耳に息を吹きかけられて驚き、腰を抜かした。しりもちをついてから、唐突に話しかけた者の正体を見るべくあわてて見上げた。サブラージの顔を覗き込むようにして見下ろしているのはデルタであった。
「な、ななっ」
サブラージは慌てて短剣を抜刀してデルタに向けた。しかし腰の抜けたサブラージなど脅威にならない。デルタは膝を折ってサブラージと視線を近くする。
「い、いつの間に!」
「ついさっきだけど。サブラージ油断しすぎなんじゃないかい」
相手が予想以上に弱いと判断していたせいでサブラージは油断をしていた。反論できず、サブラージは言葉を詰まらせた。
「あんたたち、学校でなにしてんの!」
間抜けな姿を吹き飛ばすようにサブラージは腕に力を入れた。デルタは首を傾げて微笑みを深くする。
「別に。なにもしないよ」
「はあ?」
「うん、まあ、ぼくたちは西区マフィアの目をこちらに向けたいだけだから。この学校にいつ人間をどうこうする気はないかな」
デルタは立ち上がり、サブラージに手を伸ばす。サブラージは伸ばされたその手を振り払って立ち上がる。デルタは肩を落とすと、サブラージの隣を通りすぎて歩いていく。サブラージは慌ててデルタの後を追った。
「どういうこと? なにをしようとしてるの……、北区は……、まって、デルタが真面目に働きすぎてる。北区マフィアじゃない。彼氷は何をしようとしてるの?」
デルタの脚が止まる。それからゆっくりと振り向いた。その表情には何もなく、サブラージは警戒する。デルタは彼氷以外のことなどどうでもいいと考える過激派であり、そして彼氷をどんな形でも傷つけるものには容赦ない。容易に彼氷の名を出したサブラージは後悔する。デルタがどんな行動に出るのかまったくわからないのだ。
「よくわかったね! そう! 彼氷こそが北区マフィアの頂点、ボスにふさわしい!」
「え……いや、そんなこと私言ってない」
「ぼくはサブラージのことを出来損ないと思っていた。やはり君もぼくと同じ第四世代だ」
サブラージがはっと顔をあげる。デルタは笑っていた。うれしそうににこにこと笑って拍手をしている。一方のサブラージはデルタの言葉に心臓が大きく鼓動したことに気付いた。自分が第四世代だとすっかり脳裏の隅に追いやられていた。ルベルや左都と過ごす日常が、己の正体をどこか遠ざけていたような気がしていた。気がしていただけだったのに。
「同族のよしみで教えてあげよう、彼氷の素晴らしい計画を!」
サブラージは北区マフィアの計画をデルタの口から告げられることとなる。スクールジャックをすることで西区マフィアの目を向ける。しかしこのスクールジャックは陽動。本当の目的は西区マフィアの殲滅であると。
そしてデルタは話をもう少しだけ続けた。
「さっきミューから連絡があったけど、あの奪還屋と殺し屋と運び屋が西区マフィアの本拠地に向かったらしい。ほらほら、西区マフィアの本拠地ってやばいだろう? 地下で何を作っていたか」
「――っ」
「彼らは知ってしまうかもしれないなあ」
視界は真っ白に覆われる。しかしサブラージの耳にははっきりとデルタの言葉が届いていた。視界はまともに機能していないというのに、デルタの言葉だけが際立って聞こえているのだ。
「この防御壁都市の、そしてそこに住まう人々の本当の姿を」
途端、サブラージは走り出した。廊下を全力疾走し、階段を飛び降り、正門を乗り越えて。途中、校舎へ急行する西区マフィアの車とすれ違ったが、サブラージは立ち止まって校舎内の状況や北区マフィアの計画を伝える暇などない。
とにかく急いで、走って、走って、走って。
覗いてはいけないのだ。西区マフィアの地下に広がる巨大な施設を。
ルベルたちだけは、ルベルにだけは知られてはいけない。
それを知ってしまえば、サブラージは彼に合わせる顔がない。どうしたらいいのか分からなくなってしまう。ただ足元が崩れ、奈落の底へ落ちてしまうことだけは分かっていた。生まれてからずっと、正体を知られてしまうことだけは避けるよう努力を続けていた。だから――。
「お願い、お願い……ッ! 知らないで、気付かないで」
繰り返しながら、サブラージは足を止めない。足がもつれて転んでしまっても再び立ち続ける。無我夢中になってルベルの元を目指した。
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