防御壁都市と真相.03

「じゃあ出発するよ。西区マフィアの邸へ向かっていい?」

「そうしてくれ」


 ベルデは音もなく車を発進させた。目指しているのは西区マフィアのボスの血族が暮らす邸である。そこは西区でもっとも外れた場所に位置している。防御壁に接するようにぐるりと内側を覆っている深い森。都市を囲うように広がる森を背後にしてそびえたつのがマフィアの本部ともいえる邸である。これは西区マフィアに限ったことではなく、北区、東区、南区のマフィアも同じく森を背後に巨大な邸を構えている。邸より手前にはマフィアの幹部らが住んでいる家々が並んでいる。その中をベルデの車が滑りぬけていた。この小さな住宅街に入ったルベルらはふと違和感を覚えた。

 どの家も扉が開いているのだ。西区マフィアの幹部が暮らしている家にしては不用心すぎる。あまりにも無防備なその光景に、まず紫音がベルデに車を停めるよう言った。


「どういうことだ。おかしい」

 

 紫音は拳銃を握り、周囲を警戒した。辺りは驚くほど閑静だ。その静まりようは嵐の前の……などという言葉がふさわしい。ルベルは槍のカバーを外し、ベルデは車のトランクに入れていたボルト式ライフルを取り出した。その銃身にはナイフが装着されており、銃剣にもなっているようだ。


「もう北区マフィアが制圧したあとなのかもしれないよ。家の中の様子を確認しよう」


 ルベルたちは一番近くにあった家の中に侵入した。一般家庭より豪華なその家は入ってすぐに大きな玄関を見上げることとなる。職人が魂を込めたシャンデリアに飾られた玄関からは左右と奥に扉があった。


「ちょうど三方向にわかれてるな。手分けすっか」

「そうしよう。私は奥へ行く。ルベルが左で、ベルデが右でいいか?」

「おう」

「わかった」

「それぞれ探索が終わればいったんこの玄関に集合しよう」


 紫音の指示通りルベルは左側の探索へ向かった。左の扉を開けた先はどうやら書斎兼応接室のようだ。立ち並ぶ本棚と、中央には机がある。少々荒らされているようだった。机の上にあったであろうランプやファイルは床に散乱し、またここにあった観葉植物も土を床にぶちまけていた。窓ガラスにはヒビが入り、カーテンは破られている。くまなくルベルが捜索するが何も得られることはなかった。それ以上部屋は続いていなかったため、いったん玄関まで引き返すことにした。

 玄関にはすでに探索を終えた紫音が周辺を警戒しながら立っている。


「一応聞くけど、収穫はあったか?」

「ないな。その様子ではルベルも何もないか」

「おうよ。書斎が荒らされていた程度だな。とくになにもない」

「そうか」


 ルベルと紫音が話しているうちにベルデも戻ってきた。彼も収穫がなかったようで、首を横に振っている。三人は玄関から二階へ続く階段を上ることにした。

 階段を昇っている最中にガタンと物音が響いた。三人は急ぎ足でその足音がした場所へ向かった。その部屋はどうやら女の子の子供部屋のようだ。部屋の壁紙はかわいらしく花柄で、緑色のカーペットが敷かれている。部屋のそこらじゅうにぬいぐるみや絵本などが散らばっていた。この部屋も書斎のように荒らされたようで、中には壊れたぬいぐるみもあった。中途半端に開かれたクローゼットや雑にめくりあげられた布団の毛布、倒された本棚。姿見はひびが入っていていた。この部屋に、ぱっと見は誰もいない。しかし人の気配は確かにする。


「誰かいるのか?」


 紫音が声をかける。しかし返事はない。紫音はルベルとベルデへ部屋の外へ出てもらうよう言った。もし相手から自分たちが見えているようだったら、槍とライフルを持った男を警戒するだろう。二人は紫音の意図に応じて部屋から出ていく。紫音も己が持っていた拳銃をガンホルスターにしまうと、もう一度問いかける。


「誰かいるのか?」


 しばらく間を開けてから、ごそりと物音がした。紫音は何もせず待ってみることにした。もしこの物音の原因が紫音らの敵であるならすでに攻撃されているはずだ。なにもしないうちは物音が敵であると断定できない。もう一度物音がして、その正体が姿を現した。


 紫音は予想外の正体に驚く。それはまだ物心がついたばかりの幼い少女であった。ずっとクローゼットの奥に隠れていたようだ。少女が入っていたのはクローゼットの中にある箱の中。小さな身をずっと押し込めていたのだろう。少女がクローゼットから出てくると、その箱もクローゼットから滑り落ちてきた。ずいぶん泣きはらしているようで、目は真っ赤に充血しており、頬には涙のあとが残っていた。


「わるい人なの……?」


 少女は慌ててクローゼットの中に戻り、その隙間から紫音の様子を窺った。不愛想な紫音は精一杯に愛想を取り繕って笑ってみた。あまりにぎこちない笑顔だっただろう。こういった愛想はベルデが適任なのだが。


「悪い人じゃないよ。君はどうしてそのクローゼットの中に隠れていたの?」


 いつもより少し高い声、優しい口調、ゆっくりと穏やかに話す紫音に、外で待機しているルベルが吹き出した。紫音は恥ずかしくなって頬を赤く染める。咳払いをして、少女の視線に合わせるように膝を折った。両手は隠さないように気を付ける。


「わるい人が……おうちに来て、お、おかあさんとおにいちゃんをいじめて……つれて……、行っちゃったの……」


 少女は言葉を詰まらせながら、また涙を浮かべる。大粒の涙がひとつ、ふたつと落ちていく。紫音は泣き出した少女をどうしたらいいのか分からないようで、空になった左右の手がわなわなと空中を漂った。またルベルが吹き出した。見かねたベルデが、ライフルをルベルに預けて部屋に入る。少女は突然部屋に入ってきたベルデに驚いたものの、優しく抱きしめられればそのまま彼に身を任せた。「怖かったね、怖かったね」と頭を撫でられると安心したようで、ベルデにすがるようにして泣いた。


「す、すまん……、ベルデ。助かる」

「いいよ。気にしないで」


 泣き出す少女をあやせなくて落ち込む紫音の肩を叩いて慰める。不甲斐ないと紫音は顔を隠してベルデに背を向けた。またもルベルが吹き出す。


「何が起きたんだろう。悪い人って……」

「あのね、白いお洋服をきていたよ。みんな、てっぽうをもってたの……」


 ベルデらに敵意がないと分かった少女は「わるい人」の特徴をあげていく。それは白い服、銃火器を持っていて、恐ろしい形相をしていたらしい。多人数で、この少女の家だけではなく他の家にも襲撃があったようだ。玄関の扉が開いたままだったのは襲撃のあとだろう。


「この子のいう悪い人ってたぶん北区マフィアのことだよね」

「だろうな。いよいよ西区マフィアが危ないな」

「邸へ向かいたいけど、まずこの子を安全な所へ連れて行かないと」


 ベルデは少女の背中をぽんぽんとたたいてあやす。まるで赤ん坊を抱く母のようだ。ここは空っぽの住宅街。北区マフィアが襲撃した場所に安全なところなどない。いったん街まで引き返すしかないのだ。


「なら運び屋の出番だろ」


 扉を隔ててルベルが提案する。これには紫音も賛成した。


「わかった。僕がこの子を安全な所へ連れて行くよ。二人はこのまま邸へ向かう?」

「このまま立ち止まっていても埒が明かないからな。ルベルと先に邸へ向かっていよう」


 頷いてからベルデは車に向かうため部屋を出る。すれ違いざまにルベルからライフルを受け取った。


「おにいちゃんたち、わたしのおかあさんとおにいちゃんを助けてくれるの?」

「そうだね……。きっと」

「帰ってくるかな、だいじょうぶかなぁ」


 少女はベルデにそう話し、スポーツカーに乗り込んでいった。その車を見送り、紫音は部屋を出てルベルの隣に並んだ。


「何度も吹きだしていたな、ルベル」

「気のせいだろ」

 

 紫音はルベルを小突いた。しかしそれは見事なほど的確にルベルの鳩尾を突いている。思わぬダメージをいただいたルベルは喉からカエルの潰れたような音が出た。睨んだ紫音は鬼のようで、ルベルは視線を彼女から逸れていく。ルベルもそうであるが、紫音も目つきが悪いのだ。


「邸に行こうぜ。な」


 あわててルベルが先に階段を下りていくと、紫音も後に続いた。住宅街はやはり閑静だ。少女の家族が連れ去られたというのだから、この静けさは住民がいないからなのかもしれない。


 それから二人は住宅街の奥にある邸へと向かった。住宅街から森が見えているため、そこを目指して進む。おのずと見えてくるのは巨大な邸だ。大きな黒い鉄格子の門のむこうにはレンガ造りの青い屋根をした邸がある。西区マフィアのボスの血族が暮らしている。そして自宅以外にも西区マフィアの本拠地としても機能している。


「やかましいな」


 耳を澄まさなくても分かるほど、けたたましくその邸から銃撃戦の音が聞こえていた。時折断末魔なども響いており、窓に血が飛び散っている。鉄格子を軽々と飛び越えた二人は、その邸へ侵入することにした。この館も玄関の扉は開きっぱなし。開いたドアの向こう側を覗いたルベルは目を細くした。やはりというべきか、邸内は赤く血に染まっている。鉄臭い臭いが扉の隙間から漂っていて、覗いていない紫音でもその内部を容易に想像することができる。しばらく嗅いでいなかった濃い血の臭いにルベルはつい槍を握る拳に力が入った。


「周囲に人はいない。俺が先頭を行く。後ろを頼む」

「任せろ」


 紫音が拳銃の安全装置を外すのを確認し、ルベルは邸内部へ侵入した。倒れている死体は西区マフィアのものが多いが、北区マフィアのものもある。真っ赤な池のようになった床を進み、まずは一階を進むことにした。左右に伸びる長い廊下。右側から銃撃戦が聞こえる。そちらへ向かうことにする。

手前にある部屋から一つ一つ確認していく。しかしどれもこれも死体があるばかりで生きた人間はいない。その死体も、マフィアに所属しているだろう成人男性、成人女性のものから、マフィア幹部もしくは血族のものである女性や子供も混じっていた。


「酷い……。殲滅しているのか」

「西区マフィアを潰すどころじゃねえな。滅亡に追い込んでやがる」

「あの少女の母と兄は」

「……絶望的だな」


 ルベルと紫音は進んでいく。銃撃戦は次第に止んでいく。早々に決着がついているようだ。その部屋は最奥。ルベルと紫音が扉に張り付いて聞き耳を立てた。中からは錯乱した女性の声と銃の発砲音だけ。それだけ聞こえていたが、女性の甲高い悲鳴と金切り声を最後に音はピタリと止んだ。ルベルと紫音はお互いに目を合わせて、それから部屋に飛び込んだ。


 真っ赤、真っ赤、真っ赤。飛び散った血は床や壁、はては天井に描かれている。転がる死体はすべて女性や子供のものだった。おそらく住宅街に暮らしていた住民であろう。軽装で身を包んだその死体はどれもこれもが死ぬその寸前の辛苦をそのままにしている。


 ふいに、ルベルはひとつの死体に目を奪われた。それは黒髪の少女のもの。十代前半の若い少女が緑の目を大きく開けて死んでいる。白い肌は鮮血に濡れ、恐怖に強張らせたまま絶命していた。肩にかかる程度のその髪、緑の瞳、少女の死体。こびりついたあの時、あの瞬間の記憶が映像にしてルベルの脳内をフラッシュバックした。この死体は、似ている。似ている。ルベルにとって唯一の。そして世界で一番大切で、愛していた――。


「おい、ルベル。どうする? あいつ……、ルベル?」


 部屋の中央にいる男を見て、ひどく殺意をむき出しにした紫音が隣にいるルベルを見上げた。だが彼の様子がおかしい。ルベルはただ一点を見つめて、動かなくなっていた。はちきれんばかりに目を大きく開き、次第に呼吸ができなくなる。息が止まって、生きているのか死んでいるのか分からなくなってしまうほど体温が急激に下がる。


「あれから見てなかったけど、いやいや。復活が早いなルベルくん。紫音ちゃんは久しぶりだな」


 部屋の中央にいる男――ガンマは乾いた声で笑った。ルベルの背中をさすっていた紫音は彼を強く睨みつける。


「ここで何をしている。ガンマ」


 殺意をそのままにしたようなおぞましい声で紫音は問う。しかしガンマはその声音にまったく怯むことなく、むしろ笑っていた。手に持っている軽機関銃の銃口をルベルと紫音にふらふらと向けた。照準は定めていないようでその狙いは不安定だ。


「何を? 見てわからねえか?」

「この光景に対して聞いているんじゃない。北区マフィアが西区で何をしているのかと聞いているんだ」

「なんだ、そっちか。それも見てわかる通り。ぶっ殺してんだよ」


 ガンマはルベルと紫音に近づく。ゆっくりとした足取りはじわりじわりと迫っていた。紫音はルベルから手を離し、ガンマに銃口を向ける。しかしガンマは歩みを止めない。距離は近づく。


「来るな。撃つぞ」


 紫音がそう言ってもガンマは止まらない。紫音は彼の足元へ一発撃ったが変化はない。やがて、紫音の向けている銃口がガンマの胸に触れた。引き金を引けばガンマの心臓が確実に破れる。それなのに異常なほど、ガンマは殺意を向ける紫音に対して冷静だ。


「障害にならなければ、我らは君たち人間を殺しはしない。蹂躙されたくなければ大人しく我が家へ帰り、静かにしていることだな。さもなくば、あの時のようにまた大切な仲間を失うかもしれねえな?」

「ばっ、馬鹿にしているのか!」


 紫音は怒鳴って、銃口を使ってそのままガンマを押した。しかしガンマは頑丈で、びくともしない。


「これから防御壁都市は変革する。とうに観測の目は失せた。見放された防御壁都市はこのままでは滅びる。だから我々は変革を起こす」

「――な、なんの、ことだ――?」


 ガンマはさらに一歩前へ。紫音は押し返されてしまい、一歩、二歩と後退した。ガンマのその静かな覇気に圧し負けている。


「そのための犠牲だ。変革のための」


 顔がぶつかってしまうほどの近距離で、ガンマは口角を上げた。いつの間にか紫音の腕に力は入っていなかった。ガンマは易々と紫音の向けている銃口を退けてしまうと、呆然としている紫音、そして呪われたように動かなくなったルベルの横を通り過ぎて去ってしまったのだった。

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