防御壁都市と真相.02
「よう、ルベル。邪魔してるぞ」
朝方まで奪還屋の仕事をしており、たった今帰宅したルベルは唖然とした。ビニール袋に入った朝食を落としそうになり、すんでのところでこらえる。
眼前にはルベルの自宅を平然と占拠し、堂々とコーヒーを飲んでいる女性。背中上部まで伸びる傷みのひとつもない華やかな銀髪、白い肌。紫色の魅惑的な瞳を眼鏡で覆う。そしてその鋭い刃物のような顔立ちが本来の華美な部分をすべて濁してしまっている。服装はあまりにも質素。黒いスーツと彩度が低く地味な青色のトレンチコートを羽織っている。彼女こそは殺し屋の紫音。同時に、防御壁都市に迷い込んだ当初から長く続く親友でもある。
「なんで俺んちでくつろいでんだよ」
「私はルベルに用があったから訪れただけだ」
紫音は腕を伸ばして袖を肩へ持ち上げ、手首に巻かれている腕時計の時刻を確認した。
「もうすぐベルデも来るはずだ」
「勝手に集合場所にすんなよ」
紫音の言うベルデもルベルとは親友だ。ルベル、紫音、ベルデは同じ境遇なのだ。生まれは防御壁都市の外。さまよっているところ意識を失い、気が付いたらこの都市の中にいた。同年代ということもあり、仲が良い。それぞれが独立する以前は助け合っていた運命共同体の仲間である。
「つーか、本当になんなんだよ。俺これから飯食って寝るんだけど」
「それは悪いな。仮眠は許すが、急いでいる。私たちは同窓会をするために集まるわけじゃないんだ」
「なんか深刻なことでもあんのか?」
「その通りだ」
紫音が座っているテーブルの向かい側にルベルが座り、手に持っていたビニール袋の中身を並べた。ハンバーガーが三つと牛乳一リットル。ハンバーガーはとにかく大きく、具もみっちりと詰まっている。肉、肉、おまけ程度のレタスにトマト。それを眺めながら紫音は「お前はまだ成長期なのか?」とため息を落とした。
「お、おじゃまします」
ルベルが二つ目のハンバーガーを完食し、牛乳を胃へ落とし込んでいる最中に弱々しい男性の声が玄関のほうから響いた。ルベルの代わりに紫音が返事をすると、その人物は低い姿勢のままルベルらの前に姿を現す。
男性にしては長髪のブロンドを後頭部でまとめる。紫音より多少は短いだろう髪は頭の低い位置で結ばれている。垂れ目垂れ眉の覇気のない顔つきは裏社会の人間とは思えないほど優しげだ。彼こそがベルデ。ベルデは都市内を縦横無尽に走る優秀な運び屋だ。奪還屋は仕事柄この運び屋に接触することが多い。
「えっと、僕、なんで呼ばれたのかわからずに来たけど……」
「紫音から聞いてねえのか?」
「ごめん。明け方に連絡があっただけだから」
「変な時間に連絡したことに関しては自覚がある。すまないな」
「んで? なんだよ。用件ってーのは」
紫音は持ち込んでいた本を閉じてテーブルに置いた。眉をひそめて表情を険しくする。つぐんでいた唇がもぞもぞと動くが、何から話すべきか悩んでいるようだ。ただ、視線だけは確かにルベルとベルデを見つめていた。
「北区マフィアがおかしいようだ」
はたとルベルの脳裏に左都が誘拐された件と遺体回収の件がよぎった。ベルデのほうにも何か心当たりがあったのか、指を口に添えてうつむく。
「北区マフィアが変だと思ったことはないか? 最近で、だ」
考えるまでもなくルベルが口にする。
「変な依頼を受けたりしたな。違和感程度にしか考えてなかったけど、紫音とベルデにもあんのか?」
「うん……。大仕事はあったかな。たくさんのものを運んだよ」
「私のほうでもあった。要人の殺害依頼などそうそうないからな。このことについて情報屋に調べてもらったが、私たちに依頼された仕事以外にも北区は各方面へ特別な仕事を依頼していたそうだ」
「特別な仕事ってどんなものなの?」
「さすがに詳細には聞けなかったが、以前より増して伝言屋が活発に北区マフィア間で動いていたとか、尋問屋が北区の依頼で出向くことが多くなったとか」
そこまで話すと、紫音はコーヒーに口をつけた。ただつけただけであまり飲んでいないのか喉仏が動いた様子はない。
「結論を伝えよう。北区マフィアは西区マフィアを潰そうと画策しているようだ」
マフィアがマフィアを潰すだって?
ルベルとベルデがまるで時が止まったかのようにピタリと動かなくなった。指先一つ動かない。ただただ驚愕して一瞬の間言葉を忘れた。
防御壁都市内の四つのマフィアは均衡を保っている。各地区のマフィアはそれぞれを統治し、そしてそれが確立している。都市の外部からやってきたルベル、紫音、ベルデは外の世界のマフィアにとって縄張り争いや派閥争いは決してあり得ないことではない、ということは知っていた。都市から外部ならばマフィアが片方のマフィアを潰そうとすることは、言葉を忘れるほど驚くべきことではない。確かにそれは外部でさえも驚くことなのだが、あり得ないと断言できるほど平和な世界ではないのだ。一方で防御壁都市ではマフィアがマフィアを潰そうとするなどあり得ないのだ。少々の小競り合いはあれど、お互いがお互いを尊重するルールが根底に存在するためである。組織をまるごと消すという大規模な変革は――その兆しですら――あり得ないのだ。この防御壁都市では。
だからこそ、ルベルとベルデは我を失うほど驚愕している。言葉を発しない二人に対して紫音は話を続ける。
「私がこの違和感を明確なものだと気づいたのは遅かった。これを情報屋に調べてもらったとき、計画はすでに実行に移されていたんだ」
紫音は窓の外を見る。今いる西区はいつもどおり。遠くでは工場が稼働している音が響いており、付近の住宅街は働きに出ているものが多いせいか閑静だ。
「今日、北区マフィアは西区マフィアを潰す」
紫音はトレンチコートの裏側に隠されていた拳銃を取り出して見せた。
「私はとても嫌な予感がする。北区マフィアが西区マフィアを潰した先をどう見ているのか。そして私は、ユアンのことを決して忘れていない。北区マフィアの計画を阻止しないといけないんじゃないかって……、そんな気がするんだ」
紫音は凄惨な過去をはっきりと覚えている。北区マフィアが平和な方法で問題解決をしたことはない。西区マフィアを潰す方法が平和的だとは考えにくい。それに北区マフィアがなぜ西区マフィアを潰そうとしているのかがわからない。見通すことができない。武器の生産力を狙っているのだろうか。しかし今まで均衡を保ってきていたというのになぜ今更崩す必要があるのだろうか。北区マフィアと西区マフィアの間に問題があったわけでもないのに。
「で、でも、まって」
ベルデは恐る恐る手をあげる。眉尻を下げて萎縮している彼は下の方に目線をやって右往左往したあと紫音の顔を見た。
「予感がするとか気がするとか、そういうはっきりしないことは……、その、あんまりよくないんじゃないかと思う」
紫音の表情が険しくなると、ベルデはあわてて付け加えた。
「僕だって北区にされたことは忘れてないよ、忘れるわけがない! でも、それでも、北区が必ず間違ったことをするなんて断定はできないんじゃないかって……」
運び屋ベルデは気が弱く内気で消極的。話し方はいつも慎重でおどおどしている。十分に鍛えられた成人男性ではあるもののその内面はあまりに柔和で感受性豊かな優しい人間だ。そして彼は客観的に物事を平等に見極められる観察眼を持っているのだ。紫音の考えは確かな証拠がない憶測で、感情に流されがちだ。そしてルベルも感情に流されやすい。ここで一人、歯止めをかけなくてはいけない。
ベルデのこういった冷静な意見には何度か救われたことがある。そして今回も。
「そうだな……。ベルデの言う通りだ。私は知らず知らずのうちに熱くなっていた。申し訳ない」
「し、紫音が悪いことはないよ。北区は西区を潰そうとしているなら、防御壁都市は大きく変化しようとしているのは、確かなんじゃないかな。それが良い方向に向いているのか悪い方向に向いているのか……。それは分からないよ」
紫音の言い方では北区マフィアを悪者と決めつけている。だから北区マフィアのやろうとしていることを阻止しようなどとは極端だ。それにルベル、紫音、ベルデはただの仕事屋に過ぎない。どこかに所属しているマフィアなどではないのだ。組織的な力を持たない独立した彼らでは、そもそも北区マフィアの計画を阻止するなんてことは不可能である。
「けどよぉ、このことを知っていながら黙ってされるがままになれるほど俺は行儀良くねえぞ」
空になった牛乳パックをテーブルに叩きつけ、ルベルは立ち上がった。懐に入れていたリボルバーの残弾を確認し、それから部屋の奥へ弾の補充をしに行ってしまった。残された紫音とベルデが顔を見合わせる。
「私も上品な教育は受けていないからな。上手に『マテ』はできないぞ」
「あっ、ちょっと、紫音まで!」
紫音は素知らぬ顔で煙草に火を点けた。ベルデは肩を落とす。ルベルと紫音は北区マフィアの計画を阻止しに行くだろう。きっと現場を見に行って北区マフィアの様子見をするだろう。その良し悪しを判断する前に手や足が動いてしまう。そういう人であることは重々承知だ。ベルデには彼らを止める手段などないし、止めようとも思わない。本当はベルデだってそうしたいのだ。ユアンを奪った北区マフィアを一切許していない。復讐だってしたい。そういった本心を理性が覆っているだけに過ぎないのだから。
「もう……。どうなっても知らないからね」
大きくベルデはため息を吐きだした。
「おう、待たせたな」
奥からルベルがやってきた。肩にはカバーに包まれた槍をかけている。長身とはいえルベルより頭一つ抜けている程度の短い槍だ。
ルベルの準備が整い、彼らはルベルの自宅を出る。アパートの駐車場にはベルデの愛用している黒色のスポーツカーが停まっていた。シャープなデザインのその車はよく手入れされているようで傷一つない。重厚なデザインでシンプルに統一された車内に乗り込むと、思い出したように紫音が口を開いた。
「そういえばルベル。少し見ないうちに男前になったな」
紫音はルベルの眼帯を見ながら笑った。右目を覆う茶色の眼帯。その奥は義眼だ。北区マフィアのガンマによって失明したばかり。いまだに平衡感覚が狂うことが度々あるもののずいぶんと慣れたものだ。すでに痛みやかゆみもなく、視界が狭まったものの普段の生活では強くデメリットを感じていない。
「だろ」
得意げにルベルが笑って見せると、紫音は口角をあげてわずかにほほ笑んだ。
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