北区マフィア.06


 最愛の妹が殺されたその瞬間は、嫌でも記憶に焼き付いていた。


 その過去はひどい染みのようで、ルベルの魂に強く刻まれていた。それは鮮明に――しかし霧がかかったように曖昧に――影を落としている。


 そもそもルベルは防御壁都市の外からやってきた人間だった。出入口のない、完全に封鎖された壁をどうやって越えて都市内部に入り込んだのかは記憶にない。忘れているのか、知らないだけなのかすらも分からなかった。


 ルベルとその妹、ユアンは両親に売り飛ばされた孤児だった。スラム街で産み落とされた兄妹は何もわからぬまま、領主を務める貴族に買われた。ただ家政婦をしているような奴隷ならばよかった。汚いものを掃除する奴隷ならばよかった。奴隷として買われたルベルとユアンに渡された仕事は後処理ではなく、ストレスや欲を発散する道具ではなく、罪人を断罪する処刑人だった。ルベルとユアンが生まれた国では罪を犯し、汚れた罪人を処断する処刑人とは奴隷にも等しい最下層の人間の仕事。ルベルとユアンを買った貴族が統治する地方の、集められた罪人の首を日夜切り落としていく仕事は幼い兄妹の精神を蝕み、苦しめた。


 はじめは落とされた首を桶に集めて川へ捨てる仕事だった。刃こぼれした処刑用の剣で何度もザクザクと斬られた罪人の表情はあまりの辛苦を浮かべて死んでいた。斬られた断面はミンチのようにぐちゃぐちゃとなり、真っ赤に濡れている。浮き出た血管、透けて見える骨や気管は見るだけで吐き気を誘う。何度も怒鳴られ殴られながら、ルベルとユアンはやがて下端の仕事ばかりではなく、罪人の首を切り落とすことになった。そのころには死体に恐れおののくことはなくなり、無感情のまま仕事をこなすようになっていた。

 だが、奴隷というのはあまりに悪質的な環境の中で過ごしている。その環境から逃げ出すため、貴族に買われておよそ八年。やっとの思いで逃亡した。


 その逃げた先が、偶然にも防御壁都市だった。気が付いたら防御壁都市の見知らぬ施設の中で眠っていたルベルとユアンは脱走し、住民権をもたないまま都市に住み着いた。おなじくして、ルベルたちと同じ環境、境遇にいた同年代の友が二人いた。四人で力を合わせ、懸命に生きていた。良い環境であるとは決して語れない生活環境だったが、奴隷だった頃と比べてずいぶんと重荷が楽になっていた。

どんな手を使ってでも生きていた四人に、北区マフィアから制裁が下された。

ユアンが攫われたのだ。

 四人の中で一番年下だったユアンの力は弱く、攫うには絶好だったのだろう。他三人がユアンを助けるころには彼女は死亡していた。

 ユアンを攫い、殺した張本人こそがガンマ。今現在、ルベルと相対している男だ。


「お前だけは、お前だけは! 絶対に、殺す!!」


 啖呵を切ったルベルはガンマへ急接近した。ルベルはすでにガンマに撃たれてる。膝、そして腹から血を流しているがその傷などまったく気に留めず、大きく踏み込んだ。ガンマの鳩尾へ容赦ない掌底。ガンマは打ち出されたルベルの腕を肘と膝で挟み殺した。それでもルベルの勢いは止まりきらず、ガンマは鳩尾を打たれた。しかしその威力は弱く、ガンマを怯ませるまでに至らない。ガンマは伸ばされているルベルの腕を掴み取り、捻じりあげるとがら空きになった胴を蹴った。ルベルは数歩下がり、ガンマが追う。続けざまに回し蹴りが三連。ルベルはそのすべてを回避すると剣を突く。ガンマは左後方へ退くと拳銃にあるだけの全弾をルベルに叩きこんだ。初めの一発目だけ剣で弾き、ルベルは急いで移動して弾を避ける。


「怒りに任せてるかと思ったが案外理性的に戦うな」

「るせぇ。黙って殺されろよ」

「そうするわけにはいかんなァ」


 ガンマは弾を装填。銃口を向けるころには、ルベルは先ほどを同じ場所にいない。見失った。風を切る音が上空から。空中へ飛び出していたルベルがガンマの頭上から剣を振り下ろす。勢いをつけた剣筋がガンマの頭を叩き割ろうとする。しかしガンマは避けることなくルベルを見据えて銃口をそちらへ向けた。狙うは頭。ルベルがまずい、と肝を冷やすが空中ではまともに回避などできない。口角をあげてガンマは笑った。


「あばよ、ルベルくん」


 引き金を引く。ルベルは身をよじったがそれでは銃弾を回避できない。ろくな抵抗も回避もできないままルベルはただ落下した。発砲された銃弾はルベルに当たった。そのまま落下するルベルを邪魔だといわんばかりにガンマは蹴り、ルベルの大きな体は床に転がった。ゴロゴロと転がったルベルの体は、少しの遅れはあったもののすぐに起き上がろうと床に手をついた。


「ほう。致命傷にはならなかったか」


 ぽたりぽたりとルベルの血液が床に斑点を描く。顔を抑えたルベルは唸り声をあげなから血に濡れていない左目でガンマを睨んだ。


「……ァア、くそ、てめえ――!」


 ガンマの発砲した弾丸は、正確にルベルの頭部に当たったわけではなかった。身をよじったルベルは致命傷こそ防いだものの、ルベルの右目を抉ったのだ。目玉の表面を掠めて行った弾は、その薄皮を破っている。ルベルの右目やその付近からは透明のよくわからない液体をはじめ血液が流れ出ている。経験したこともない激痛が強く鼓動するようにルベルの頭や脳を殴り続けていた。ルベル本人は自分の目が潰れていることに気が付いていない。ただ、とんでもない痛みが右目を中心に鼓動するように響いている程度しか理解していない。いますぐ頭を抱えてうずくまって痛みをこらえたい。この痛みに必死で耐えることしかできない。


「次は左目を撃ってやろうか。こうして視力を奪ってしまえば、今度こそお前は立てなくなるか?」


 サングラスを持ち上げて、にたりとガンマは笑った。引き金に人さし指をかけて正確にルベルの左目を狙った。ルベルはガンマを睨み、すさまじいまでの殺気で突き刺す。手負いの獣を楽し気に眺め、わざとらしくゆっくりと引き金を引いていくガンマに対し、ルベルは懐に手を入れた。素早く取り出したのは彼のリボルバー。ガンマがそれを知った瞬間、ルベルは発砲していた。激痛をこらえたルベルの早打ちだ。ガンマは胸を撃たれた。それはまさしく心臓の位置。即死する――はずだ。


「くっそ、撃ちやがったな! しつけのなっていない野良猫が!」


 ガンマは胸を抑え、可能な限り血を塞き止める。ルベルへ乱射するものの、ルベルには軽傷を与えることしかできない。


「な、んで、死なねえんだ!? 心臓撃ったはずだぞ。外したか……?」


 ルベルは左目を見開いて驚愕した。たかだか数秒程度だが取り乱したガンマは今もピンピンしている。心臓を撃たれればほぼ即死。運が良ければ走馬灯を見る時間くらいはあるかもしれない。しかしガンマは、生きている……。悪態をついて罵声を吐くほど余裕がある。しかしガンマの手が抑えているのはたしかに心臓の真上。

 不気味な光景を目の当たりにしたルベルは言葉を失った。


「ッチ。俺はここで倒れるわけにはいかん。奪還屋の右目を奪っただけでも良しとしよう」


 ガンマはすぐに踵を返すと、しどろもどろな足取りでルベルの前から立ち去った。ルベルはガンマを逃がさないよう追いかけようとしたが、忘れかけていた激痛が強く頭を刺激して立ち上がることもできず、床に突っ伏してしまった。そのまま意識がもうろうとし、視界がどんどん黒く染まって、次第に気を失ってしまった。


 再びルベルは意識を浮上させると、一番に何も見えないことに気が付いた。まさか視界を失ったのかと肝を冷やし、両手を持ち上げて両目の上に置いて探ってみる。どうやら包帯で巻かれているようだった。


「ル、ルベル! 起きた……!」


 それは歓声にも似たサブラージの声。ルベルはその声を予期していなかった上、案外近くから響いたため瞬発的に「うるせえ」と文句を溢した。するとサブラージは猛抗議するが、ルベルは大きくため息をつくだけにとどめた。サブラージと口喧嘩をするほどの気力はない。


「おはよう、ルベル。お疲れ」


 騒ぐサブラージとは対照的に、助手の落ち着いた声が反対側からする。助手と同じ方向からぐずぐず泣く少女の啜り声が耳に入った。おそらく左都だろう。


「俺の目、どうなったんだ。奪還は?」

「ルベルとサブラージのおかげで奪還は成功したよ。ありがとう。左都に大きな怪我はなかったよ。本当に助かった。ありがとう」

「助手に感謝されるなんて気色悪いな」

「ルベルの目のことなんだけど……、残念ながら右目は失明した。完全に目玉が潰れてしまっている。いまは義眼をいれてる。もしよかったら眼帯を用意するよ」

「失明……。そうか」


 しばらくルベルは考え込んだ。右目がないという事実。視界は真っ暗なままだが、意識をすれば右目の奥が薄く痛い。うっすらと、その現実がルベルに突き立てられる。


「ああ、眼帯は頼む。つか、ここはどこだ」

「わかった。ここは闇医者のとこ。南区の闇医者といえば心当たりはあるね?」

「腕がいいところだな。西区じゃなくて助かったぜ」

「どういたしまして」


 助手が肩を落とす。安心したのだ。右目を失ったと知ってルベルは多少なりとも取り乱すとばかり思っていたが、予想外にも冷静だった。それは大きく彼が正気を失ったわけでも落胆し落ち込んでいるわけでもない。リアクションが薄いと言えばその通りだが、うまく現実を受け入れているように見受けられる。

 助手が話し終えると間を入れず左都が相変わらず泣き声交じりでルベルにしがみ付いた。体中怪我をしているルベルは驚き、痛みゆえにびくりと肩を震わせる。


「私のために、こんなに、こんなに怪我をしてしまって! ごめんなさい、ごめんなさい。ありがとう……。ルベルさんも、サブラージも、みんなのおかげで私、無事でいられたの。本当にありがとう。ありがとう!」


 容赦なく涙でルベルの布団を濡らしていく左都に耐えかねた助手がハンカチを差し出した。すると遠慮なく鼻をかむ。助手は苦笑いをしてサブラージは肩を小刻みに揺らして笑った。


「ルベル、本当に大丈夫?」


 その中で、こっそりサブラージがルベルへ伺う。


「なんともねえよ。右目なんかよりガンマを仕留められなかったことが悔しい……」

「……。たしかに、あそこにガンマの遺体はなかったね」

「心臓を撃ちぬいたはずなんだ。なのにどうして奴は生きてたんだ」

「え――?」


 ふと、サブラージは硬直した。まるで一人だけ時間を止められてしまったかのように、ぴたりと止まったのだ。呼吸や瞬きだってできないほど。


「ガンマが……、心臓を……?」


 かなり驚愕しているのだろうとルベルは思った。そうだろう。心臓を撃たれても死ななかったというのだから。不老不死の化け物かもしくは怪物でもなければありえないことだ。普通、人間は、心臓を撃たれたら死んでしまうものなのだ。

 だから彼女は驚いているものとばかり。ルベルは考えてしまった。


 しかし、サブラージの落とした一言が、今度はルベルを硬直させる。


「第二世代の実験は成功していたの――?」

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