北区マフィア.03

 ルベルが先行してから時間を空けたあと、サブラージと助手も事務所を出た。隠密に移動する。助手はまず、ルベルが囮をしている作業場から遠い位置へ進むことにした。事務所から出てすぐ左側。左側へ伸びる廊下には食堂と従業員用のロッカールームが男女それぞれあった。手前にあった女性用ロッカールームから捜索する。やはりというべきか、女性用ロッカールームはもぬけの殻。そこには何もなかった。男性用ロッカールームも同様である。


 そして次に食堂へ進んだ。さすがにこの食堂も何もない、というわけにはいかないようだ。

 ここには慌てた様子で電話をしている女と、周囲を警戒する男の一組があった。女はサブマシンガンを肩からかけており、男は同じくサブマシンガンを構えて周辺に目を配っている。扉の隙間から室内の様子を見たサブラージと助手は静かに顔を見合わせる。


「ぜんぶルベルのせいってことにしよう」


 そういうとサブラージはいつも持っている手榴弾を手に取ってピンを外した。そしてその手榴弾を、彼女らが来た方向へ投げる。サブラージと助手は静かにロッカールームへ逃げ込む。数秒のタイムラグのあと、その手榴弾が破裂した。小規模の爆発ではあるが、周辺にいた人たちの気をそらすには十分な音と光だ。食堂にいた二人組はその音を聞くと慌てて廊下へ飛び出し、焦げた臭いのする方向へ様子を見に行った。その隙にサブラージと助手は食堂に入り込む。


「ルベルに悪いことしたかな」

「大丈夫、大丈夫。ルベルならなんてことないよ。ま、ルベルが大怪我したら私はライバルを蹴落としたってことでボロ儲けできそうだけどね」


 胸を張って得意げに笑うサブラージへ助手は苦笑を投げかける。


「いい部屋を見つけたみたいだよ、僕たち」


 助手はこの食堂にある機材を見ながら薄笑いを浮かべた。

 食道の中央部分にあったのはたくさんの液晶画面だった。一か所に積み上げられた小ぶりの画面がだらだらとコードを伸ばして点滅している。白く光る画面をサブラージが覗き込んだ。


「これ、監視カメラの映像?」

「そうみたいだね。僕たちが入ってきた事務所には監視カメラの設置をしていなかったのが幸いだけど……」


 ゆっくりと助手は画面を見る。左から順番に、慎重に。左都を探し、そしてすぐに見つけた。それは出荷スペースを映している画面に。使われなくなったパレットが積み重なる、薄暗く狭いそこに、両手足を縛られた左都が項垂れていた。画質が悪いせいで彼女の状態が分からない。俯瞰で映し出す監視カメラだけでは情報量が少なすぎる。


 一方で、同じく画面を見渡していたサブラージがびたりと硬直する。一つの画面に釘付けになっていた。口をあけたまま、目を丸くして一歩後退した。


「なに……、なに、やってんの、ルベル……?」


 サブラージが見ていた画面を助手も確認する。そこにはたくさんの血だまりの中に立つルベルの姿が映っていた。明らかに、その血だまりを作ったのはルベルである。彼の表情は見えない。囮とは言ったが、サブラージにはなぜかルベルが人殺しをするわけがないと思っていた。ただ暴れて、マフィアたちの注意を背けてくれるだけとばかり。命を奪うなんて、本気で考えていなかったのだ。


 無意識か、ルベルはサブラージの目の前で殺人を犯したことがなかった。サブラージと争っている時でも、彼女に深い傷を負わせたことがない。だからサブラージは「ルベルは人を殺したりなんてしない」と勝手な先入観を抱いていた。そんなことはありえないと解っていたはずなのに。


 ルベルは奪還屋で裏社会の人間だ。一般人とはわけが違う。


 サブラージは知っていたのだ。知っていたのに。ルベルが過去、何をしていたのか。どうして表社会の人間にはなれなかったのか。どうして、奪還屋なのか。


 腰から力が抜けてぺたりとその場で崩れてしまった。


「サブラージ?」

「ば、ばかみたい、私……」


 己の先入観を卑下する。楽観視していた。目を背けていた。逃げていた。ルベルのことを。そして自分のことを。本当は逃げられないと解っているのに。逃げ場などないのだ。現実を、目の前の映像が叩き付ける。ああ、頭が痛い。割れそうなほどに。


「待って、まずい……。ルベルの目の前にいるのは、まさかガンマ……!?」


 はたと助手が画面を見やる。ルベルの目の前にいる男は北区マフィアの一人。そしてルベルの因縁そのもの。なぜガンマがここにいるのか。ルベルはガンマと会ってはならないというのに。


 続ける言葉はなく、食堂には静寂が張り詰めた。しん、と音を無くした。ものの三秒足らず。それでもこの静寂は決して短くない。そして静けさはただ硬直しただけではなく、室外の音を大きく吸い上げた。カツン、カツンと足音が。たしかにそれは小さな足音であったが、完全に隠しきることができないもの。サブラージは大きく肩を揺らし、助手は静かに鯉口を弾いた。

 足音は近づき、そして食堂の前で止まった。扉が開かれる。


「あちゃー。やられた! ルベルは陽動だったんだね」


 軽く額を叩いて舌を出す。姿を現したのは北区マフィアのミューだった。桃色の長いツインテールを揺らして首を振った。


「なるほど。やっぱり北区か。最近なんだか様子がおかしいと思ってたんだよね。何を企んでる?」

「さすが助手くん。私たち北区マフィアは今ちょっと整理整頓やってて忙しくてねー? ほら、人事異動とか」

「その整理整頓にどうして左都が巻き込まれないといけない? あの子は部外者のはずだよ」


 ミューは背後に二人の部下を連れて食堂に入った。座り込んだままのサブラージを見て首をかしげる。切っ先をミューに向け、助手は彼女を睨み付けた。それでもミューは飄々とし、気の抜けた表情で薄笑いを浮かべている。助手の質問に答えようか悩んでいるようだった。


「その前にあの女の子は助手くんと一体どんな関係なのかな? まさか恋人?」

「ああ、もう。みんな左都と僕のことをそんな風に……」

「あれ? 違うの? だからわざわざ誘拐したのに。まっ、いっか。奪還屋と回収屋を連れまわして自ら出向いてるんだから価値のある女の子ってことには間違いないよね」


 ミューは背後にいる仲間からサブマシンガンを受け取ると、銃口を助手に向けた。ミューは口角を上げてにんまりと笑った。その笑顔だけならずいぶんと可愛らしいものを。無垢な少女のような顔はきらきらと笑うのに、手に持っているのはサブマシンガン。そして脅迫を吐く。


「さあ、私たちに情報屋の居場所を教えて。教えてくれないと私たちはここで君たちを殺すし、人質も殺しちゃうよ」


 助手は刀を鞘に納めた。だがこの納刀は脅迫に屈したからではない。

 はたとミューは気付く。なにかが宙を舞っている。弧を描いてそれはミューらの頭上に迫る。それがいったい何であるのか悟ったときにはすでに手遅れだ。


「っせ――」


 小ぶりのスプレー缶のようなものが、強い光を放った。頭が痛くなるほどの強烈な光だ。

 それはサブラージの投げた閃光弾である。


 光をあてられたミューと二人の部下は視界をジャックされて傾倒した。その隙に助手は姿勢を低くして構える。そして弾かれるように、強く床を蹴った。それは肉眼では確認できないほどの迅速な抜刀。部下のうち一人が朦朧とした足取りで前へ飛び出る。ミューを狙った斬撃は誤ってその部下を斬ってしまった。身を挺してミューをかばったのだ。その部下は胸部を深く切られ、手前にあったサブマシンガンは真っ二つになっている。大量の血を流し、バシャリと倒れる。その鮮血は北区マフィアの白い服装に飛び散った。


「悲願の、ため……」


 その言葉を最後に、一人の部下は大量出血により失神した。

 立ち上がったサブラージは眉間にシワを寄せた。剣を構えて助手へ言い放つ。


「行って、助手! 私がミューを引き留める」


 己に喝を入れているのか、サブラージは怒声のように声を張った。ミューより先にもう一人の彼女の部下が回復し、立ち上がると助手に向けて連射した。助手は後退。助手に注意が向いている間にサブラージが懐に入り込んで、部下の持っているサブマシンガンを蹴り上げた。


「ミューが回復する前に、早く!」

「……サブラージ、大丈夫?」

「大丈夫! はやくお姫様を助けてやってよ、王子様!」


 刀に付着した血を払って、助手は食堂をあとにした。

 残されたサブラージは歯を強く食いしばる。助手が斬り倒したものを見て、その瞳いっぱいに血を映し出す。そして脳裏に焼き付いた、血の海に立つルベルを思い浮かべる。


「こんなの、お飾りだね……」


 呟く。肩の、腕の力を抜いた。両手にある剣がぶら下がる。


「私は私の意志を持った時に、覚悟を決めたと思っていたのに――」


 思い出すのは不気味なほど白い部屋。サブラージが初めて目を覚ました地点。葛藤があったのだ。自分の正体についてどれだけ悩んだか。どれだけ懸命に結論を探したことか。サブラージはてっきり結論を見つけたとばかり思いこんでいたがそれは間違いだった。見つけたのではない。先送りにしたのだ。自分の正体にどう向き合えばいいのか、いまだにその結論が出ない。だから覚悟もできない。裏社会に身を投じるのならば、強い心を持たねばならない。芯のない身ではいずれ食い潰される。


「私は北区マフィアと決別したんだから!」

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