北区マフィア.02

 助手はふと足を止めた。道路の曲がり角でピタリと塀に背中を合わせる。角の向こう側を睨みつけながら、左手は刀の鞘を掴んだ。するりと指が鯉口に触れる。ルベルも助手の視線の先を除いてみた。およそ三十メートル先、そこにはスーツを着た人間が四人ほど立っていたのだ。彼らはそれぞれサブマシンガンを持って武装している。明らかに一般人ではない。マフィアの者たちだ。彼らは警備をしているのか、周辺への警戒を欠かない。油断のないそのあり様を見てからルベルを助手は塀の影に引っ込んだ。


「おいおい、複数いられちゃあ正面突破なんてできねえぞ。女の子一人になんだ、あの警戒のしようは。待遇いいなぁおい」

「彼らが守るあの廃工場の中にもマフィアはいそうだね。左都が無事か心配だよ……」


 四人のマフィアがいるのは廃工場の前だった。その正門。固く閉ざされた鉄格子の前を四人が警戒し、四方を向いている。正門には監視カメラも設置されている。それが起動しているのか定かではないが、なににせよ正門から侵入することはできないだろう。


 手段を択ばず己の利のみを得ようとするマフィアの強欲、傲慢にルベルは腹の底から怒りを湧き上がらせる。度し難く許すことができない。一つの目的のためならば犠牲をやむを得ないものであると誤認している。これでは弱者は虐げられるばかり。弱者に救いはない。


「――ああ。人質は許せねえ。絶対に奪還するぞ。なにがなんでもだ」


 強く拳を握る。ルベルの静かな怒声は静かに夜を這った。助手の瞳がゆっくりとルベルを見、そして音を立てず目線をずらす。


「一旦ここを離れよう。僕に考えがある」


 ルベルの背中を押して助手はその場を離れる。工場地帯であるここはどこを見ても工場ばかりだ。深夜であるせいかほとんどの工場は稼働していない。工場が並ぶ角をいくつか曲がってから助手が再び止まる。白い壁の箱のような工場の前だった。パイプが張り巡らされており、少ない窓は固く閉ざされている。


「西区マフィアは工場、つまり生産力を統括してるマフィアだ。そしてその力を利用して秘密裏に製造したものがたくさんある」


 助手は立ち止まった工場の中へ入っていった。ルベルが止める間などない。入った工場の敷地内にある倉庫へ進んでいく。その重厚なシャッターで閉められた倉庫は大きい。生産に必要なものを一時的に保管しておくための倉庫だろう。侵入者を拒んでいるシャッター、その鍵をルベルらは持っていない。


「その製造したものを運ぶための地下通路がある」

「この倉庫の中に通路があるってのか?」

「そう」

「んじゃあ倉庫にはどうやって入るんだよ」


 ルベルはシャッターに近づいてそれを持ち上げようとしてみるがロックがかかっていてびくともしない。辺りにそれらしいスイッチがないか見渡すが、それもない。ここまで話しているのだから助手はなにか手を打っているのだろう。期待してルベルは助手をじとりと見やる。


「ちょっと助手! どういうことなの! 本当……、ほんとにいろいろどういうことなの!」


 キャンキャンと子犬のように吠える少女の声が夜をつんざく。ずいぶんと聞きなれたそれは回収屋サブラージの声だ。彼女はルベルらが入った方向と同じところから姿を現した。腹を立てているようで、腰に両手を当てて眉を吊り上げている。


「左都が誘拐されただあー?」


 今夜の彼女はずいぶんとすさんでいるようだ。親友が誘拐されたとあれば当然のことなのだが。


「あー、もう、もう! わけわかんないよ!」


 左右にブンブンと頭を振った後に頬を叩いて、サブラージは深呼吸をした。それから助手に向けて右手に持っていたものを投げる。助手はそれを受け取り、確認する。助手が受け取ったのはリモコンだった。直径は五センチほどしかないグレーの小さなリモコン。ルベルらの前に立ちはだかるシャッターを開けるためのものだ。


「回収屋をわざわざ泥棒に使うなんて聞いたことない! ちょっとでも私を使ったんだから最後まで付き合わせてよね! 左都を助けるのに私を仲間外れにするなんて馬鹿なこと言わないでよ!」

「もちろん。なにがなんでも左都を助ける。そのためにはサブラージにも協力してもらうよ」

「そうこなくっちゃ」


 リモコンのボタンを押す。シャッターがゆっくりと引き上げられる。シャッターに隔たれていた向こう側は明かりのない真っ暗闇。助手が先頭になってその中を進んでいく。なにがそこに置かれているのか知る間もなく、ルベルとサブラージは通路への扉の前に到着した。助手がなんらかの鍵を使って開錠すると、一転して電灯の白い光が視界いっぱいに飛び込んでくる。

 眼下に広がる長い下り階段。コンクリートで作られた、冷たく不愛想な通路がそこにあった。ぽつりぽつりと広い感覚で照明が設置されていて、目が慣れるとその通路は薄暗いことに気が付く。運搬に使用している通路であるためか高さや横幅は広い。中型トラックまでならば余裕をもって通ることができるだろう。


「な……、なにこれ……。西区って、西区マフィアって、こんなのを作ってたの……?」


 地下を開拓しているとは想像もしていなかった。知りもしなかった。階段を下りた先に広がる長い長い通路。途中からいくつもの分かれ道があり、曲がり角のあるこの地下通路は巨大な怪物のような迷宮だ。蟻の巣のように、知らぬ間に伸ばされていた勢力に恐れを抱く。


「行こう。こっちだよ」


 助手の両手はいつでも抜刀できるよう、刀に触れている。そう、この地下にはいった時点で三人は西区マフィアの管轄下に侵入している部外者なのだ。ルベルはリボルバーを、サブラージは二本の短刀を手に助手の後に続いた。


 意外だが、地下通路では誰とも遭遇しなかったし、人の気配もなかった。無人だったのだ。おかげでルベルらは目的の出口まで到達することができたものの、違和感が生まれる。不安がよぎる。なぜ誰もいなかったのだろうと。ルベルやサブラージだけではない。たくさんの情報を抱える助手だってそうだった。普段ならば西区マフィアの息がかかった工場組織が地下通路を利用しているはずなのだ。昼間に比べ深夜は人気が薄いが、それでも運搬は行っている。それなのに無音だった地下通路は不気味だった。

 階段を昇り、出口への扉をゆっくりと開ける。助手が扉を開けて、ルベルが先を警戒した。人の気配はない。


「妙に静かだな」

「嵐の前の静けさ、なんてことにならなければいいんだけど」


 扉を出た先にあるのはデスクが並ぶ事務所だった。そこにあっただろう書類はすべて片付けられており、棚やデスクの上にはしんしんと埃が積もっていた。咳き込みそうになったサブラージがあわててマフラーを使って口と鼻を抑えた。


「おっ、いいもん持ってんじゃねえか」

「えっ、なによ」

「限界。借りるよ」

「ちょっと、ばか!」


 ルベルと助手はそれぞれサブラージの巻いているマフラーの端を使って自分の口と鼻を抑える。サブラージは頬を膨らましてふくれっ面になった。三人はそのまま慎重に事務所を出た。幸いなことに事務所の外の埃は薄く、マフラーはすぐ不要となった。


「マフィア、いるな」


 巡回しているマフィアが一人みえた。単独行動をしているようだが、工場内で一人だけの巡回などとは考えにくい。他にも巡回している者はいるだろう。三人は一旦事務所に戻った。


「このまま三人で移動し続けるのはきついよ。バラバラになったほうがいい」


 サブラージの言うことにルベルと助手は賛成した。


「なら囮やるぜ、俺。必要だろ。うじゃうじゃマフィアがいるんだ。それに左都が一人だけで野放しされているとは考えにくい。きっと周りにもマフィアがいるだろ」

「確かに囮役は必要だね」

「おうよ。助手が左都の王子様になってやれ。急げよ。何をされてるか分からない」


 ルベルがそういうと助手は大きくため息をついた。こめかみを抑えてからルベルにさっさと行けと手を払う。ぎょっとした顔で凝視するサブラージの視線が痛い。


 リボルバーから軍刀へ切り替えたルベルは事務所を飛び出した。事務所を出た先はまず廊下だ。それほど長くない廊下には確認できるだけでも二人の巡回がいる。まっすぐ伸びる廊下と左側に伸びる廊下。灯り一つない廊下を、ルベルはまっすぐ突き進んだ。気配も足音も消して背後から近づくと、その背中を剣が一突きにする。真ん中より少し左。心臓を的確に狙った一撃だ。容赦のないルベルの奇襲は成功。即死だった。力を失い、倒れるその人物を支え、物音を立てないようゆっくりと床に転がした。そもままルベルは廊下の奥にある部屋に向かった。刃に付着した血を払い落し、扉を開ける。

 そこは大きな鏡のある部屋だった。部屋は四メートル四方程度の小さなものだ。壁には靴箱、ゴミ箱、安っぽい小さな棚がある。靴箱の中には使い古された靴がいくつか取り残されていた。生活感の残るこの部屋からは二つの扉があった。そのうち一つ、大きな部屋へ広がる扉のドアノブへ手を掛けた。


「ああ、いるな。くそったれ」


 扉についているガラス窓から奥が見える。そこには白いスーツを着たマフィアの連中がうろついていた。

 その部屋には工場の大きな機械があった。蛇のように大きく伸びる銀色のベルトコンベアと、ところどころに箱のような機械が付属している。その合間をマフィアたちが歩き回っていた。


「……白いスーツ……。ここは西区だよな。なんで北区の連中が」


 マフィアは共通して黒いスーツを着ていることが多い。しかし唯一白いスーツを着ているマフィアが北区マフィアである。彼らは全員が白い洋装をしている。西区の廃工場をなぜ北区のマフィアが我が物顔で居座っているのだ。ルベルはてっきり左都を誘拐したのは西区マフィアだとばかり思っていた。


「あいつら、また誘拐を――」


 舌打ちをする。煮え滾るような怒りが腹の底から沸く。犬歯をあらわに歯ぎしりした。体の芯から、奥から、沸騰しているのは怒りだけか。そこには憎悪や憎しみなどそういったどす黒いものが混ざっている。


「ぶっ殺してやる」


 これはもうルベルの自分勝手な感情だ。助手からの依頼で左都を救出するというのはもう建前。ルベルは忘れていない。過去の北区マフィアにされたことを。柄を強く握りしめ、大きく踏み出した。姿を隠すことなど忘れ、……いっそ自身が囮役だということも覚えていないのではないか。理性を吹き飛ばしてしまうほどの熱がルベルの原動力だ。大きく踏み出した勢いのまま最初に目についた人物を斬った。背後から横に大きく薙ぎ、そして突き刺す。その人物は驚いたような、しかし言語にもならない短い音を発してから絶命。その声を聞いた付近にいた一人が、ルベルを発見するとすぐに携帯電話を取り出す。次にルベルは彼を狙った。ベルトコンベアを飛び越え、電話をしている男に大きく剣を振りかざす。その刃は脳天に直撃し、たくさんの血を噴射しながら男は倒れた。手放した携帯電話を強く踏みつけ、破壊。いっぱいの返り血を浴びながらルベルは次に殺すべき敵を探す。広い作業場を走り抜けながら、障害物を退けるように北区マフィアを斬り倒していく。ただ一直線に――まるで獣のように――血をぶちまけ続けた。


「おいおい、そりゃやりすぎってもんだろ」


 ……何人目か覚えていないが、その獣が男の銃を持つ手を切断したとき声を掛けられた。切断された男が話したのかと思ったが、現在それはわけのわからない悲鳴を上げていた。喉仏を切って黙らせたあと、獣に話しかけた人物を探す。

 その男は、獣の前方に立っていた。やはり白いスーツを着ている。口から煙草を離し、煙を吐くと、その口角を緩やかに釣り上げた。サングラスの奥にある灰色の瞳は冷ややかに獣を見つめる。この男を獣は知っている。頭が、記憶が、心が、魂が、男を忘れることなどない。たとえ世界一大切な人の顔を忘れたとしても、憎むべき男の顔は忘れたことがなかった。


「て――てめえ」


 煮え滾るなんてものではない。

 沸騰するなんてものではない。

 言葉を忘れ、知能を忘れ、思考を忘れる。血がすべて蒸発したのか口の中は妙に乾いていて、鎖に結ばれているのか全身はとてつもなく重かった。


「久しぶりだなあ、ルベルくん。元気そうでなによりだ。……本当に元気そうだ。さっさとくたばって死ねばいいのに」


 真っ赤な惨状を見下ろして、男は肩を落とした。右手に持っている黒い拳銃がきらりと光っている。


「こんなのは奪還屋じゃねえな。ただの殺人鬼に他ならない」


 目の前の男が話す言葉など知らない。興味もない。剣を構え、獣は懐に踏み込んだ。男はまだ拳銃の安全装置を外していない。隙を見せている間に、この怨念を刃に乗せる。愚直なほどまっすぐその刃は男の首を切り落とす――!

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