BEFORE STAGE

北区マフィア.01

 緋色の光を受けた防御壁都市は真っ赤に燃え上がり、いつの日かの灼熱を思い出す。呆れたような、脱力してしまったような、そんなものでじんわりとルベルの胸の中が染みていた。


「なにやってんだ……、俺」


 自暴自棄になってルベルは空を見上げた。夕日に染まった空は驚くほど明るい赤だ。斜陽は浮かぶ雲のみならず地面、建物、ルベル、そして左右にいる少女たちを照らしている。


「ねー、この前教えてもらったカフェはどうかな?」

「いいね、お店の雰囲気がいいってこの前言ってたね。ごはんも美味しいとか!」

「でも値段がちょっとするんだけど、大丈夫かな」

「大丈夫、大丈夫。だってルベルが奢ってくれるって言ってるんだから!」


 ばしばしと左側にいるサブラージがルベルの背中を叩いた。背が届いていないせいで背中というよりは腰寄りの位置だが。そんな厚かましいサブラージとは裏腹に、右側にいる少女は申し訳なさそうにルベルを見上げた。彼女はサブラージの同級生の左都という少女だ。前髪の左側もまとめてハーフアップにした髪型の明るい長髪と、十四の少女にしては長身の……一般人だ。桃色に見える髪の先をいじりながら、左都はルベルに向かってはにかんだ。彼女はサブラージと違って遠慮しているようだ。

 そもそもルベルはサブラージに晩御飯を奢るという約束で、彼女の通う中等部校門前で待ち合わせをしていたのだ。昨日サブラージが奢れとせがんだためである。仕方なくルベルが彼女の放課後に待ち合わせをした先で、左都を連れていた。サブラージの親友という左都にも晩御飯をご馳走しなければならないようだ。ちなみにルベルと左都は互いに初対面である。


「気にすんなよ。一人増えたところで別になんのことはねえし」


 ここで左都を帰せばルベルはあまりにもかっこわるい。ルベルだって社会人で大人だ。昨日の仕事が成功したこともあって、少女二人分の晩御飯を奢る程度のことではさして財布に影響はない。


「もー。左都の気にしすぎ!」

「そうだぜ。飯くらいなんてことねえよ」

「そうそう。私の晩御飯に付き合って、おねがい! ルベルと二人きりとか考えられないもん」


 サブラージに両手を握られて左都は観念した。微笑を浮かべて頷くと、ルベルへ改めて「よろしくお願いします」と浅く頭を下げた。


「それにしてもサブラージとルベルさんって、なんだか兄妹みたいだよね」

「――」


 冗談のつもりなのだろう。左都は笑いながら二人の顔を見比べた。


「ほら、二人とも釣り目で表情も似てるし。あ、目の色も同じ緑色だ。でも……ふふふ。身長はぜんぜん違うけどね」


 ズキ。

 まただ。また。ルベルの頭の奥が痛い。亀裂が走ったような痛みが広がる。その痛みを尻目にルベルはすぐに左都の冗談にありえないと返す。しかし、それが、どこか……、なにか、おかしいのではないかと自身へ疑う。なぜ疑う必要があるのだろうか。なぜならルベルの妹は――。


「あ、ついたね。カフェ」


 嬉しそうな左都の声ではっと我に返る。ぼうとしている間に目的地に到着したようだ。空はいつの間にか暗くなり、月の頭が防御壁からのぞいている。


「あのさ、ごめんね、ごはん食べてくるって家の人に連絡してないからちょっと電話してくるね。先にお店入ってて」

「待ってるから連絡しといで」

「ありがとう」


 学生カバンから携帯電話を取り出して左都はルベルたちから少し距離をとる。その間にサブラージは店先にある看板を眺めた。暇そうなサブラージと同じくルベルも腰を折って看板を眺める。


「あの子は本当に一般人か?」

「左都を疑ってるの?」

「そうじゃねえよ。サブラージに普通の友達なんかいるとは思わなかったからよ。つーか、そもそも友達がいるとは思わなかった」

「ちょっと! それどういう意味!?」

「大事にしろよ。裏社会の奴らは敵に回ればどんな手段も問わない」

「――わかってるよ」


 無力な一般人を人質にするなどマフィアがよく行う手段のひとつだ。ルベルはサブラージの強い眼差しを見つめ返すと、彼女の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。サブラージは怒っているが、ルベルは激励のつもりだ。サブラージが見たこともないものをルベルは見てきている。サブラージを見守るルベルの眼差しはさながら兄と妹のようだ。あながち左都の言った言葉は冗談ではないようにも見える。


「おまたせー。ごめんね、小言が多いやつで電話が長引いちゃった。あれ? サブラージ、頭どうしたの?」


 電話連絡から戻った左都がサブラージのくしゃくしゃになった髪型を指摘するとサブラージはルベルへ強い殺気を送った。

 店内には人のざわめきと、ときおり皿の鳴らす音が響いていた。温かみのある光で照らされたそこには落ち着きのある色で統一されたソファとテーブル。ふわりと香るコーヒーの匂い。ところどころに並べられた観葉植物と本棚、そして大きな暖炉がどこか心を落ち着かせていた。店内の音はそれほど大きくない雑音でゆったりとしている。


「わあ、素敵!」

「んだよ、この照明。薄暗いな。眠くなるだろ」


 目を輝かせるサブラージの隣であくびをするルベル。サブラージは強めにルベルを小突いた。

 店員にテーブルまで案内され、注文をとる。それぞれが頼んだカレーライスやパスタ、サンドウィッチなどが並べられると、サブラージの目がさらにキラキラと輝く。鮮やかに彩られた料理はどれもこれもが空腹への刺激物である。鮮やかな見た目ともくもく立つ湯気。香りは鼻腔や食道を通過し、胃液を垂れ流す。たまらないとルベルはサブラージをほぼ同時に手をつけた。口いっぱいにごはんやパスタを突っ込み、よく咀嚼する。二人とも頬を少し赤らめていた。


「あははは。もー、慌てちゃだめなんだよ」


 左都は手を合わせていただきますと言ってからサンドウィッチに手を付けた。


「こんなカフェ、私知らなかったよ。雑誌とかに特集されてた? なんかのんびりしてていい感じのカフェ。私好きだな」

「気に入ってくれて嬉しい。雑誌やどこかに取り上げられたわけじゃないんだけど、穴場でいいよね」

「左都、よくここを見つけたね」

「同居人がすごく物知りでね。それで教えてもらったの」


 驚いたサブラージが喉にパスタを詰まらせた。慌ててジュースを飲み込んだあと目を大きく見開いて左都に迫った。


「ちょっちょちょちょ、ちょっと、同居人!? 聞いたことないんだけど!」

「あっ」


 うっかり口を滑らせてしまったようで、左都は慌てて口を押えたがもう遅い。サブラージが左都の両肩を掴んで大きく揺さぶっている。


「いや、ね、同居人なんて言っても親戚みたいなものだよ。サブラージが想像してるような相手じゃないよお」

「親戚みたいな? みたいってなに!」

「ええー」

「男なの!?」

「く、食いつくなあ……」


 困り顔で左都はサブラージに圧し負けている。「たしかに男の子だけど、なんかお母さんみたいだし……」と今度は苦笑い。サブラージは今にも左都の胸倉を掴まんばかりの勢いで睨んでいる。ルベルが仲介に入り、なんとかきちんと椅子に座り直したものの、以降の話題は左都の同居人についてだった。出てきた情報は、いつも変な服装をしている守銭奴。料理や家事を率先してやるものの小言がうるさい。夜に出歩くことが多く、どうやら外に彼女がいるのではないかと疑っているとのこと。

 無意識にルベルとサブラージは目を合わせた。この人物を、該当する人物を、知っている。

 心当たりのある人物は、たしかに防御壁都市では珍しい和装、守銭奴。家事をしていて口うるさい男。夜に出歩く人物。


「まさか、助手じゃねえだろうな」


 小さく、小さくルベルが呟いた。サブラージも同じ考えのようで、口をぽかんと開けたままルベルに頷く。左都だけは突然黙る二人に首を傾げている。

 その後の食事は緩やかに終わり、店先で左都と分かれることとなった。夜道は危険だからと送ろうとしたのだが、バスを乗り継ぐだけだから大丈夫と断られてしまった。

 ルベルはサブラージを見送ったあと、自身のアパートへ戻る。そこで就寝の準備へ差し掛かったちょうどそのとき、携帯電話がけたたましく音を鳴らした、何事かと画面を見れば、そこには「助手」の文字が。つい先ほどサブラージとの帰りに助手の話題になっていたのでルベルは顔を引きつらせる。


「おう、もしも――」

『ルベル! いま部屋にいる!?』


 冷静沈着な助手にしては珍しく、その声は焦っているようだった。キンと耳が痛くなって受話器を耳から離す。


「あんだよ。声を張り上げて」

『ごめん。それよりルベルいまどこにいるの?』

「助手の予測した通り、俺は部屋にいるけど」

『仕事の準備をして! いますぐ!』


 助手はそれだけ言い放つとブツリと電話を切ってしまった。寝巻に着替えていたルベルは少しの間だけベッドの脇で立ち尽くした。どうやら助手は急いでいるようだ。ルベルはすぐに着替え、仕事の準備に取り掛かった。

 いつも着ている黒いコートを羽織り、その内には愛用しているリボルバーと弾、ナイフを装備。腰には剣をさした。簡易な装飾がされた軍刀である。両刃ともよく手入れがされている。助手が持っているような刀などではなく、ルベルがもっているのは剣だ。それらすべてを完了させたルベルが部屋から出ようと自宅の鍵を手にしたとき、ドアが大きく音を立てて開かれた。


「ルベル!」


 それは助手だった。彼はいつもの和装に刀を吊った状態で現れた。酷い剣幕で鬼のようだ。平常心を欠いた彼はルベルの肩に掴みかかると、怒鳴るような声で大変なことが起きたと言う。


「とにかく移動しながら話す。僕から仕事の依頼だ。早く!」


 そのままルベルは助手に連れられ、自宅を後にした。助手は西区の工場地帯を目指しながら急ぎ足でルベルに事態を伝える。彼が住む中央区から西区まで急いできたのだろう。髪は汗で濡れていた。


「ルベル、左都と会ったでしょ」

「んん? おお、会ったけど……サブラージの友達だとかで」

「左都は僕にとって大切な人なんだ。その左都がついさきほど誘拐された」

「はあ!?」


 ルベルの目が大きく見開かれる。今日会ったばかりの少女が誘拐されたなどと言われれば驚きを隠せない。これがサブラージや紫音ならば聞き流すものの、左都は一般人だ。ただごとなどではない。


「い、いや、待てよ。左都が誘拐されただって? どうして――。ん? 今大切な人って」

「僕と彼女は同居してるんだよ。といっても別に血のつながった家族や親せきというわけじゃない。ましてや恋人同士でもないんだけど……」

「お、おま、本当に同居してんのかよ……。情報屋は」

「情報屋とは違うよ」

「つーか左都ってサブラージと同じ十四だろ? 助手は十九だろ? ほぼアウトだろ」

「だから僕と左都はそんなんじゃ……、まあいいよ。この件の話は後日ゆっくりするとして、とにかく左都が誘拐されたんだ。僕が情報屋の助手だからだと思う。相手は僕に無償で情報屋の所在を要求した」


 助手は早口だ。地面を踏みつけるようにして歩く助手の手は強く拳を握っていた。その目は鋭く、まっすぐを向いている。普段ならば明らかな殺気や殺意を見事なまでに隠しきり、中立を貫く情報屋助手であるが、今回ばかりはそうではいられないようだ。

 らしくない、とは思う。が、ルベルにはその助手の様子に既視感を覚えていた。


「でも僕はそれに応じるつもりはないし、左都は返してもらう」

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