奪還屋ルベル.02


「は?」


 ぽかんとルベルは口を開ける。体が、融ける? 助手の言った意味をうまく理解できていないルベルは繰り返し聞いてみる。助手はたしかにうなずいた。どうやら聞き間違いではないらしい。


「なんか傷口から融けてるみたいだよ。ドロドロと。スライムみたいに」


 じんわりと広がる言葉がルベルに染みる。メロンソーダにトッピングされていたアイスクリームが溶けるのをルベルはただ眺めた。続く言葉を忘れたルベルは頭痛がして、こめかみを抑える。


「まっ、噂話なんだけどね。確認がとれた情報じゃないから。そもそも自然に体が融けるなんてありえない」


 空になったカップを置いて助手は肘をついた。苦笑を溢しながら肩を落とす助手自身はこの噂をまともに受け入れていないようだった。冗談か作り話程度だと考えているのだろう。

 はっきりと否定する助手の一方で、ルベルはそうすることができなかった。助手のように馬鹿らしいと一蹴できればいいのに。そうしたいのに。そうだと思っているのに。なぜだか、できない。それはずっと奥にしまい込んでいた何かを引っ張り出されているようで、痛くて苦しい。息が詰まりそうだ。一体なにがルベルをそうさせているのだろうか。


「――」

「……さ。話はおしまい。お役に立てたかな、お客さん」

「ああ、助かった」

「それはよかった」


 助手は席を立つ。自分のお代をテーブルに置いて喫茶店を出て行った。残されたルベルは、少しだけメロンソーダを飲むがすぐにやめてしまう。机に突っ伏して、窓の外を眺めた。その狭い空を見上げる。ただただ、静かに――。


 喫茶店を出たあとすぐにルベルは西区の火葬場周辺へ様子を見に行った。白いレンガで建築された建物は静かに佇んでいる。この防御壁都市内で唯一の火葬場だ。この日も誰かが亡くなったようで、礼服に身を包んだ複数の人たちが暗い表情で建物内に入っていく。遠巻きで見ているだけではとくに気になる部分はない。遺体を隠すのであれば火葬場は最適だろう。木を隠すならば森だ。

 何者かがこの火葬場を警備している様子はない。目標は火葬場。銀行などではないのだ。ただ遺体を奪還するだけならば今回の仕事は容易い。


 日が完全に落ちるのを待ってからルベルは火葬場へ侵入することにした。再度武器を確認したあと、従業員がいなくなった真っ暗な火葬場に足を踏み入れる。裏手口から入り込み、ルベルはまず監視カメラの有無を確認する。あまり大きくない火葬場の裏手口すぐにある事務室が従業員の職場だ。

 防御壁都市にはあまり監視カメラは普及していない。重要な箇所以外には設置していないはずだ。案の定、火葬場には監視カメラはない。ルベルが知るかぎりでは監視カメラを確認しているのは中央区の役所、各マフィアの本部、銀行だ。用心のための確認を済ませた後、ルベルは拳銃を構える。事務所を出た先は真っ暗闇だ。電気をつけて、ルベルは廊下を見やる。まったく人気のない廊下を物音立てずに進む。しっかり清掃された火葬場の奥へ奥へとルベルは進んでいく。この最奥にある一室。ここに、目標の遺体があった。

 確認のため、覗き込むようにして棺を開けた。ドライアイスが敷き詰められた棺桶の中には、たしかに遺体があった。話をしたことはないが、見覚えのある顔はたしかに北区で見たマフィア。携帯電話を使ってこれを撮影。依頼主に確認をとる。この遺体こそがルベルの目標だ。

 ルベルは遺体を外へ運び出し、バイクに繋げてあるトレーラーに乗せて固定した。ここまでは順調だ。……うまく行き過ぎているのではないか? はたと気づいたルベルは拳銃からミニショットガンへ武器を持ち直してからバイクに跨る。火葬場を振り返り、それから発進した。


 ルベルが西区から北区へつながる路地裏に出た時、それは突然降ってきた。


 上空に放り出された小さな物体が弧を描いてルベルの頭上へ落下している。ルベルが気付いたときには遅く、時限式のトラップは甲高い音を立てて辺り一面に響き渡った。驚いたルベルはバイクを急停車させる。キーンと耳に痛みが走る。頭痛だってする。こういったトラップを使っての奇襲には覚えがある。


「やっぱりこの道を通ったね、ルベル!」


 回収屋のサブラージだ。路地裏の曲がり角から姿を現してルベルを得意げに睨んでいる。

 耳鳴りが止まないルベルはサブラージの姿を捉えると、まず一言目に文句を言い放った。


「てめえ……、くそ。いってえじゃねえか! 覚悟はできてるんだろうな!」

「そんなことはどうでもいいよ。その棺桶、こっちに寄越しなさいよ!」

「はんっ。サブラージに寄越したところで、そんな小さい体じゃどうせ持ち運べないだろうが」

「うっさい!」


 ――路地裏というのは不衛生だ。雑多な通路には建物から吐き出されたゴミや排水溝の臭い、それにつられたネズミが走り回っていた。そんなところには人が寄り付くはずもなく、今現在、ここにはルベルとサブラージしかいない。多少暴れたところで誰にも気づかれないだろう。幸い、今日は月が雲に隠れている。はじめから街灯すらなく暗い路地裏にこれから行われる出来事を見届ける酔狂な目撃者はいないはずだ。


 先制はサブラージだ。腰に吊ってある短剣を引き抜きながらルベルへ疾走した。左右の手にそれぞれ短剣が握られている。それを胸の前で交差させて、ルベルのすぐ正面に現れた。サブラージが下から上へ両手を振り上げる。ルベルは後退して避け、そして懐から拳銃を引き抜くと、照準など合わせずそのまま前方へ発砲。サブラージはすぐに壁際へ逃げ込み、ゴミ箱の後ろへ逃げ込んだ。ろくに照準を合わせていないせいか、ルベルの放った銃弾はサブラージには当たらず。ルベルが装填する合間にサブラージはゴミ箱を思いっきり蹴って飛び出した。とっさにルベルは大きな音を立てて転がったゴミ箱に撃ってしまう。


「あぁ!?」

「ばーか、ばーか!」

「生意気なクソガキめ!」


 サブラージはルベルを罵ることを忘れず、そして身軽に建物の側面についているパイプの上を昇っていく。


「猿みてえだな」


 ルベルは銃口をサブラージに向ける。今度はしっかりと照準を彼女に合わせる。狙うは彼女が足場にしているパイプだ。サブラージが足を掛ける次のパイプを撃つ。するとサブラージが足場にしようとしたそのパイプが大きく歪む。それにならい、バランスを崩したサブラージが壁から落ちた。ルベルは急いでバイクに跨ると、そのまま発進して北区に向かう。


「やったな、このやろー!」


 サブラージの怒声を背後にルベルは北区を目指す。めんどうな回収屋には乗り物がない。一度振り切ってしまえば奪還屋の独壇場だ。


 ルベルが北区に入ると、とあるレストランへ向かった。北区マフィアが経営しているレストランで、ここにはルベルを含めた裏社会の者がよく出入りしている。棺桶を背負ったままルベルは店内に入った。天井から吊られたシャンデリアが照らす薄暗い店内はシックな赤がまず目に入ってくる。赤い絨毯、良い職人が手掛けたであろう椅子。シルクのテーブルクロスの上には豪勢な料理が並んでいる。静かに食事する客は正装に身を包んだ男女ばかりだ。そんな人々は皆、場違いなルベルが入店した程度では一瞥も向けなかった。

 店員に話は行き届いているようで、棺を背負ったルベルを見るなり奥にある個室へ案内した。個室とはエレベーターに乗った先の上階。そこに重厚な木製の扉があった。彫刻が入った金色のドアノブを回して部屋に入る。その部屋は大きな絵画と窓があった。絵画はどこかの森林を流れる大きな川が描かれていた。空には薄く虹がかかっており、清涼な自然を感じ入ることができる。その対面側にあるのが大きな窓だ。壁一面をすべて窓にしたほどの大きさで、入り込む多くの光の群れが天に向けて手を伸ばしていた。


「やっほー。ルベルくんおつかれぇ」


 個室にはすでに一人の女性がいた。現実にはありえない淡いピンクの髪。左目には眼帯をしている女性だ。白色の軍服をイメージし、へそを出した大胆な服装をした彼女はにっこりとルベルに笑顔を向けた。アニメや漫画から飛び出してきたような容姿をしているが、彼女は北区マフィアに所属している立派な裏社会の人間である。

 彼女はミュー。ルベルに電話で仕事の依頼をしたのもミューである。


「これが依頼された遺体のはずだ。確認してくれ」

「うん、ありがとう」


 ミューは棺桶の蓋をゆっくりと開け、中を覗き見る。先ほどまで笑顔を浮かべていた表情は徐々に暗くなっていく。仲間の遺体を受け取ったのだ。目の前にある遺体は紛れもなく仲間のもの。きっと会話をしただろう、笑いあっただろう遺体。


「ルベルくんはこの棺桶の中……、みた?」

「確認だけな。しっかり見た方がよかったか?」

「ううん。……とにかくありがとう。報酬はこれね」


 ミューはテーブルの上にある茶封筒を指した。ルベルはそれを受け取ると、挨拶もおざなりにレストランを出た。するとルベルの服の裾を誰かが引いた。


「あ、あれ? もしかして手遅れ?!」


 それはぜぇぜぇと荒い息を繰り返すサブラージだった。


「もう着いたのか。速かったが、手遅れだったな」

「そんなぁ!」


 顔を真っ青にして、サブラージは肩を落とした。すぐにサブラージの依頼主に連絡を入れ、電話を切ると軽い拳でルベルの胸を叩いた。本当は頭を叩くつもりだっただろうが、背伸びしてもルベルの頭にサブラージの手は届かない。


「もー! なんか奢って!」

「いま何時だと思ってんだ? 一一時過ぎたぞ。肥えるだろ」

「うっさーい! 明日でもいいから何かルベルに奢らせないと気が済まない! 悔しい!」

「難儀な性分だな」


 ふん、と鼻を鳴らしてサブラージは踵を返した。


「サブラージ。お前も西区に住んでるんだろ。送るぞ」

「え、私になにする気……?」

「てめえなんかになにもしねえよ、マセガキ!」


 あれよこれよと文句を言いながらサブラージはルベルに付いてバイクに乗った。ルベルは素直ではないこの少女へ舌を出した。背中にサブラージを引っ付けて発進。北区から西区へ入る。北区の煌びやかな繁華街を抜けた先にある工場地帯、その端に居住区がある。その居住区から南区に近い高層マンションにサブラージは暮らしている。

 サブラージはまだ十四の中学生だ。その彼女がこの高層マンションに一人で暮らすことができるのは、やはり回収屋が上手くいっているからだろう。そもそも回収屋とは、かつて裏社会の人間――仕事屋やマフィア――が争った場所の後片付けをするための仕事として開業したらしい。最下層といっても過言ではないほどの下端の仕事だ。しかしそれがたった数年で、少女一人が高層マンションに暮らせるまでに成長したのだ。サブラージの回収屋としての腕は確かなものだ。


「ねえ、ルベル」


 マンションに着いたというのにサブラージはバイクから降りず、神妙な声音でルベルの服を握った。


「あの棺桶の中のことなんだけどさ。……。も、もしかして、見た?」


 慎重に、ゆっくりとルベルに伺う。すぐにルベルは鼻で笑って返した。


「なんだよ。お前も遺体が溶けたなんてわけわかんねえ話を信じてるのか? 毒でもなきゃ人間が溶けるわけないだろ」

「――そうだよね……、そうだよね。そうだよ! 人間が溶けるわけないじゃん!」


 バシンとおもいっきりルベルの背中を叩きながらサブラージは虚勢を張った。空元気であるのは見て取れたが、ルベルにはどう声を掛けたらいいのか分からない。何についてサブラージが落ち込むことがあったのか分からない時点でルベルは部外者なのだと考える。部外者が無責任な慰めの言葉など書けることができない。だからルベルは、いつもなら振り払うサブラージの手を甘んじて受け入れていた。


「俺は見てない。棺桶の中なんて」

「うん。……ありがとう」


 ぴたりとルベルを叩いていた手を止めて、彼の大きな背中に手のひらを合わせた。ほどなくしてサブラージはバイクから飛び降りると「おやすみー!」と軽快そうな足取りでマンション内に姿を消した。その後ろ姿を、彼女が見えなくなるまで見送った。

 サブラージが見えなくなると、思い出したようにルベルに頭痛が走った。ピリリと電流が走るような痛みで、頭の奥がかゆい感覚だった。すぐに収まったがルベルはしばらく頭を抱える。


「疲れてんのか」


 そう結論付けてからマンションを見上げた。中間にある一室に灯りが点く。ぼうとしていた頭が覚める。我に返って、そしてバイクを発進させた。この頭痛について深く考えようとすると、そこで強烈な悪寒を覚える。それはまさに、嫌な予感。そのものだ。


 背中に引きずるのは空白の熱。重く、優しく、それはゆっくりとルベルに圧し掛かった

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