NOTHING NOMAD

奪還屋ルベル.01


 防御壁都市――。


 それは、高層ビルが立ち並ぶ街を巨大な壁で覆い隠している都市のことだ。外部からの侵入を許さず、そして壁の内側で暮らす住民は外を知らない。隔離されたその都市は大きく五つに区分されている。製造に特化した西区、農業に特化した東区、そのほとんどが住宅街の南区、娯楽施設が多い北区、そして最も栄えた中央区だ。この都市の特殊な部分はその構造だけではない。東西南北の地区を牛耳っているのは各マフィアなのだ。西区マフィア、東区マフィア、南区マフィア、北区マフィアはそれぞれが互いに睨み合い、牽制しながらも少ない抗争でなんとか共存している。そしてマフィアを中心とする裏社会にはほかにもフリーランスの仕事屋が存在する。殺し屋、運び屋、闇医者、奪還屋、回収屋などだ。



 そして男は今、殺し屋に追われている最中だった。


「くそ、くそ……!! なんだ、どうして!」


 夜の真っ暗な路地裏を走り抜ける。転がっているゴミなど蹴っ飛ばして右往左往に駆けていく。足が絡まって転びそうになったが、なんとか立て直す。背後からの足音は止まない。追いつかれたら死ぬ。男は足を前へ前へ、ひたすら足を動かす。


「もう諦めたらどうだ?」


 背後から声がかかる。とても近い。息を荒くして走っている男とは違う、余裕のある声だ。


「終わりにしよう」


 その言葉が引き金だ。サイレンサーに殺された銃声が鳴り、男は前のめりに倒れこむ。

 胸が、胸が、胸が痛い。熱い。苦しい。息ができなくなる。じわじわと温かい血が胸から溢れ、体温が漏れていく。


「お前は脱走した人造人間だと噂に聞いていたが、どうにも人間らしい。人造人間というのは何かの比喩だったか?」

「……うぅ、ぁ」

「ふむ。問う相手を間違えたようだ」


 男から返事はない。嗚咽だけだ。

 殺し屋は優しく、温かく囁く。そして男の頭をぶち抜いた。男はもう嗚咽をすることはない。殺し屋は彼の最期を見届けると、一息つく。煙草を吸おうと一本取り出して火を点けた。殺し屋の依頼主は西区のマフィアのボス。彼は「北区マフィアに所属している人造人間を殺せ」と依頼したのだが、殺し屋が今しがた殺したこの男は果たして本当に人造人間だっただろうか。殺し屋は依頼主の不可思議な言葉に首を傾げる。

 「人造人間」とは比喩か、冗談か、二つ名か。

 ひとまず殺し屋は死体の写真を撮って依頼主に確認を取ることにした。


「おい、ラムダはどこだ!」

「発信機はこの辺りをさしています。あ、この路地裏です、ガンマさん!」

「っち。あいつ、西区に殺されてねえだろうな……!」


 殺し屋ははたと顔をあげる。この男を探している北区マフィアの連中が近くまで来ている。殺し屋はその場で煙草を落とし、靴の裏で火を消してから立ち去った。



   ◇◇◇◇◇◇



「ああん? 遺体の奪還だあー?」


 西区にあるボロアパートの一室でルベルは携帯電話へ向けて大きく言い放った。


『そうだよ。お仕事の依頼。文句言わないで働いてよー』


 相手は北区マフィアに所属する女だ。今しがた、ルベルに仕事の依頼をするために電話をしてきたばかり。一方のルベルは奪還する目標が遺体ときいて驚いていた。


「んだよ。金とかじゃねえのかよ」

『んー。お金は奪われてないからなぁー。ルベルくん、遺体の奪還が嫌なの?』

「違ぇ。お前らが嫌なんだよ」

『じゃあお仕事やめとく? 奪還屋がダメなら運び屋にお願いするだけだしぃ』


 ルベルのマフィアに対する嫌悪は今に始まったことではない。電話の相手はさして気にしておらず、ルベルの代わりはいるとばかりに厭味ったらしく呟いた。ルベルはため息をついて手元にある通帳へ目線を落とす。たった二桁しかない貯金残高に眩暈がしそうだ。


「いや。やる」


 眩暈を起こす前に、相手の依頼を受けるしかない。太っ腹に銃弾を買いすぎたが、過ぎたことだ。稼がねば明日の食事がない。


『よかったー! ルベルくんって腕はいいからね、腕だけは』

「どういう意味だゴラ」

『んじゃあ、詳しいことは画像が添付されたメールを確認してね。ほい、今メール送ったよ。目標の遺体は私たちの仲間のものなの。無事に奪還してくれるよう祈ってるね』

「おう。奪還でき次第俺から連絡する」

『お願いね』


 ルベルはすぐに電話を切り、メール画面を開く。確かに依頼メールが届いている。メールを開き、内容を確認する。メールの送り主は先ほどの電話の相手らしい。あちらこちらに可愛らしくハートや星、顔文字などが埋め込まれている。そしてその内容というのは、最後に目標が確認された時刻、場所。そしておよそ目標を殺したであろう人物。最後に目標が生きていたころの顔写真。


「殺したのは殺し屋紫音……。紫音の依頼主は西区マフィアか。北区が遺体の奪還を望んでいるってのは珍しい」


 つーか聞いたことねえ。ルベルは首を傾げた。不可思議な点はあるが、依頼について深入りしても得などないことはよくわかっている。依頼主はただ仕事をこなすことを望み、そうすることが仕事屋にとって一番安全だ。ルベルはすぐに出かける準備をする。拳銃、ミニショットガンの弾倉をチェックして、ナイフを装着。支度を済ませたルベルは最後に発信機の反応があったという南区に赴くことにした。


 時刻は夕暮れ。住宅が多く立ち並ぶ南区には、学校、職場から帰宅する住民で多少の賑わいがある。どこを歩いても人がいる環境は動きにくい。不自然にならないよう南区を練り歩くが、気になるところはない。そもそも依頼した北区マフィアからの情報が薄い。遺体がどこに運ばれてしまったのか、その手掛かりがないのだ。


「あれルベル。仕事?」


 大きなため息を吐いていたルベルに声をかけたのは一人の青年だ。

 夜空のような黒い髪と月を連想させる穏やかな双眸。京紫の着物とからし色の羽織りが特徴的な青年はルベルと同じく仕事屋だ。防御壁都市内でめずらしい和装をしているのは彼くらいだろう。


「なにやってんだよ、助手」


 彼は名前を捨てている。そのため、彼を呼ぶときは皆代名詞を使う。

 彼は情報屋の助手だ。顔も声も分からない、一切不明である情報屋と客を繋ぎ、情報屋の手助けをしているのだ。


「僕が先に聞いてるんだけど……。まあいいか。これだよ」


 そう言って、手に持っているバッグを見せる。中にはネギやトマトやキャベツなどの食材が詰め込まれていた。


「……。いつも思ってんだけどよ。お前は情報屋のパシリか? それとも助手なんてのは嘘で使用人なんじゃないのか?」

「まさか。……とはあんまり言えないんだよね、最近。しょうがないよ。僕の情報屋様は生活力が全く、これっぽっちもないんだから」


 助手はこめかみを抑えて首を振った。深刻な問題なのだろう。大きく肩を落としてため息をついている。ぶつぶつと文句を溢している助手の様子を見てルベルはこの件に関してはそっとしておこうと話題を変えた。


「ところでよぉ、最近この辺で殺人事件なかったか?」

「ああ、なるほど。昨夜の紫音がやった件のことだね? それで南区にいたんだ。なに、北区から依頼でももらったの?」

「話がはやくて助かる」


 ひっそりとルベルは冷や汗をかいた。たった一言ですべてを見透かされた。情報屋の助手とはいえ、この男は侮れない。膨大な情報量を頭の中に叩きこんでいるだけではなく、頭のキレがいい。その上、個人の戦闘力だって高いのだ。敵には回したくない相手である。

 余計なことを口から滑らせないように注意をしながらルベルは先を話した。


「ちょいと手掛かりを探してんだ。その殺人事件について。なんか知らね?」

「ん」


 空いている手のひらをルベルに突き付けた。助手は澄ました顔で、動じないルベルへさらに手を突きつける。ルベルの眉がぴくりと反応した。

 助手はたしかに隙が無いほど完璧だ。持っている情報量、戦闘力、そして誰にでも崩さない中立の姿勢。だが、助手には欠点がある。まず、彼がとんでもなく守銭奴である点だ。なにか理由をつけて金を集める。やれ情報料だ。やれ口止め料だ。やれ仲介料だ。などなど。しかしそれが無理難題というわけではなく適当であるところが文句をつけられない。変に頭がいいのだ。


「これは僕の商売だよ、ルベル。払うものが払えないなら僕は商品を渡せないよ」


 助手はご立派な顔をゆがませていかにもルベルに同情し悲しそうにするが、一方でルベルは舌打ちをした。


「いくらだ?」

「まいどー」


 彼はにっこりとした顔を浮かべる。助手が提示した金額を支払ってから、彼は話を進める。このまま道端でするような話題ではないためか近くの喫茶店へ入店し、そこで話をすることとなった。てきとうな席へ座り、注文した飲み物がテーブルに届いてから話をする。


「ルベルはどこまで知ってる?」

「紫音が北区マフィアの奴を殺したってことくらいだな。で、紫音に依頼したのが西区マフィア」

「なんだ。けっこう知ってるじゃん」

「なめてんのか」

「そんなつもりはないよ。……うん。そうだね。ルベルが知りたいのは無くなった遺体の居場所だもんね」

「それ以外には興味ねーよ。仕事ができるだけの情報があればそれでいい」


 助手はコーヒーカップに口をつけてから微笑んだ。


「前置きはいいんだよ。俺の奪還すべき遺体はどこだ」

「単刀直入に言えば、遺体は西区マフィアの管轄下にある。ほら、西区に火葬場があるでしょ? そこに保管されてるよ。火葬されず、ずっとね。冷凍保存してるって話だけど」

「冷凍保存ん? 遺体は精肉かなにかかよ。なんで保管なんか……。さっさと処理すりゃあいいのに」


 助手は口角を持ち上げて、テーブルから乗り出した。いじわるな笑みだ。助手のこういった類の笑みというのはたいてい悪い方に話が進む。案の定、今回もそうだった。ルベルはメロンソーダに入っているストローを噛みながら助手の続きを待った。助手はルベルが聞く姿勢であると分かると、その悪い話を聞かせる。


「あくまで噂なんだけどね」

「噂話なんて珍しいな」

「それがこの噂がちょっと面白くて。北区マフィアの遺体が変なんだって」

「あぁ?」


 変、とは。変わった死因でもあったか。遺体にイタズラでもされたか。しかし殺し屋の紫音が小細工をするとは思えない。彼女は真面目なのだ。ご丁寧に彼女の手掛けた仕事はすべて銃殺。はて。「変」とはどういうことだろうか。


「それがね」


 助手はゆったりとした口調で、内緒話でもするかのように声を潜める。


「死んだその体が融けてるんだって」

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