プロローグ.01

 裏社会にも職業は存在する。


 例を挙げるならば、マフィア、殺し屋、運び屋、情報屋などである。物騒な職を生業としている彼らは闇夜の中を生き、昼間は一般人の邪魔にならないよう生活する。時には命を賭して仕事を全うする彼ら裏社会の住民は違法に手を染めながら真っ当である。……とくに、この特殊な街のなかでは。

 ――と、青年ルベルは考えている。


「あのクソガキに仕事を横取りされる前にさっさと鍵を探さねえと……」


 ルベルは埃とカビくさいとある廃墟の中にいる。ここはつい数年前まで研究施設として運営していたようだ。しかし、ここで働いていた研究者たちが次々と謎の死を迎えたことで研究は停止したらしい。施設もそのままである。取り残された備品の中には片付けられていない試験管やシャーレなども放置されていた。内、一部の大きな器具はなくなっているのか、部分的に黒く汚れていないところがある。

 裏社会では「奪還屋」として存在するルベルは、北区のマフィアからの依頼を受け、この廃墟に置き去りにされたという鍵を探していた。その鍵が一体なんなのか、どうして廃墟にある鍵が北区のマフィアに必要なのか。そういった疑問は依頼者に問うことのないまま、ルベルは忠実に廃墟の中を捜索する。

 ほとんどの部屋を隅から隅まで捜索し終わった頃。誰もいないはずの廃墟内で小さな物音がした。


「……ん?」


 ルベルはふと手を止める。開けていた棚をそのままに、懐へ手を伸ばした。潜ませていた冷たい感触を確認し、ひっつかむ。足音を忍ばせて出入り口のドアに耳を当てた。遠くから足音がする。ルベルは舌打ちをして、慌てて鍵の捜索を進めた。

 割れたグラスの入った棚、虫の寝床となった引き出し、どっさりと埃が積もった本棚……。奥へ奥へと別の部屋に進むうちに、最後の部屋となってしまう。足音は近い。急く気持ちを抑えつけ、慎重に鍵を探した。しかし。


「わっ」


 元気のいい少女の声がルベルの背後からかかった。


「うわあ……」


 元気のないルベルがはっきりと舌打ちした。


「ルベルもここにいたの! む。まだ探してる……?」


 十代半ばにもなる少女はルベルが手を本棚の奥に伸ばしている様子を見て、にんまりと表情を変えた。ルベルは口角がひきつった。


「サブラージ……、てめえとは戦う必要がありそうだな」


 少女の名はサブラージ。ふんわりとまとまった黒のボブスタイルの髪。右の頬には記号のような入れ墨。つん、とつりあがった目は鋭く、ルベルと同じ緑色の瞳を持っている。彼女は回収屋である。

 犬歯をみせてニヤリと笑った。野性的なルベルを目の前に、サブラージは首を振る。


「これだからルベルは単細胞なんだよ。すぐ戦おうとする」


 もうとっくに大人なんでしょ? とサブラージはため息。しかし彼女も両手に短剣を握っていた。

 奪還屋と回収屋は同じものを目的にすることが多い。今回もそれだ。ルベルには「鍵を奪還してほしい」。サブラージには「鍵を回収してほしい」。そう依頼されて、現場で鉢合わせる。そして争奪戦になる。争奪戦は珍しいことではない。酷いときには、運び屋が奪還屋と回収屋に巻き込まれて三つ巴になることもあるのだ。

 最初に動いたのはサブラージだった。図体の大きなルベルとは違い、サブラージは小柄。小回りの利いた動きでルベルに接近する。遅れてルベルの二つの目玉がサブラージをとらえる。腕を交差させてルベルへ急接近するサブラージへルベルは袖に隠し持っている数本のナイフを投げる。サブラージの攻勢が崩れた。さらにルベルがコートの内側に隠し持っていたリボルバーを掴む。迷わずサブラージに向ける。彼女は銃口を避け、ルベルの後ろへ回り込んだ。しかしルベルはサブラージの行動が読めていた。引き金の横に人さし指をたてたまま、後ろへ回し蹴り。サブラージはすんでのところで附せる。ルベルが蹴ったのはサブラージの黒髪だけだった。サブラージはついにルベルへ一撃を加える。下から振り上げられる短剣はルベルの腹部にまっすぐ線を入れた。だが、浅い。


「そんなか弱い剣筋で俺を退かせられると思うなよ」

「ルベルは私に傷一つ付けられてないけど、大丈夫なの? 体調が悪いなら帰れば?」


 サブラージの挑発に素直にのり、ルベルはリボルバーのグリップを彼女に振り下ろす。慌てて短剣で身を守る。上から振り降りされた力はサブラージの腕を麻痺させる。ルベルは一瞬だけ動きがとまったサブラージの腹に膝を叩きこんだ。

 いくら相手が少女とはいえ、武器をもっている。明確な殺意をもっている上では男女の差などない。ルベルに力で劣るサブラージは埃が被った本の塔へ激突していった。今度こそ銃口をサブラージから外さない。ルベルは本の中に埋まったサブラージが動く様子がないと思うと、彼女の姿を見ようと手を伸ばした。本を退かそうと、しかし慎重に。彼女は機転がまわる。どんな手法を出してくるのか分からない。サブラージが動かなくなり、静寂が訪れた空間のなかでは衣服が擦れる音がやけに大きい。ルベルが本を手に取った。

 刹那。本の山からサブラージが飛び出てきた。

 先ほどとなにか違う。なにか、そう、短剣。両手で持っていた短剣が、片手だけ。もう一本は鞘に収まっている。なら、短剣を握っていた手には。


「手榴弾だと!」


 サブラージはピンを抜いた。小ぶりのそれを、床に叩きつける。サブラージは強く目と耳をふさいだ。

 強烈な光が室内を満たす。目を閉じる暇のなかったルベルは直にその光を、閃光を見てしまった。閃光は強く、ルベルの視覚を奪う。彼が一歩下がり、苦悶の声を漏らした。サブラージは何冊もの本から這い出て、また両手に短剣をそれぞれ握る。無防備になったルベルに近づこうと踏み込んだ。が、ルベルは地面に向けて一発。サブラージは舌打ちした。

 その一発は跳弾した。

 ただ床に埋まることなく、弾いて、壁へ。

 ちょうどそこには絵画が飾ってあった。これも埃を被っていて、街の風景画であることがかろうじて分かる程度。そこに弾が向かったのだ。額縁に当たり、一部が砕ける。はらりと木くずと紙片が落ちた向こう側はこれまでと同じく壁、が続いていなかった。


「へ?」


 壁に黒いものが。気になったサブラージはルベルなど放っておいて絵画に近づいた。壁ではないそれは何なのか。わざわざ絵画の下にある、隠されたそれとは一体。背伸びをして絵画を取り外す。絵画があった場所は、絵画よりも一回り小さな四角が。その正体は一目瞭然。金庫だ。


「金庫お!?」


 これみよがしに数字のダイヤルが端に。鍵穴まである。……怪しい。

 サブラージは夢中になって金庫の扉に切っ先を引っ掛け、金庫を力づくで壊した。古い廃墟の金庫であるせいか、大した苦労は必要なかった。中には、鍵が一つ。依頼主から聞いた特徴と一致した、目的の物。サブラージが伸ばした手は、回復したルベルによって遮られる。強く掴まれた腕はそのまま放り出された。サブラージはまるで子猫のように放たれる。うまく着地したサブラージはバネのようにルベルへ突撃した。ルベルは鍵をいったん諦めてサブラージと対峙する。

 飛んでくるサブラージへまっすぐ銃口を向け、撃つ。サブラージの剣が偶然その銃弾を防いだ。サブラージは室内を器用に逃げ回り、ルベルの銃弾がその後を追った。ついに六発すべてを撃ったルベルに、サブラージは襲い掛かる。とん、と軽い跳躍でルベルと目線を合わせ、重力を加算して剣を振り下ろす。ルベルはそれを最小限の動きで回避し、そして空いていた片方の手でナイフを握る。ルベルの赤い髪が一束切れる。剣が通過したその道筋を鈍器となったリボルバーがたどった。剣を叩き落す。床に落ちた剣をルベルは部屋の隅へ蹴った。一本の剣の柄頭に空いた手のひらを押し付けてサブラージは突く。至近距離だ。ルベルは反撃に出るより、それを回避した。それがサブラージの目的だった。

 ルベルはずっと金庫を背面にして守るように戦っていた。しかし回避した今、金庫の前にルベルはいない。


「ばーか、ルベル」


 サブラージは急激に停止した。金庫の目の前だ。空いた手で鍵を取る。


「あっ、てめえ!」

「焦って全部撃っちゃうからだよ。それに、銃とナイフしか持ってこなかったルベルが悪い」

「んだと! 絶対に奪還してやる!」

「あっかんべー、だ!」


 サブラージが持っているのは閃光弾だけではない。ウエストポーチから、煙幕弾を出した。ルベルがナイフを投擲したのと同時に煙幕は発生する。

 煙幕が晴れたあと、そこにサブラージがいるはずもなく。当然、求めていた鍵もない。床に残るのはルベルのものではない血痕が少しだけ。すぐにルベルはその血痕を追ったものの、応急処置をしながら撤退したのか、それは途絶えてしまった。

 廃墟から出てきたルベルはわなわなとこぶしを震わせる。そして力いっぱい夜空に向けて叫んだ。


「やりやがったな、あんのクソガキッ!!」

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