17. 代償は重く
突然の全力疾走で息が切れた。
ハアハアと肩で息を整えながら、膝に手を当てている黒埜氏に尋ねる。
「説明、して、ください、よ…」
「はあ…はあ…待って…」
黒埜氏は深呼吸し、ハンカチで汗を拭ってから、近くの自動販売機でコーヒーを二つ買い、一本を僕に投げてよこす。
「あの道路の少し先の交差点にね、交番があるんだよ。運良くあの道路からは死角で見えなかったね」
「…じゃあ、アイツらは交番の直ぐ目の前で拳銃ぶっ放したんですか?」
「そういうこと。
昼日中の都会で拳銃撃っちゃうようなヤツらだから、上手くいくと思ったよ。
日本の警官が優秀で、本当に良かった」
悪戯が成功した子供のように、とても嬉しそうな黒埜氏。
「それに、
民家がないことは地図で分かってたけど、誰かが歩いてたらもう一周歩き回るところだった」
「そうだったんですか…。でも、笑い事じゃ無いですよ?
もし、警官がパトロール中とかで留守だったらどうしたんです?」
僕のその言葉を聞き、黒埜氏が笑いを止め、目を逸らす。……何てこった。その可能性を考えていなかったのか、この探偵…。
「まあ、とにかく。これで邪魔者も消えたし、遠藤君の顔を拝みに行こうじゃないか」
「はあ…」
歩き出した黒埜氏を追い、僕も溜息を吐きながら従った。
五体満足って素晴らしい。
***
「居ると良いですね」
僕は歩きながら黒埜氏に言う。まだ、実家が分かっただけで、ここに潜伏していると決まったわけじゃない。
「そうだね。これ以上追いかけっこもしたくないし、居てくれないと困るな」
寂れた商店街を歩く僕たち。
夕方に差し掛かっており、スーパーの近くには子供の手を引いた主婦の姿も多い。
こんな人達を巻き込まなくて良かったと心から思う。
遠くに、サイレンの音が微かに聞こえる。
先ほどの件で、警察も慌ただしくなったようだ。
黒埜氏が遠藤の近くに連れて来たくなかったのは、尾行者だけでは無かったということだ。
やがて身近な所から、最近聞き慣れた電子音が届いた。
前方には、古びたパチンコ屋。
黒埜氏が立ち止まり、呆れたように僕に向かって呟いた。
「…なあ、木田君。
アイツは何やってるんだ?」
黒埜氏の顎が示す先…パチンコ屋から、フラフラとした足取りで遠藤浩太が出て来る所だった。
ギリギリ表情が覗える程の距離だが、明らかに憔悴しているのが見て取れる。
夢遊病者のような足取りで、そのまま向かいのコンビニへと入っていく。
近くの歩行者が揃って慌てたように遠藤を避けていく。
しばらくコンビニの近くで待っていると、やがてふらふらと遠藤が出てきた。
そのままコンビニの脇の縁石に腰を降ろし、ビニール袋から缶チューハイを取り出す。
「…見てられないな」
黒埜氏が呟きながら、スマホを取り出し僕の背後へと歩いて行く。…ジンさんに連絡するのだろうか。
僕は尚も、遠藤の挙動を見守っていた。
プルタブを開け、酒を一口含んでから、徐にポケットに手を入れ、手に何かを取り出す。
小さくて見えないそれは、口の中に放り込まれる一瞬、白い物だと分かる。
「…こんな往来で堂々とドラッグか」
戻ってきた黒埜氏が溜息交じりに呟いた。
二人、遠藤を見張っている姿勢のまま、僕は黒埜氏の顔を見ずに聞いた。
「…ジンさんに連絡したんですか?」
「…ああ。
……探偵という職業が、嫌になったかい?」
それは何時だったか最近も聞いた、黒埜氏の優しい声。
「……いいえ」
僕はそう答えたが、それはやはり黒埜氏の顔を見ては言えなかった。
「嫌になったら、いつでも言うと良い」
そっと、黒埜氏が僕の肩に手を掛けた。
十分ほど経った頃、背後から数人の足音が聞こえた。
振り返ると、ケイタと取り巻きのヤクザが数人。
「早くないですか?」
「…第一報は市役所から入れたからね。
時折途中経過も入れてたし」
遠藤は今では、縁石の上で寝そべってしまっている。
「よう、お疲れ。
バンで来てるから、お前らも乗ってくか?」
ケイタが嫌な笑い方で黒埜氏を見る。
「遠慮しておくよ。
……ジンさんによろしく」
「おう…」
踵を返した黒埜氏を追い、僕もその場を後にする。
…振り返ることはしなかった。
***
「やっぱり、新幹線使った方が良かったかな」
帰りの電車の中、夕日を浴びた黒埜氏は面倒くさそうに言った。
「乗り換えが面倒ですよ?」
「それもそうだね。
…池袋に帰ったら、やきとんで一杯飲もうか」
「……良いですね、それ」
乗客を増やしたり減らしたりしながら、電車はまだしばらく僕たちを乗せて進んでいく。
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