14. Jack Baker

 その後の喫茶店での話に、特筆すべき事は無い。紫苑も遠藤の実家のことは何も知らず、考えてみれば遠藤の個人的な情報を何も知らない、ということに思い至ってしまい、またもや泣きじゃくるという修羅場のような展開を経て、最後には抜け殻のようになった紫苑を送り帰した。

 

 明くる日、僕たちは再び池袋で一日聞き込みをしたが、僕たちの靴底がまた少し磨り減っただけで、新しい情報は何も得ることが出来なかった。


 そうして、今日。僕たちは懲りずにまたもや池袋を彷徨さまよっていた。


「そもそも、実家なんてわかりやすい場所にいるんですかねえ?」

「さあ?

 でもパスポートは持ってないっぽいしねえ。他に当ても無いから。」

 身も蓋もない…。

 ただ、実家で準備を整えてから、どこかに高飛びするなり、見つかりにくい所に身を隠すなりするんじゃ無いか、という黒埜氏の予想には説得力を感じる。

 

 自分のことをこれまで一切周りに話さなかった、遠藤浩太というやたら慎重な男なら、あり得ることだ。

 つまり、なるべく早く足取りを掴まえないと、またどこかに逃げられてしまうのだ。

「女子高生二人の未来も掛かってるしねぇ」

「一応、三人にしてあげてくださいよ」

 僕は小野田瑠璃の顔を思い浮かべながら言った。


 当たり前のように午前の聞き込みが空振りに終わり、昼を挟んで午後。

 昼飯を食べたレストランを出て、芸術劇場沿いの道を西口公園に向かって歩いていると、前方から覆面を被った大柄な男が二人、こちらに向かって進んでくるのが見えた。

 あまりに非現実的な光景を目の当たりにし、一瞬思考が固まってしまう。

 

「おいおい、木田君。あれは銀行強盗のコスプレかい?」

「…黒埜さん。アイツら、黒埜さんのこと見てますよ?

 顔広すぎでしょ?」

「止してくれよ…。俺だって、友達は選ぶよ」


 近付いてくる男達の雰囲気は明らかにカタギでは無い。いやむしろテロリストみたいな雰囲気だ。

 揃いなのか分からないが、全員黒のTシャツを着ていて、揃って胸筋が盛り上がっている。

 カーキのミリタリーパンツといい、真っ黒な覆面といい、まともなセンスじゃ無い。

 だが、相手が二人と言うこともあって、自分でも意外なくらいに落ち着いている。

 

「僕はバリツがあるけど、木田君も合気道使えるんだっけ?」

「…護身術程度ですけど…」

 答えている途中で僕の言葉は尻すぼみに力を失う。背後から、全く同じ格好をした男が新たに三人現れたからだ。

「じゃ、前お願い。…後ろは俺がやろう」

 

 僕と黒埜氏が身構えると、三人組の一人が日本語では無い言葉で何かの合図を出した。

 と、同時、両方向から一斉に男達が飛びかかってくる。

 前方から襲い掛かってくる男は二人とも、180cmはありそうな身長に加え、かなりの筋肉質だ。

 右の男が一足先にアタッキングエリアに入ったようで、大ぶりなパンチを繰り出してくる。

 体格に見合った、重そうな拳。スピードが乗っていて、まともに当たれば骨が砕けそうだ。

 

 右足を大きく前に。

 相手の右足の外に入れて。

 腰を屈め。

 右手は相手の腕に添えるように。

 相手のスピードは殺さず。

 左手でしっかり掴まえて。


 …投げる。

 

 相手の力をそっくりそのまま利用すれば、どんな体格の人間であれ、投げるのに力は必要ない。

 

 相手の男の体が地面に叩きつけられると同時、相手の肺から空気の固まりが飛び出し、言葉にならない呻きを上げさせる。

 それを見て怯んだもう一人の男の手首を掴まえ、すかさず体を入れ替えるように回り込む。相手も一緒に回ってこようとするが、その前に相手の肘を起点に捻るように前に腕を突き出す。

 面白いように相手の男が宙を回転した。

 一人目と同じように地に背を着けた男の腹に、流れるように膝を落とすと、相手が悶絶した。そのまま膝で男を押さえつけつつ、黒埜氏の様子を窺う。

 

「…あれは、完全にボクシングだよな…」

 既に一人が腹を抑え蹲っており、二人目の顎に黒埜氏の右フックが綺麗に入った瞬間を見てしまった。

 三人目の男が何事かを叫んだと思った、その時。

 乾いた破裂音が通りに響いた。

 直後、僕の近くのアスファルトに何かが弾け、僕の顔の直ぐ側を小石のような破片が飛んでいった。

 音のした方に顔を向けると、最初に僕を襲った男が、両手に拳銃を握りしめて、中腰の姿勢で立っていた。

 心臓に氷柱を突き刺されたような悪寒が、体を駆け抜けた。

 しまった、油断しすぎだったか、そう思った時――


「おらーあ! おまえら何してんじゃー!」

 公園の方向から、スーツ姿の強面の男が三人、走ってくる。

 先ほど合図を出した覆面男が舌打ちをして、また何語か分からない言葉で指示を出すと、蹌踉よろめきながら悪漢達は逃げ出した。

 いつの間にか僕が拘束していた男も逃げ出しており、僕と黒埜氏だけが取り残された格好だ。

 

 悪漢達を追い払ってくれたヤクザは到着しても足を緩めず、そのまま逃げた方向に走り抜けていった。

「ふう、助かったみたいだ」

 黒埜氏がのんびり見送っていると、

「チッ、傷の一つでも付きゃあ良かったのによ」

 と悪態を吐きながらケイタがやって来た。

「ご挨拶だな、ケイタ君」

 黒埜氏の言葉を受け流しながら、ケイタは屈み込んで僕たちの争った跡をじっと見ている。

 やがて、発射された薬莢を見付けると、ハンカチを取り出し、それを包んでポケットに入れた。

「警察が来る前に、逃げるぞ」

 有無を言わせぬ勢いで、ケイタは僕たちを促した。


***


 ケイタに連れられてやって来た事務所。

「ジンさん、俺達を撒き餌にするの止めてくださいよ」

「はははっ。探偵の使い道なんて、そんなモンだろう?」

 ジン氏は心底愉快そうに黒埜氏と僕を見る。

 黒埜氏はかなり露骨に嫌な顔をしている。

 

「まさか、こんなにあっさり食い付くとはな。

 案外連中は馬鹿なのかもな」

「…まったく、人が悪いのは相変わらずだよ…」

 隣の部屋から帰ってきたケイタを見て、ジン氏が顎で何かを促す。

「9mmでした。…多分、グロックじゃないかと」

「ふーん…。流石にチャカだけじゃ絞れんか」

 社長椅子をくるっと半回転させて壁を少し眺めた後、ジン氏が黒埜氏に聞く。

「何語喋ってたか分かるか?」

「アジア系じゃなかったね。

 …スペインかな、ポルトガルかな、多分その辺」

 その言葉で少し考え込む素振りをした後、ジン氏が静かに話し始めた。


「…クロ、SALって知ってるか?」

「サル…? 知らないですね。なんかの蔑称?」

「Salvación de América Latina。ラテンアメリカの救済、みたいな意味だったと思う。

 最近中南米ですげえ勢いで規模を広げてる新手のマフィアグループだ。

 日本でもここ数年でだんだん名前を聞くようになった。あちこちで揉め始めててな、特に中華系と仲が悪くて迷惑この上ない」

「じゃ、今回の件は…?」

「まだ分からん。

 遠藤の方はどうだ?

 何か分かったか?」

「そっちはボチボチです。もう少し、ってところ」

「遠藤が飼ってた女は?

 その位はもう見付けてんだろ?」

「それですが、一つお願いが。」

 黒埜氏がスーツの襟を手で整えながら言った。

 

「遠藤は、自分たちが必ず見付けるんで、女の子は見逃して貰えないっすかね」

「クロノ、何勝手言いやがる…!」

 ケイタが文句を言うが、それをジン氏が手で制する。

「遠藤は確実に見付けられるんだな?」

「ええ」

 躊躇いなく頷く黒埜氏を見て、ジン氏はあっさりと頷いた。

「分かった。

 ……今日の迷惑料だ。一週間待つよ。

 その間に遠藤の居場所が分かったら、その女には今後も手を出さん」

「…ありがとう、ジンさん」

 そして僕たちはジン氏の事務所を後にした。

 まるで現実感の無い一日だった気がする…。

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