13. My foolish heart
米びつの中から目視で、混じり込んだ小石を取り除くような、そんなじわじわ神経をすり減らす数日間を過ごした後、日曜日は完全休業となった。
明けて月曜日の気持ちの良い昼下がり。
僕と黒埜氏は田島邸にお邪魔をし、見事な庭に面したテラスで紅茶をご馳走になっていた。
「本当にすみません、短い間に何度もお邪魔しちゃって」
僕のお詫びに佐貴子さんは涼やかな微笑みで応えてくれる。
「良いんです。私も気分転換になるし。
探偵さんなんて、なかなか友達になる機会無いですから」
もう30は超しているはずなのに、化粧っ気がほとんど無くても気にならない肌の細やかさ、上品さと優雅さを兼ねた美貌にギャップのある親しみやすさ。おまけにセレブ。
なんでこんなパーフェクト美人が僕たちなんかの相手をしてくれているのだろう。
「佐貴子さん、紅茶も良いけど、たまにはお酒でもご一緒しましょうよ」
そう言えば、初めてここを訪れた時は、勤務中だったのにお酒をご馳走になったんだっけ。
「黒埜さん、図々しいですよ?」
「ふふ。あまり明け透けにお誘いしてくれる友達はいないから、お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞なんて、とんでもない。
美女とお酒に嘘は吐けません」
「黒埜さん、仕事中に口説くの止めてくださいよ」
僕のぼやきに佐貴子さんがクスクス笑う。
しばらく僕たちは八木橋家のその後の当たり障り無い調査状況を報告したり、チャーリーの様子を伝えるなどしてから、お暇させて貰った。
***
「あっ」
校門から伏し目がちに出てきた立花紫苑が僕たちの姿を認め、小さく声を上げた。何やら虫が口に入ってしまった時の様な表情をしている。
「やあ、久し振り…でもないか」
僕は出来るだけ柔らかい声を意識して話しかける。
「…今日は何ですか…?」
「あれ、少しは打ち解けたと思ってたんだけどなあ…」
黒埜氏のぼやきに、「もう二度と会うことないと思ってたから」とそっぽを向きながら紫苑は呟いた。
再び喫茶『ノワール』。
最初に出会った時のように、やや警戒心を滲ませている紫苑。黒埜氏も言葉少なめだ。
だが、今日紫苑に会いに行こうと言い出したのは黒埜氏だ。その真意を僕はまだ聞いていない。
注文した飲み物が運ばれてくるまで、僕たちのテーブルは静寂さを保ったままだった。
その沈黙を破ったのは、黒埜氏だった。
ポケットから一枚の紙を取り出す。
遠藤の映っている写真だ。
「…立花紫苑君。君だね、遠藤の彼女は」
紫苑は写真に見向きもせず、また黒埜氏の言葉を聞いても反応を見せないまましばらく俯いていた。
「……う。」
「う?」
「…違う…。彼女じゃ無い…。元、彼女……」
「元、と言うと?」
黒埜氏が珍しく優しげな口調で言葉を誘う。
「何も言わないで、私のこと置いてどっか行っちゃった…。
愛してるって…大事にするって…言ってたくせに……」
懸命に言葉を紡ごうとするのは彼女のプライドがさせているのか。
奥歯を噛みしめ、グッと嗚咽を堪え、想いを断ち切るように顔を真上に上げ、鼻を啜る。
やがて気持ちを切り替えたのか、潤んだ瞳で黒埜氏を睨み付け、紫苑は聞いた。
「…どうして分かったの?」
「…まあ、半分はカマかけたような物だけど。」
黒埜氏は煙草に火を点けて、話を続ける。
「一つ、八木橋翠についての嫌がらせは、明確な意図を持って仕組まれた事だった。
直ぐに考えつくのは翠を個人的に陥れたいと思ってる人物だが…。該当するのは小野田瑠璃くらいしかいない。
そして、その瑠璃もわざわざ手間暇掛けて翠を弄ぶような性格じゃ無い。
たまたま材料が転がり込んで来たから、遊んだって程度だ。
では、誰が瑠璃にその材料を提供したのか」
カラン、と音がして水の入ったグラスの氷が回った。
僕は一口アイスコーヒーを飲んだが、黒埜氏と紫苑は身動ぎせず睨み合っている。
「翠を連れていかがわしい場所に行き、その場の姿を写真に収め、ヤクザの情報と一緒に瑠璃にそれを流す――君には造作も無く出来ることだろう。
君は特定のグループに属さず、どちらのことも良く知っていたんだからね。遠藤と付き合ってたなら、尚更瑠璃の行動も把握できただろう。
二つ。遠藤の彼女について、数少ない目撃情報だ。数が少ない上に、証言者がクスリで少し頭が鈍ってる半グレの言うことだから、正直当てにはならないが。
―曰く、中学生にも見間違える程若い。
―曰く、眼鏡を掛けていた。
ま、外見に関しては見る側の感性もあるだろう。
だがそれでも、八木橋翠も小野田瑠璃も中学生にはちょっと見えない。二人とも私服なら女子大生と言われても納得するくらい大人びているからね。
それに君、普段はコンタクトだろう?
冷静になろうとすると、ブリッジをさすろうとする癖が出る。
――どれも根拠としては弱いが、限られた人間の中から絞り出すには充分な情報さ。
俺達の知らない登場人物がまだいるなら別だがね。」
長い台詞の後、黒埜氏はようやく自分のコーヒーに手を付けたが、紫苑は相変わらず身動き一つしなかった。
「…それに、最初にあった時。
君、学校の周りを
チンピラやヤンキーの方がずっとしっくりくる様な連中なのに、そう言ったのは君がヤクザが動くと知っていたからだろう?」
「…怖くなったの。
いなくなるちょっと前から、やたらコウちゃんお金持ってたし。
いなくなる前の日は、やたらと怯えてたし。
いなくなって少し経ったら、今度はなんか池袋でヤクザがコウちゃんのこと探し回ってるの見ちゃったし。見付けたら殺せ、くらいの勢いだったから、私、すごく怖くて…」
カランッ、と再び氷の音が響いたが、それはまだ一口も付けられていない紫苑のアイスティーからだった。
「八木橋翠が不登校になる事も織り込み済みでやったんだろう?」
「…だって、出てきたらバレちゃうし…。
…でも、ミドリの家の近くにもヤクザがウロウロしてるって聞いて、私、自分がとんでもないことしちゃったって思って…」
紫苑の顔には、確かに後悔の色が浮かんでいた。
今思えば、今日最初に声を掛けた時に、どことなく憂鬱そうだったのも、彼女なりに気にしているということなのだろうか。
「ほとぼりが冷めたらどうするつもりだったんだ?
翠はそのまんま?」
「違う!
……ちゃんとクラスの誤解を解いて、間違いだったって……謝って…」
「それで翠がすんなり学校にまた通い出せるって?
何も無かったように元に戻るって?」
黒埜氏の平坦な言葉には紫苑を責めるような気配も、慰めるような優しさも感じられない。
だが、紫苑の肩はブルブルと震え、必死に嗚咽を堪えている。
黒埜氏がゆっくりと紫苑の方に身を乗り出した。そして、ショートボブで綺麗に露出している形の良い耳元で囁く。
「君の彼氏はヤクザのシマで、勝手に余所のクスリを捌いたんだ。
ヤクザは決して彼を許さないだろう。
そしてヤクザは、君も放っておかないだろう。今日、君の名前が明らかになったからね」
畳みかけられる低い声音の言葉に、今では紫苑の体はガクガクと音を立てて震えている。恐慌状態になっているようだ。
きっと、今まであまり他人に悪意を向けられたことがないのだろう。…八木橋翠のように。ある意味閉じた世界で守られてきた彼女たちだが、その世界はいささか綺麗に閉じすぎていたのかも知れない。
黒埜氏も少々やり過ぎだとは思うが、心を空にして僕は沈黙を守る。
「そうしたら、君も学校どころでは無いだろう。お友達と一緒で良かったじゃ無いか」
「わ、わた、わたし…ど、どうすれ、ば…」
唇の震えも構わず、感情がだだ漏れて言葉を成す。
「た、す…たすけて…」
涙と鼻水でグズグズになった顔で、紫苑が黒埜氏に縋り付く。黒埜氏が前のめりだった体を椅子の背もたれに投げ出したのを見て、突き放されたように感じたのか、一層紫苑の顔に絶望が広がった。
だが、黒埜氏は至って軽い口調でこう告げたのだった。
「ああ、助けてやる」
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