9. 部屋とYシャツとヤクザ
「オォーン…ナーオオゥ…」
チャーリーが四つん這いの姿勢のまま伸びをして、何やら鳴いて訴えている。
「チャーリー、お腹空いたの?! 空いたのね?!」
綾子氏がいそいそとチャーリーの餌皿に向かって行くのを横目に追いながら、僕は向かいのソファでだらけきっている黒埜氏に問い掛けた。
「黒埜さん、当ては有るんですか?」
「…当て? 半グレのこと?
まあ、どうにでもなるよ」
ソファの肘掛けに頭を乗せ、寝そべりながら黒埜氏は暢気に言う。
「チャーリー! あなたカリカリ残してるじゃないの! 好き嫌いはダメなのよ?!
…ちょっと! チャーリー!」
「…あの事務所は、支部みたいな感じなんですか?」
「まあ、そんなもんかね。ああいう場所を幾つも持ってるんだよ。
ジンさんは、『東龍会』の三人いる若頭の一人なんだ。池袋を任されてる御仁だから、なるべく目を付けられないようにね」
くわえ煙草でそんなことを言われても、正直返答に困る。
遠くに綾子氏のチャーリーを呼ぶ声を聞きながら、僕は今日の昼のことを改めて思い出すのだった。
***
ケイタに連れられて入った雑居ビルの一室は、ザ・ヤクザ事務所といった感じの部屋だった。飾られた掛け軸やら壺やらは映画のその筋のテンプレそのものだ。流石に日本刀は飾られていなかったが。
ヤンキーっぽい若者二人と、スーツを着込んだ中年の強面四人、総勢六人のその方面の方々が、背筋を伸ばした姿勢で立ったまま僕たちを睨む。
奥の社長デスクっぽい席では、一人の男性が椅子の背もたれに体を預けた威圧感のある体勢で、黒埜氏を見つめニヤニヤとしていた。
「よう、クロ」
「ご無沙汰してます、ジンさん」
ケイタに対してはやたら横柄な態度だったのに、折り目正しいお辞儀をしている黒埜氏を見て、今日一番の驚きが出てしまった。…相当ヤバい人らしい。
改めてそっと座っている男性を窺う。
ケイタと同じ、いや、ケイタが真似しているのか、見事なオールバックに二枚目の精悍な顔立ち。服装は実に高級そうな黒スーツ。
(後に聞いた話では、大のアルマーニコレクターだそうだ。)
襟の大きな真っ白いワイシャツが胸元で大きく広がり、首元には上品なシルバーのネックレスがぶら下がっている。
年齢は黒埜氏と同じか少し上、といったところ。余分な肉の付いていない、引き締まった体つき。何より、この場にいるどのヤクザよりも圧倒的な威圧感を感じる。容姿、雰囲気、目線から表情筋の全てで、僕たちを含めたこの部屋の全てを、完全に支配している。
「何、柄にもねえことやってんだ」
黒埜氏を軽く鼻で笑いながら、デスクの前に設えられた応接セットに座れと、顎で指示する。
黒埜氏に続いて、僕もそのソファに腰を落ち着けた。田島家、八木橋家、と最近高級ソファに
僕らが座るのを待って、男性も立ち上がりこちらへとデスクを回り込んで近付いてくる。
僕ら二人の前のソファにゆっくりと腰を降ろすと、控えていたスーツ姿のヤクザがお茶を運んできた。
「久し振りだな、クロ。
こっちはお前のとこの新入りか?」
僕の方を値踏みするような視線で見てくるヤクザボス。
「ええ。木田君と言います。
…木田君。この人は
「初めまして、木田典親と言います。
黒埜さんの事務所で働かせて貰ってます…」
恐る恐る挨拶をしてみたが、ジンと呼ばれる男は相変わらず僕を品定めしている。
数秒か、数十秒か…僕にとってとても長く感じる沈黙が続いた後、ふうと溜息を吐いてジン氏はソファの背もたれに身を投げうった。
「…つまらねえ。緊張はしているようだが、震えの一つも見せねえとは。」
「そりゃ、そういう子じゃなきゃこんなとこ連れてこないですよ」
黒埜氏はいつもの通りの気楽な口調でジン氏に返す。
…いやいや、充分怖いですけど…。
「…で、その『こんなとこ』に何の用で来たんだよ?
まさか盃を交わす為に来たわけでもあるまい?」
ジン氏の言葉に、今まで空気になっていたケイタが近寄り、耳打ちする。
じっとケイタの報告に耳を貸していたジン氏が、黒埜氏を見て一つ頷いた。
「…聖清の女子高生の尻追っかけてるのか?」
「ええ、まあ。」
「ふーん…。お前がロリコンとはねえ」
ジン氏は興味なさそうに呟くと、立ち上がり再び自分の席に向かい、立ったまま机の上のPCを何やら操作する。
一呼吸置いて、部屋の隅のプリンターらしき機械が稼働音を鳴らした。
ジン氏がソファに戻ってくると、プリンターから二枚の紙を持った若者がやって来て、ジン氏にそれを手渡す。
それをそのまま黒埜氏にパスし、またソファの背もたれに体を預けるジン氏。
黒埜氏が受け取った紙は写真のプリントアウトだったようで、そこにはあまりぱっとしない茶髪の男が写っていた。二枚目も顔の向きが違うだけで、いずれも同一人物のスナップ写真だ。
「そいつは遠藤浩太っていうチンピラだ。俗に言う半グレってヤツだ。高校を中退して上京して来たは良いが、碌な仕事にも就けず、その日暮らし。ヤクザにもなりきれねえ半端モンさ。
…知ってるか?」
その言葉は、写真の男を知っているか、という意味だろう。
黒埜氏に遅れ、僕も黙って首を横に振る。
背もたれから体を起こし、前のめりの姿勢で黒埜氏を睨みながら、ジン氏が再び尋ねた。
「…本当に知らねえんだな?」
その声はそれまでとガラッと変わり、底の見えない真っ暗な穴から響いてくる得体の知れない風音を思わせる。
「…ええ。初めて見る顔です。
…この男が何か?」
黒埜氏の言葉を聞いたジン氏は、納得したのか、また楽な姿勢に戻る。その瞬間を待ち侘びていた僕は、気付かれないようにそっと肺の中の空気を吐き出した。
「池袋でいつも4、5人で連んでる半グレグループの、リーダー格の男なんだがな。
みかじめ料の回収なんかをやらせてるんだが、それ以外にこの辺りで援交してる
ま、それは別にいいんだ。
…ただな、どうも最近うちらに黙ってこっそりクスリを捌いていたらしくてな」
「…クスリ、ですか?」
「ああ。ラブ・ドラッグとかエクスタシーとかその辺のヤツだ。
……うちらの知らねえ新しい海外マフィアが流してるんじゃねえかと俺は思ってる」
……何だか、思っていた以上にきな臭い話らしい。黒埜氏も露骨に顔を顰めている。
「大方半グレ共に美味い話匂わせて、捌かせてんだろう。
……クロ。これがどういうことか、お前は分かるよな?」
僕もヤクザがらみの話は全く詳しくないが、それでも何となく分かる。
自分たちの縄張りで自分たちの知らない薬物を勝手に流通されるということ。しかも、自分たちに挨拶もない外から来たマフィアが荒しているということ。何より儀と礼を重んじている彼らからすれば、逆鱗その物の案件なんだろう。
「事情は掴めましたが、何故そこで聖清なんです?」黒埜氏が問う。
「まあ待て。
…事態を察知したウチの若いモンが締め上げようとしたら、遠藤のグループは一足先に逃げた後だったよ。勘だけは鋭いとか、厄介な連中さ。ゴキブリみたいなモンだな。恐らくは散り散りになってるだろう。
遠藤のヤサももぬけの殻だ。仲間の内一人は見付けたが、そいつもまるで行き先を知らされていねえ。他の連中はどいつもこいつも足が掴めねえ。
…………そこで、だ。
遠藤は女を飼ってた」
「…それが、女子高生?」
黒埜氏の質問に、ジン氏は鋭い目付きのまま、ただ頷きを返しただけだった。
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