8. 黒埜氏とヤクザ

 池袋駅はいくつもの路線が交差するだけあって、平日の日中でも呆れ返るほど人が多い。

 新宿ほどではないにせよ、百貨店に商業ビル、娯楽施設、飲食店、風俗店などがせめぎ合い、猥雑な空気が四六時中蔓延している。

 我が事務所からも歩いて来られるくらいの距離だから、まあホームグラウンドと言っても良いだろう。

 

「ほとんど埼玉県民だけどねえ」

 黒埜氏が人の波を器用に掻い潜りながら言う。実際、ほぼ埼玉との境なので間違ってはいない。

 僕らは駅の西口を歩いていて、風俗店やホテルの多い北口方面へと向かっているところだ。

 

 ぼろ切れを身に纏った浮浪者がのそのそと歩道の端を歩いているが、目の前の交番に立った警官はまるで注意も払わず向かいのビルの上階辺りをじっと見つめている。周囲を急ぎ足で歩く人々も同様だ。

「黒埜さん、どこに行くんですか?」

「チンピラの情報が欲しいね。…もしかしたら、ギャルとやらの事も何か分かるかも知れない」

 そう上手くいくだろうか…。それきり黒埜氏は何も言わないので、僕も黙って着いていく。


 パチンコ店やら飲食店やらをいくつも通り過ぎ、北口の小さな出口の前まで来ると、目の前には東武東上線とJR埼京線の線路が突っ切っている。

 線路沿いにしばらく北上していると、道路脇にピカピカに黒光りしたクラウンマジェスタが駐車しているのが見えた。

 車の手前で立ち止まり、人通りが少ないのを良いことに、黒埜氏が煙草に火を点ける。

 

「いたいた。早々に見つかって良かったよ。ここで待とうか」

「車の持ち主に用があるんですか?」

 どう考えたって、カタギの人物じゃないだろう。

 言ってる側から、目の前の雑居ビルの階段を恰幅の良い男が降りてきた。

 白いパーカーに黒のスウェット姿。オールバックの髪型に薄い色のサングラス、口髭少々。直ぐ後ろに20を過ぎたくらいだろうか、茶髪にニキビ面の若者が着いて来る。

 

「あ?」

 僕たちに気付いた男、いや、もう言ってしまおう、僕たちに気付いたヤクザがドスの効いた声で睨み付けてきた…。だが束の間。

「げっ! …クロノかよ」

 黒埜氏を見て途端に苦虫を噛みつぶした表情になった。

「久し振り、ケイタ君」

 一方の黒埜氏は数年来の友人を見付けたような笑顔だ。

「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえよ…。

 それで…何の用だよ?」

 

 みるみるテンションの下がった兄貴分に、「こいつ、なんなんです? やっちまいます?」みたいな表情で黒埜氏とケイタと呼ばれた男性を交互に見遣る若者。忠犬、て感じだ。

「いやあ、ちょっと聞きたいことがあってねえ。

 …あ、紹介するよ。彼はうちの事務所の社員。木田典親君だ。

 木田君、彼は高梨景太郎。ケイタ、で良いよ」

「勝手に呼び名決めんな!

 …はあ。で、クロノは何が聞きてえんだよ?」

「ケイタ君、一応年上には敬語くらい使ったら? さん付けとかさ」

 …黒埜氏の年下なんだ…。同い年か、上かと思ったよ…。

「うるせえ!

 …いいから、要件を話せよ。暇じゃねえんだ」

 ウンザリした表情で項垂れるケイタを見ていると、長い付き合いなのが伺い知れる。

 

「…最近、聖清女学院の周りを彷徨いてるのは東龍会の人間かい?」

「……何のことだ?」

 数秒の間を置き、低い声でケイタが聞き返す。表情が変わらない為、その心中はまるで分からない。

「何、ちょっとした調査を頼まれていてね。

 あの辺りを彷徨くチンピラなら、君に聞くのが早いと思ってさ」

「相変わらず舐めた口利きやがる。

 …てか、なんでウチを疑うんだよ?」

「ただの当てずっぽうさ。組員じゃなくても、子飼いかも知れないだろう?

 …それに、聖清のお転婆がここらでパパ活なる物に夢中になってるって聞いたからね。

 何か、関わりがあるかも知れない…」

 黒埜氏が向ける視線を睨み返したままのケイタ。

 電車が通過していく音が響く。黒埜氏もケイタも、ケイタのお供も、誰も何も言わない時間が過ぎる。

 二十秒ほどだろうか、長い沈黙の後、溜息を吐いてケイタが後ろを向いた。

 …僕の寿命は一年くらい縮んだかもしれない…。

「…着いてこい」

 ケイタが歩き出した。車のキーを若者に預け、何か指示を出すと、若者は車に向かって僕らと逆方向に歩き去った。

 僕と黒埜氏はケイタをもちろん追いかける。

 …というか、これ…嫌な予感がするなあ…。


***


 北口の街道から西口方面に一本入った大通りをしばらく進むと、薄汚れた雑居ビルの前でケイタが立ち止まった。

 こちらを気にするでも無く、そのままビルの中に入る。後を追って中に入ると、建物の中にはトイレの芳香剤のような何とも言えない匂いが充満していた。

 監獄の戸みたいな佇まいのエレベーターをスルーし、直ぐ脇の狭い階段をずんずん昇っていくケイタ。二階に出たところで、今度は薄暗い廊下を歩いて行く。

 廊下はリノリウムのような素材で覆われているが、歩く度に靴底が床面に張り付き、ペタペタと奇妙な音が鳴る。ローン会社の出張窓口の前を通り過ぎたが、シーンと静まりかえっていて何とも不気味な雰囲気だ。

 

 やがて廊下の突き当たりのドアの前に立ち、ケイタがノックする。

「…はい」

 ドアの向こうからくぐもった低い男の声が聞こえる。

「ケイタだ。」

 ケイタの声で、ドアが向こう側に音もなく開かれた。ケイタに続き黒埜氏もドアの向こうに入っていく。

 僕も覚悟を決めてドアを潜った。

 部屋の中は想像通り、ヤクザさん達の事務所だった。

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