2. 探偵事務所の日常

「娘は大人しく、友達思いの優しい子です。決して親の贔屓ひいき目などでは無く、人の恨みを買うような子ではありません」

 所々白髪の混じった、おそらく40代前半。八木橋と名乗る男性は、そう語っていた。

 

「お嬢様が登校されなくなったのは、いつからですか?」

「ゴールデンウィークが終わって直ぐだったと思います」

 今が6月半ばだから、そろそろ一ヶ月半といったところか。

「家の外には出られているのでしょうか?」

「いえ、部屋からほとんど出てきません」

「お嬢様に原因は聞かれているのですよね?」

 

 八木橋氏が娘から聞いた話では、こういうことらしい。ある日突然、クラスメートの大半が使っているグループチャットで、身に覚えの無い話を糾弾された。

 当然娘さんは否定するが、後から後から根も葉もない噂話を聞かされ続ける。やがて最初は遠巻きに見ていた他のクラスメート達も同調するようになり、遂にはクラス内の素行の良くないグループに目を付けられ、直接因縁を付けられ始める…。

 元々大人しく、気が弱い性格だった為、次第に反論する声も小さくなり、とうとう学校に通う事すら出来なくなってしまった。


「問題は、それだけではないのです。」

 憔悴した表情で、男性が話を続ける。

 よく見ると眼鏡の奥の目は窪んでおり、おまけに大企業の役職という職業的な重圧もあるのだろう、こうして座っている姿には、疲れ切った中年男性の悲哀を感じてしまう。

 

「実は数日前から、家の近所を柄の悪い男達が歩き回っているらしく。

 ご近所さんが教えてくれたところでは、どうも家の娘の住所を特定しようとしてる気配でして」

「警察には相談されたのですか?」

「はい。ですが、家を探しているというのもはっきりした話では無く、まだ何も起こっていないですから…。相手にされていません」

「……そうですか」

 腕を組み、目を閉じる黒埜氏。

「そんな時に、付き合いのある田島さんからここを紹介されまして」

「田島さん……?」黒埜氏が首を傾げる。

 

「もしかして、田島佐貴子さんですか?」

 僕が思わず口を挟むと、八木橋氏がそれに応えて続けてくれる。

「ええ、そうです。私の勤める会社が、昔からタジマ・インダストリアルの会長さんと懇意にさせて頂いておりまして。私も数年前から、佐貴子さんとは面識があるのです。

 丁度二日前に会食する機会がありまして、そこで」

 僕の閃きは当たっていたようで、僕らが二ヶ月ほど前に手がけた依頼で知り合った、お金持ちのお嬢様がこの依頼人を紹介してくれたようだ。黒埜氏も思い出したらしく、ぽんと手を叩き納得していた。

「佐貴子さんからは、たいへん頼りになる方だと伺っております」

 長年サラリーマン、それも大きな会社の役職を務めている人物らしく、如才無い話し振りだ。

「そうでしたか…。田島さんのご紹介では、無碍にすることも出来ませんね」

 取って付けたようなニヒルな笑いを見せ、黒埜氏も覚悟を決めたようだった。

 こうして、僕らの事務所の一週間ぶりの仕事がスタートしたのだ。


***


「そういえば、お前も田島さんの紹介みたいなもんか」

 依頼人の八木橋氏が帰った後、入れ替わるように猫のチャーリーが事務所に入ってきた。

 チャーリーとは田島さんと出会ったその日から、こうして共に居る。

 雄のキジトラで、綾子氏曰く一歳半位なんじゃ無いか、とのこと。

 その日猫探しの依頼を終えて帰ってきてから、猫をおびき寄せる用に貰ったキャットフードをそのまま持ち帰ったことに気付き、いつも近所を彷徨うろついてる猫に与えたことが切っ掛けで、このビルに住み着いてしまったのだ。

 

 応接セットでコーヒーを飲みながらくつろぐ僕らの側に来て、顔を洗い出した。今では黒埜氏の部屋のドアとこの事務所のドアに、チャーリー用の小さな潜り戸が作られているから出入り自由だ。

「チャーリーー!!」

 片付けを済ませた綾子氏が、高い声でチャーリーに駆け寄り、チャーリーはそれを察知して部屋の隅に逃げ出す。いつもの光景だ。綾子氏の由緒正しい猫撫で声が報われることは今日も無いだろう。

 

聖清せいしんって言うと、あそこだよねえ…?」

 チャーリーを巡る騒動に目もくれず、先ほどの依頼の資料を眺めながら黒埜氏が僕に聞いてきた。

「まあ、そうですよね」

 依頼人の娘の通う学校、私立聖清せいしん女学院。

 ―都内にある、お嬢様学校だ。カトリック系の学校で、小・中・高・短大とエスカレーター式であることも有名だ。そして…先ほどから話に出る、田島佐貴子さんの邸宅もこの学校からほど近い。

 

「一度、調査に向かう時にご挨拶でもしておくか。

 って言うか、女子校なんか近付きたくないんだがなあ…」

 それには同意するしかない。僕ら二人が学校の前をうろうろしていたら、通報待ったなしだろう。

「ま、いずれにせよ明日からだ。今日の所はのんびりしようじゃないの」

「この所毎日のんびりしてましたが…」

「木田君も綾子さんみたいなこと言うようになったねえ」

 黒埜氏はつまらなそうにスーツの内側から煙草を取り出し、火を付けた。


***


 結局、夕方になっても新たな依頼が舞い込むことは無く、閉店のお時間となった。本当にこの事務所、大丈夫なんだろうか。

 まあ、給料もわりとそれに見合ってる感じなのだが…。

 

「よし、木田君。晩飯がてら飲みに行こう」

「また一階したですか?」

「イエス、週に5日はピザの日だよ」

「なんでそれで太らないんですか?!」

 横から綾子氏が会話に割って入ってくる。幾分声に怒りが混ざっているようだ。

「お、綾子さんも行くかい?」

「ダイエット中ですっ!!

 お先に失礼しますっ!」

 カツッ、カツッ。ヒールを鳴らして、綾子氏は帰っていった。

「やれやれ…幾つになっても女子は難しいねえ」

 煙草をくわえながら、黒埜氏が立ち上がったので、僕も合わせて帰り支度をする。

 事務所に施錠をし、階段を降りると外は暗かった。天気が良ければまだ日は出ている時間だ。

 

 一階のピザハウス『エリス』は賑やかなネオンを辺りに振りまいている。ガラス戸越しに伺うと、既に二、三人の客がいるようだ。

 

「ちはー、マスター」

「オオ、クロノさん、キダさん。ウェルカム!」

 カウンターからマスターのウィントンさんが挨拶をくれる。ウィントンさんは褐色の中年男性で、若い頃にアメリカからやって来た苦労人だ。日本人女性と結婚し、一児の父親でもある。

 

『エリス』は、元々あったイタリアンレストランの厨房をそのまま活かし、窯で焼く本格ピザが売りだ。そのままのホールサイズが基本だが、帰宅途中の高校生やサラリーマンを狙った夕方以降のスライス、つまり切り売りのピザも人気を博している。商店街から外れたこんな場所でも、なかなか繁盛しているのではないだろうか。

 

 モダンジャズの流れる店内で、僕と黒埜氏はいつものようにカウンターに座り、いつものピザをビールで流し込む。アンチョビとトマトのシンプルなピザ。モツァレラとアンチョビの塩気にトマトの酸味が調和し、ビールの苦みと出会う瞬間は、パズルのピースがピタリとハマった時の快感を思わせる。

「これぞ人生の醍醐味だねえ。そう思わないか、木田君」

「そうですね。ペパロニとオリーブも捨てがたいですが」

「木田君は良い事言うよ」

 この会話もいつものことだ。全く成長していないようで悲しくなるが、仕方ない。このピザとビールの前では、言葉はいつだって無力なのだ。二人で二枚のピザを平らげたところで、すっかり客も賑わい出し、僕たちは店を出た。

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