疑念

 メイン州キャスコ湾に大小様々な島々浮かぶ。

現在島々が避難キャンプとなっていて、その1つ、ピークス島がある。

島にある港の湾岸事務所前は配給や水揚げ作業で避難民と島民で混み合っていた。

その中でアニーは地元自衛団のリーダー・トラビスに対して詰め寄っていた。


「ちょ、ちょっと! それどういう意味ですか?!  死んで来いという意味ですか?!」


 アニー・大國オオクニ・ネルソンは日本人とアメリカ人のハーフであった。

小柄でトランジスタ・グラマーな身体から怒りの覇気を醸し出す。


ウォッシュ加工のジーンズ、スウェット生地のトップスに辛うじて合わせた軍用ブーツを身に着けていた。

それら防寒用に黒のダウンベストを着込む。

だが、怒りに満ちた雰囲気のせいで折角の可愛い顔とコーデが台無しであった。


 コレでも避難民で組織される自衛団の幹部である。

先程、本土から食料と医薬品の大規模な奪取案を首脳陣へ具申しに来た。

しかし、それは少数精鋭避難民自衛団で行ってくれとトラビスに返答されてしまった。

Zズィーが群れなす本土に少人数で入る事が自殺行為だ。


お嬢アニー、落ち着いてくれないか? 誰もそこまで言ってはいない」


 中年に入った元海兵隊員のリーダーは困惑の表情を浮かべる。

少し汚れた迷彩服に包んだの体格の良い親父が頭を掻く。

今年で17歳になる少女の剣幕に気圧されながらそう返した。


 すると1人の痩せた男がやり取りに気が付いた。

強い潮風に薙ぎ倒されそうになりつつ歩いてくる。

青白い不健康そうなやせっぽちの風貌で、どことなく優しげではあった。

伸び放題のボサボサの髪が強風にあおられる。

そして白いシャツ、膝の抜けた茶色いスラックスに革靴を履いていた。

よれよれの紺のコートを羽織り歩くその姿は不精な研究者のようだった。


「まぁまぁ、2人とも落ち着いて……確かに医薬品と食料、それに燃料が無いのは確かだよ。ゆえに本土に行って大規模に捜索せにゃならん」


 男が仲裁に入る。

安堵の顔でトラビスが早速説明を頼んできた。


「おお、ウォルコット、良い所に来た。説明頼む」

「あ? ああ、そういう大規模な動員となると1、2回が限度って所だね」


 その男、ウォルコットはピークス島の役場の助役である。

未曾有の事態に心筋梗塞で倒れた町長の代理で避難所運営を仕切っているのだった。


「そんなに深刻なんですか?」


栗色のボブミディアムの髪が風で口に入るのを気にしながらアニーは聞いた。


「ここではなんだ……とりあえず事務所に入ろう。寒くてかなわん」


余程、気まずい内容なのかウォルコットは周囲を見回す。

聞いている人間は居ない事が分かるとバツが悪そうにトラビスを急かす。


「ウォル、其れは構わんが……」


ウォルコットと同じ地元顔なじみであるトラビスは内容を察した。

そしてアニー本土からの避難民に困惑した視線を向ける。


「構いませんよ。貴女もオルトン班避難民自衛団のサブリーダーでしたよね?」

「そうですよ。何か問題でも?」


 その威勢にトラビスは苦笑しながら事務所のドアを開け3人で中に入る。

避難所運営は本来なら島の役場が運営に当たる。

しかし、ほとんどの部屋は避難民に解放していた。

その為、この事務所がウォルコットのオフィスになっていた。


 強力な潮風に飛ばされそうな事務所の中に入る。

片隅でオンボロのオイルヒーターが常時頑張っているお陰で思ったより暖かい……。


「さてと……一応、状況報告しとこうかね」


 ウォルコットはそう呟き、2人に椅子とコーヒーを勧める。

そして自分も事務椅子に座ると知っている現在までの状況を話し出した。


 現在、米軍、カナダ軍が連携して防衛に当たっていた。

しかし多勢に無勢、昼夜を問わずに湧いて出るZになんとか拮抗状態にする。


 一方、西海岸でもZは発生していた。

沿岸部の住人達の一部は船や洋上に浮かぶ島に逃げ込んで避難生活を送る。

しかし、そこでも状況は芳しくなかった。

物資不足や不用意にZを発生させ壊滅する所も出た。

ノースカロライナ州の海軍基地も壊滅的被害を受ける。

幸運なことに主要艦艇や航空機は沖合へ無事に脱出した。


 そこで緊急で本土の残留兵団と連携を始めた。

一時的な兵力の集中と後先を考えぬ破壊工作が実を結ぶ。

軍事基地があり、運河に掛かる橋を爆破してZを遮断する。

そこ、ニューヨーク州ケープコッドを中心に防衛線構築に成功した。

ケープコッドは大きな入り江になっており、そこに船舶の集結を始める。


 そしてワシントンDCから脱出した大統領や閣僚を保護した。

政府の指示で各港から脱出してきた輸送船や客船、タンカーと船団を組織させる。

それと同時に各地避難所への援助物資の配給や派兵を開始したと連絡があった。


 一方でネットニュースやラジオでは世界の危機的状況を伝える。

例えば、国内そこら中でZが発生するNATO各国は対応に苦慮していた。

香港は人民軍、モスクワはロシア軍が対応に成功したと発表する。

だが、実際の状況は悪化の一歩を辿っているらしい……。


 ここメイン州キャスコ湾に浮かぶ島々も物資も少なく危険な状況だった。

ピークス島も避難民アニー達を受け入れた。

しかし物資が残り少ない事は市民・避難民達の間では周知の事実である。


「それで有体に言えば、で島民・避難民連合の自警団の皆さんで略奪行為してもらおうと……」

「Zがたんまり居る本土にな」


 トラビスが苦々しく被せるように応じる。

彼は元海兵隊員で戦闘になれば優秀な現場指揮官になっていた。

そこでトラビスをリーダーにした物資回収部隊を何度か送り込む。

しかし、上陸時のZの群れが予想以上に多く、幾度となく撤退を余儀無くされる。

その中で、アニーはふと、前からから思ってきた疑問を口に出した。


「ウォルコットさん、そもそもZって何なんですか? 何か分かった事は無いのですか?」


 ウォルコットはボサボサの頭を掻きながら困った顔で答える。


「これは今までの証言と情報を整理して話す訳なんですが…間違ってたら申し訳ありません」


前置きすると苦笑いしてウォルコットはコーヒーを一口飲んで切り出す。

Z、人類が想像で創り出した生ける屍リビングデッドそのものだった。

動きはスローモーで握力、筋力は恐ろしいほどある。

人を襲い、喰らい、襲われた人間もまたZとなる。

ただ、感覚はあるらしいが、どの程度のものか分かっていない。

又、どの程度の期間で活動停止するのか?

知能はあるのか?

未だ色々と不明な点が多い……。


「これはまぁご存知なはず」


 ウォルコットは不味いコーヒーのおかわりを入れて本題に入った。


「Zは基本ふた通り、群れで移動しているか、1カ所でじっとしているかの行動パターンがある。それと知能は著しく低い。これは今、ポートマニッシュ高校の生化学のガモフ先生や監察医のハルトマン先生、南メイン大学の学生さん達が船に乗って本土近くで観察調査しています。そこで知覚の有無、嗅覚、視覚の有無を調べて検証しているそうですよ」


大きくあくびをしたトラビスは退屈そうに話しを聞いていた。


「だから何だ? ウォル、なんにせよ身体張って何とかするのが俺ら自警団の仕事だろ?」


「ええ、だから敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。相手をよく知り、己の状況を把握してれば何も危なく無い。これは日本の諺ですよね? アニー嬢?」


「それ中国ですよ」


アニーは憮然と突っ込む。

典型的アメリカのおじさん達が織りなす間の抜けたやり取りに飽き出していた。


 そこに湾岸作業員専用の黄色いレインコートを着た湾岸管理のお爺さんが入って来た。

ウォルコットを探してたらしく見つけると笑顔で話しかける。


「おいウォル、探したぞ。ガモフ先生一行が帰ってきたぞ」

「おお、連絡ありがとう。では、トラビス、2時間後に自警団の主要メンバー集めてくれませんか? 皆で作戦会議しましょう」

「あいよ」


小難しい長話が嫌いなトラビスは愛想なく応じる。


「私もガモフ先生に会いに行きます。高1の時に教えて貰ってたから」

「おや、先生の教え子でしたか…では、行きましょう」


 3人は同時にテーブルから離れると、事務所を出て夕暮れの桟橋へ向かう。

その前を毛布に包まった2人組を先導する自警団員が通り過ぎていった。

桟橋には中型船とレジャーボート間の桟橋で紺色のダッフルコートの大学生達が忙しそうに作業していた。


「なんだなんだこの結び方は……もう良い!貸してみろ! お前さんはカバーを船体に張れ、そこのは……」


しかし慣れない停泊作業に学生たちがもたつく。

それにイラついたトラビスが手伝いと陣頭指揮を買って出た。


「おー、ウォルコット! お迎えごくろーさん!」


 ずんぐりムックリな作業着姿の初老の男が2人に気が付いて手を挙げた。

野暮ったい黒縁の眼鏡をかけたガモフがボートから立ち上がる。

教師と言うより工場の作業場が似合いそうな出で立ちであった。


「ガモフ先生、何かありましたか?」

「我等が街のメインストリートで火遊びしてた馬鹿共2人引っ張ってきた」

「はぁ? 避難民ですか?」


先程の2人?

すぐにウォルコットは察した。


「本人達はそう言っておる……」


言外に胡散臭さを匂わせているのを聞き逃さなかった。


「お? アニー?! アニー・ネルソンか! 君も生きとったか!」


ウォルコットの背後に居たアニーに気がついたガモフは豪快に破顔する。


「先生も御無事で何よりです」

「あー、そーいや君の弟も中々の悪ガキだなぁ、おかげで助かったよ」

「はい?! ウチの弟ですか?!」


 驚くアニーの後ろをそそくさと去ろうとする少年がいた。

それをアニーが見つけない訳は無かった。

薄汚れたダッフルコートの襟首を掴むと低い声で凄む。


「マーティ? どう言うことか説明して」


ナチュラルオールバックの髪がフードから見えた。

生意気そうな顔立ちをした少年が観念して立ち止まる。

青く茶目っ気のある瞳が諦めて天を仰ぐ。

そして小柄なアニーと同じくらいの背丈がゆっくりと振り向く。


「や、ねーさん今日も可愛いですな」


  襟首を掴まれマーティと呼ばれた少年は愛想笑いを浮かべた……。

だが、アニーの怒りは瞬間に沸点を超えた。


「てめ、泣かす!」


すかさず襟首を掴み直し、謝罪を始めるマーティを引きずりながら桟橋から立ち去ろうとする。

そこでガモフが取り直す為に呼び止めた。


「そう怒るな、彼の働きにより避難民2人と貴重なデータとサンプルが入手出来た。ここで解析が出来れば原因究明か対策も出来る。今日のMVPだよ」


恩師の取り成しにやれやれと呆れ顔をしてアニーはマーティを解放した。


「そう言われちゃ仕方ない……今度、危ない事に首突っ込んだら、避難所の屋根に吊るしてご飯抜きだからね!」

「うぉ?!  助かったー! ガモフ先生! あざーす!」


 アニーの拘束からするりと逃れたマーティは脱兎の如く逃げ出した。

ウォルコットはその騒ぎの中、ガモフが発した気になる言葉に嫌な予感を覚えた。


「ガモフ先生、あの……サンプルって何ですかな?」

「ん? そりゃZだよ」

「何ですとー?!」

「1体だけ離れたところに居たので投げ輪で捕獲して、ボートの後ろにロープで牽引してある」


ボートを見てみるとその後ろに男のZが1体、ロープに括りつけられていた。

まるで悪趣味な浮き輪のようにプカプカと水面に浮かんでいた。


「ノーッ! 本土に棄ててきて下さいッ!」


 いつもゆるい態度のウォルコットが不健康な顔色をさらに青ざめさせる。

周囲を驚かせながらそう怒鳴る。


「いや、駄目だ」


その言葉にガモフは即座に拒否した。

頑固おやじの本領発揮し始める。


「エエッ?! 先生、何故です?! Zですよ?!  噛まれでもしたらZになるんですよ?」


アニーは学校内での頑固一徹さは知って居た。

ここでも頑固一徹を炸裂させるかと驚きながら止めに入る。


「わかっちょる。早速、無力化はせにゃならんが今後の防衛策の為だ」

「それは判りますが、このZにもかつてのご遺族? がいるかも……?」


ウォルコットは落ち着きを取り戻しつつ助役らしい返答を返した。


「そりゃいるさ。目の前にな……」

「「はい?」」


ガモフの言い草にアニーとウォルコットの声が重なる。


「これは元、私の息子だ」


その返答にウォルコットとアニーは、目を丸くして絶句せざるを得なかった。


「先生、なんと申し上げればいいか……」


 どう切り出せばいいか、アニーとウォルコット返答に困っていた。

ガモフは少し寂しげに、それでいて力強く語り出した。


「教師の息子だったがドラ息子でね。定職にも就かず毎日、酒飲んで街をブラブラしてたよ。まぁ、妻にも先立たれて、息子も逃げ遅れてこの様だ。だが、その息子がポツンと波止場のところに俺に向かって立っているんだよ。……親のエゴと言われてもせめて……最後はせめて人様に役立たせてから弔ってやりたい」


 ガモフの残酷な現実、それに立ち向かう意志に何も言えなくなっていた。


「先生……」

「ウォル、今、ゴーグス砦に避難民は居るか?」


 ゴーグス砦……。

同じキャスコ湾内にある古い旧跡の建物で海軍の旧魚雷庫だった。

現在は倒壊の危険性の為に立ち入り禁止エリアになっていた。



「いえ、誰もいないはずですが……今後、避難民の増加次第では使用予定です」

「なら、監察医のハルトマン先生にも話はしてあるのだが、しばらくは研究の為に使わせてほしい」

「了解です。使っていただいて結構です」


ガモフの頼みに二つ返事で了承する。

あそこまでの覚悟を見せられては嫌とは言えない。


「それと避難民や島民で生化学・生物学・生理学を高次教育で修めた人材を探してくれ。研究を手伝って欲しい」

「其れは既に打診してありますよ」


 ウォルコットの仕事の速さに今度はガモフが絶句して頭を掻く。


「流石、仕事が速いな」

「有難う御座います」

「では、時間が勿体ないから湾岸事務所に向かいながら話そう」


 ウォルコットを急かすとガモフは浮かんでいる息子を寂しそうに一瞥した。

そして事務所に向かい歩き始める。

最後尾のアニーは手近にあったビニールシートを元息子に被せて、好奇の目と騒動の種から隠した。


 まだ作業中のトラビスを置いて2人は道すがら話を聞く。

ガモフ達が調査してわかった事は数点あった。

まず、奴らには視覚が余りないらしい。

それでも何故か壁や障害物にぶつかる事がない。

その他には人影と光に反応は示すが大きく動きを伴う事は無い。

音には過敏に反応し、ちょっとした音でも聴こえる範囲であればにじり寄って来る。

如何やら匂いにも反応するらしくそれで人間を判別するようだ……。


「とりあえずはそれくらいだ。但し、確証は無い。あくまで観察してわかった事だ」

「ありがとうございます、これで少しは策が立てられそうです」


ほぅ? と感心した顔をしたガモフにウォルコットはこう続けた。


「トラビス達が納得して協力してくれればね」


アニーはこの後、紛糾するだろう会議に頭を抱えたくなって来た。


 数時間後……。

会議場所に指定した港の倉庫は避難民と島民の自衛団で満員だった。

10月末のメイン州の夜はそこそこ冷える。

古ぼけた小さな薪ストーブがガンガンに焚かれる。

集めらえた大勢の人間の体温が室内温度を何とか滞在できる温度にしていた。

その薪ストーブの前に毛布に包まって出来た2つの山が存在する。

それは小刻みに震えて集会の雰囲気に異物感を醸し出してはいた……。


 会議が始まるとウォルコットが議題を進める。

現時点でわかっているZの対策と物資奪取計画について熱弁を振るっていた。

だが、トラビス達はガモフ達が調べた結果や立案に納得しなかった。

映画で見知った化け物がいきなり現実に出て来るだけでも皆、呆然とする。

そこにざっくりと調べました。

これで行きましょう。

そう簡単に言われたところで正直信用できないのだ。


「やって見なきゃ、分からないでしょ?」

推進派のアニーは反論した。

しかし全て島民で構成されるトラビスの班は余りいい顔ではなかった。


「るせぇ! 後で乳揉んでやるから女子供はすっこんでろ!」


 ビール小瓶片手の下卑た赤ら顔の髭オヤジ、ローデスのヤジが飛んだ。

直後、アニーの持ち前の癇癪かんしゃくが炸裂した。


「はぁ? 女性にご奉仕も出来ない酒臭い玉無しオヤジは腹太鼓でも叩いてなさいよ。薬無しでは役に立たない分際で……あ、ちいこいミニウィンナーからまるでダメね」


「んだと?! このアマぁ!」

へらへら笑いながらアニーが挑発する。

挑発にキレた下卑たオヤジ《ローデス》が空けたビール瓶を後ろに放り投げた。

瓶が割れ、その赤ら顔をより紅蓮に染めて立ち上がる。


 それより迅くアニーは手持ちのARアーマーライト-15をおもむろに置く。

そして片手で腰に差したグロック17に一瞬、手を触れて立ち上がる。

セフティ安全装置は一応降りてあった。


「まぁ、待て、2人とも……ローディ、この嬢ちゃんに銃を持たせたら股間に直撃ブルズアイ決められるぞ?」


 2人の応酬に呆れながらトラビスがそう言って仲裁に入る。


「んな訳ねーだろ! ねーちゃん、表ぇ出ろや!」

「そだな、お前が頭、冷やしに出てろ」


 騒ぐローデスの肩に手を回しながら、トラビスが追い出しに掛かる。


「おい?! トラビスぅ! お前どっちの味方だ!」

「何言ってんだよ。ローディ? 俺ぁお前の味方だよ? 後で詳し~く、話してやっからバー行ってビール呑んでろや? な?」


 体良くローデスを追い出す。

そしてアニーに向き合った。


「済まない、あいつはいい奴なんだけど口が悪くてな……」

「いいよ、私もお互い様だから……」

「そう言ってくれると助かる。去年、州の競技会で全体3位だった天才少女とヘタレ親父を対決させる訳には行かないからな」


 部屋に居た団員と島の職員達が騒つき始める。

アニーは去年行われたメイン州の競技会で3位入賞する腕前だった。

それも並み居る強豪、ベテランを相手に勝ち抜いた上でだ。

実在したアメリカの伝説の女性ガンマン、アニー・オークレイの再来と称される。


「もう数年したら誰も勝てない」


その抜き打ちクィックドロゥの迅さは会場に来ていた一流の射手シューターに評価された。


「あら? トラビスさん、知ってたの?」

「ああ、あの時、オレは予選落ちだったからな……観客席で見てたよ」


 驚くアニーを見てバツが悪そうにトラビスが笑った。

小学生の頃からアニーは軍人の父親の影響でオモチャの銃で遊んでいた。

中学生になるとアーチェリーやライフル等の取り扱いを教わる。

そして父親にメイン州の山林に狩猟について行って腕を磨く。

17歳にして大人顔負けの技量となった。

普段は趣味と実益を兼ねてガンショップでバイトし、腕試しで大会に出た程度だった。


 騒動が一先ず治まり、アニーが定位置に戻る。

そして協議が再開された。


「ともかく、ガモフ先生達が全力で調査に当たっても打開策には時間が掛かる。だが、団員のみんなが納得できる安全策はない。そこで早急に検証する余地があります。誰か上陸して検証する作戦に参加しませんか?」


妥協案をウォルコットが提案して来た。

するとアニーの隣にいた夜間迷彩服で統一した男が手を挙げる。

細身だが精悍で若い黒人警官のフランク・オルトンだった。


ポートランド班避難民の私達でもいいですか?」

「勿論です」

「ただ正直、ウチの班だけでは火力が足りない。マシンガンがあればいいのですが……」


 アメリカの家庭では大概、ハンドガンは所持している。

しかし、ライフルは別の免許がないと所持していない。

無論、全自動小銃やアサルトライフルは州によっては違法だ。


「直ぐにでも策と実験内容を練りましょう。ただ、検証だけでは勿体無い、手頃な店か倉庫を……」


 そこにストーブの前に居た毛布の山がウォルコットの提案に唐突に答える。


「あのう……しょ、食料や燃料なら桟橋に停まったバスに積んできました」

「貴方は?」


突然、ウォルコットの問いかけに反応した声の主は毛布を取る。

震えの収まった両手にコーヒーの入った大降りのカップを持ってシュテフィンが立ち上がる。


「先程救助されてきました。シュテフィン・マーセアです」

「オレはジョシュ、ジョシュ・グランダン」


隣の毛布も立ち上がるとそれはジョシュであった。

桟橋から海に飛び込んだ後、救助に来たガモフ一行に助けられたのだ。


「ここに来る前に、コイツシュテフィンと街道沿いのガススタンドで物資を集めた。少量のガソリン、飲料水とアルコール度数の高い酒、消毒薬、缶詰を運び出せるぶんだけ持ってきた」

「そこでメインストリートで火遊びってか!?」


 ジョシュのアルコールって言葉に反応したトラビス酒好きが2人を弄る。


「仕方ないじゃん。そうでもしなきゃ避難民俺達が来たぞと烽火上げないと此方がやられる。まぁ、こんだけZにビビッてりゃ仕方ないか……」


悪びれることなくシュテフィンが言った。


「んだと?!」


最後の挑発に気色ばむトラビスが立ったその時!


『あふぉう!』


 それより速くジョシュのコークスクリュー気味の右ストレートが放たれた。

全く油断していたシュテフィンの左側の頬にバキッと拳がめり込む。


「こんのクソバカ! てめぇの所為でオレまで巻き込みやがって!」


いきなりブチ切れたジョシュの剣幕に周囲が騒然とする。


「お前、止めてないだろー?! しかも着火したのお前だしッ!」


シュテフィンが負けずに応戦する。

その長い脚からフェイント風ぎこちないの上段蹴りが襲い掛かる。

毛布でガードが遅れたジョシュの側頭部にパッカーンとクリーンヒットする。

だが、ジュシュはよろけるが倒れずに毛布を脱いで体勢を整える。

……両者、距離を置いて対峙して……次の攻撃に入る……。


 その間に両手にグロック構えたアニーが立ちふさがる。

舌打ちしながら両者の顔面に銃口を突きつけた。


「五月蝿い、続きをやるなら表に出て行いけ」


威嚇を含んだ低い声でそう呟いた。


「「はい」」


その雰囲気と銃口に圧倒された2人は両手を小さく上げて声を揃えた。


「じゃ、黙って座ってて」

「「はい……」」


 脅されて大人しく座り込む両者を尻目にアニーは速やかにオルトンの隣へ戻る。

そのやりとりを見ながらウォルコットは考えた。


 (このジョシュという若者、軍隊あがりか脱走軍人か? 動きに隙とそつが無い……無さ過ぎる。それにこのシュテフィン、思いっきり殴られても顔に変化が無い。打撃直後にしても腫れるなり赤くなるなりする筈、耐久力が化物級なのかそれともZになるのか? だが、先に検診をしたハルトマン先生は噛まれた後も傷も無いと言っておられたが……?)


「おい、ウォルコット! 聞いているのか?」


 毒気を抜かれたトラビスにウォルコットは声をかけられる。

長考に入っていたので、ハッとして周囲を見る。

……全員の視線を浴びているのが分かると申し訳なさげに続ける。


「えーと……失礼しました。この方々は誰が連れてきたのですか?」

「ローデスの馬鹿だよ。診療所が満員で狭くておいとけねぇから、ストーブのあるここに連れてきた」


 部屋の隅にいた管理人のオーティス爺さんが答える。


 10月下旬のメイン州の夜は冷えて堪える。

ましてや季節はずれの海水浴をやって身体は冷え切っていた……。


「本土はどうなってます?」


 最新の状況を知る為のウォルコットの質問にまずジョシュが口を開いた。


「俺はイリノイから来たんだが、あの辺りでは米軍が必死で反撃していた。……まぁ、頑張って拮抗させてるぽいね。問題はその他のエリアだ。米軍が居なくなり、夜盗や強盗が集団で辺りを荒らしまわっている。生存者は襲われて死ぬか、Zになるか? 仲間になるか? だ」


「ピッツバーグ周辺も同じ感じでした」


ジョシュの言葉にシュテフィンが同調する。


「ふーむ、後、気になった事、気づいた事は何か有りましたか?」


 ジョシュは暫く考えた後で答え始めた。


「そういや、Zに成っていない死体を幾つか見た。頭部に外傷はないのに……」

「え? 脳に損傷が無いのに?」


その情報にウォルコットが気になって聞き返す。

すると具体的にジョシュが話し出した。


「状況に絶望して首括った死体らしいんだけど、幾つかはZになっても首くくったまま手を上げてぶらんぶらん動いてた。だけど、そのオッサンは……もっとも、俺は医者じゃねぇから正確な事はねぇ……」

「動かずにそのまま?」


へぇっと感心しながらウォルコットが尋ねる。

横に居たガモフも頷き、返答を聞き入る。


「そういう事、ちょい不思議に思ったのでとりあえず棒で突いて確認はした」

「あとは?」

「連中は泳げないが、浮かぶ」


尋ねるウォルコットにシュテフィンがドヤ顔で答える。


「それは確認済みです。ありがとう」


 やんわりと笑顔で対応するウォルコットは憮然とするシュテフィンをスルーする。

そして次の質問に移っていた。


「他の避難所はどうなってます?」

「大概は強盗団かZにやられてる」


さっくりと答えるジョシュにウォルコットは直球の質問を投げてみた。


「ふむ……では、あなたが強盗団の一員で無い保証は?」

「ンだよ、疑ってンのか?」


その問いにジョシュの声が怒りで一段下がった。


「我々としては残念ですがね」


 溜息混じりにウォルコットが答える。

否定されるのは当たり前で、そのリアクションで判断材料にするつもりだった。


「まぁ、メインストリートで火を焚いたのは悪かったが、強盗団ならあそこか近場で一仕事しているぜ?」

「そりゃごもっとも」


「陸地にはまだモールやスーパーもまだある。それに、ここは海に囲まれてる。俺ひとりで手引きしてもボートをかき集めない限り、渡って来るのは少人数だ。ここの皆で退治できる。そういう点で大規模強盗団はまず渡って来られない」


理にかなった主張の自己弁護を聞いてウォルコットは矛先をシュテフィンに変えた。


「ではシュテフィンといいましたか? 貴方は?」

「僕はピッツバーグ大学院の研究生でして……」


 シュテフィンはゆっくりと考えを整理しながら話し始めた。


「それで?」

「ピッツバーグ郊外にある大学所有の生化学研究所に居たんです。そこがZに襲われて友達とアレゲニー川に逃げてゴムボートで遡ってきたんです。途中、友達が実家に寄ると言い出してニューヨーク州で……」

お前シュテ公、まともに喋れるじゃねぇか! いつも間延びした話し方しやがって!」


隣のジョシュが腹立ち紛れに茶化す。

途端に向いに座るアニーの眉間に皺が寄り始める。


「うっさいわ、ボケェ! TPOじゃ!」

「本性丸出しだのぅ? ゲラゲラ」


 指を差してジョシュがゲラゲラと笑い出す。

ムッとしたシュテフィンは無視して話を進めた。


「そこで強盗団に出くわして友達は殺されて……」

「そうでしたか、それは気の毒に」


呆れかえるウォルコットが極めて事務的に相槌をついて話を進める。


「連中にバスに乗せられバッファロー近郊まで連れてこられた時、他の強盗団が襲撃に来て、そのドサクサに紛れてバスを分捕ってここに……」

「オレよかお前の方がよっぽど疑わしいじゃねぇかよ!」


話を聞いたジョシュがドヤ顔で突っ込む。


「なんでだよ! 僕は被害者だよ?! 強盗団なら君と会った時に集団で襲っているよ!」

「むむぅ……」


 答えに絶句したジョシュを見ながらウォルコットは溜息交じりに判断を下した。


「わかりました。まぁ、ご両人とも観察下に置きましょうかね」

「なんだよ? 観察下って?!」


言葉の意味にジョシュが不満の声を上げる。

そこでウォルコットが理由を述べた。


「まず、貴方の経歴や経緯がわからない。意図的に隠していると思える節がある。それともうひとりの方は経緯に不審な点がある。まぁ、正直に話されてるとは思うのですが……」

「納得です。了承しました」


理由を聞いたシュテフィンは清々しく答える。


「チッ、納得いかネェが、しゃあねぇか……」


憮然としながらジョシュが納得した。


 それを見てしばらくウォルコットは少し考えた後、トラビスに話を振る。


「ご両人はトラビスに身柄を預けます」

「はぁ? オレンとこか!」


先程いざこざと失言した輩を預けると言われ、目を剥いてトラビスが驚く。


「いつも人手が足りないってこぼしてたでしょう? 若い人手がね?」


悪戯っぽくウォルコットがうそぶく。


「そりゃ言ってたが……」


 唖然としてトラビスが口ごもる。

この2人は何か重要な事実を隠している。

しかし、そう簡単には口を割らないであろう。

ならばトラビスの監視下に置いて不審な動きがあれば拘束したり、いざとなればしてくれるだろう。


 とりあえずウォルコットはそう判断した。


「しゃぁねぇな……2人ともついて来い。ねぐらと持ち場を案内する」

「はい」

「あいよ」


大人しくシュテフィンとジョシュは毛布に包まりながら立ち上がった。


「ああ、それとご両人」


 ウォルコットは最後に聞いてみたい情報があった。

最新の情報でこの後の伝達予定であった。


「避難中、避難所や避難民から女子供限定で行方不明になった。もしくは拉致された? と言う話は聞いた事は無いですか?」


その後の2人の対応に歴然とした差が出た。


「僕は……聞いてないですよ」


シュテフィンはゆっくりと怪訝そうに答えた……。


「ほぉ? それ何処の話だい?!」


逆にジョシュはがっつりと喰い付いてきた。


「なるほど……判りました。トラビス、後は宜しくお願いです」

「おい! ちょい! おっさん!」


ジョシュは続きを引き出そうと粘る。

しかしトラビスに襟首を掴まれ、引きずられながらシュテフィンとともに部屋を出て行った。


 ウォルコットは不審者がいたら通報を団員たちにお願いした。

そして溜息混じりに閉会を皆に告げる。

皆が部屋を出て行くその中でアニーはウォルコットに先程の質問について聞いた。


「ウォルコットさん、今の話って?」

「ああ、先程あった米軍のラジオからの情報提供ですよ。避難所や避難の道中にて女子供限定で複数人、行方不明になる事件があるので注意してほしいと放送してました」

「それが彼らに何の関係が?」


「あの2人が何か知って居るかとぶつけてみたんですが、両人とも何か曰くがありそうですね」


シュテフィンは悟られないようにゆっくり表情を作っていた。

ジョシュに至っては丸判りだ。


「アニー、お願いがあるのです……」

「なんですか?」


ウォルコットの頼みに一抹の不安を感じつつ尋ねる。


「トラビスに警告を……あの2人は気をつけてと伝えてください。それと私個人としてジョシュの経歴と経緯を聞きだしてください。シュテフィンは……聞けたらで結構です。あの2人は要注意です」


 いつも飄々としているウォルコットが苦虫噛み潰した表情で警告を頼む。

アニーはその気持ちを察して「はい」と短く返事をするのだった。


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