第94話 友梨と②
俺と友梨はドーナツ屋の前で悩んでいた。
「おばさんはチョコは大丈夫だったか?」
「うん、平気。あとイチゴ味が好きだよ」
「そうか。じゃあストロベリーリングのやつは購入、と」
「光輝くんはどういうのが好き?」
「割と何でも食うから何でも良いだろ」
「それが一番困る返答なんだよねぇ」
久々に実家に帰ることにしたので、両家用のお土産を持って行こうとここまで来たわけだが――。
今日は店も繁盛しているらしく、外に列が形成されていた。
その列に並んでいる間、店の壁に貼られたメニュー表を眺めながら何を購入するのか決めている最中というわけだ。
自分が食べる分だけでも悩むのに、人の好みまで考慮して買わなければならないのはなかなか難儀だ。
とはいえ、この悩んでいる時間もちょっと楽しかったりするんだけど。
「あ、前進んだよ」
少しだけ進む列。
店内に入る前に決めてしまわないとな……と、改めて俺は真剣な目でメニュー表を眺めるのだった。
地元の駅に降り立つのは久々だが、以前見た時と何も変わっていなかった。
毎回地元に着くと、得体の知れない感情がじんわりと全身に広がっていくのは俺だけだろうか。
安堵感と郷愁と、あと言葉に上手く表せられない何かが混じり合った、ほんのりと温かくて少し寂しい感覚。
自宅までの道を歩く俺たちは無言だった。
特に今は話すことがないというのが一番の理由だが、家に近付くにつれて緊張感が高まってきたからというのもある。
それは隣の友梨も同じらしく、家に近付くにつれて表情が硬くなっていた。
「大丈夫か?」
「かなりドキドキしてきちゃった」
「……俺も」
そうこうしているうちに、俺の家の前まで来てしまった。
別にやましいことがあるわけではない。
だけど今の俺にとって、実家から得体の知れない威圧を感じるのも事実だった。
家の中に入ると早速母さんが出て来て、俺たちにスリッパを用意してくれる。
今までこんな出迎えをされたことがなかったので、元々速かった心臓がさらに速度を上げて打ち始めた。
母さんはちょっと前まで入院していたのだが、今の様子を見るにもう元気そうだ。
「いらっしゃい」
「お、お邪魔します」
友梨の声がちょっとだけ上擦っている。
でもおかげで俺の方は少し落ち着いた。
人が緊張している様子を見て冷静になってしまうこの現象、何なんだろうな……。
居間に移動した俺たちは早速先ほど購入したきたドーナツを渡す。
母さんも俺と同じく甘いものが好きなので、ドーナツの箱を受け取る時はこの上もなく笑顔になっていた。
そして居間のテーブルの前に座る俺と友梨。
すかさず母さんが冷えた緑茶を持ってきて俺たちの前に置く。
普段は使わないコースターまで敷かれて、丁寧な対応にこれまた緊張感が高まる。
……そう。
今日俺たちは結婚報告をするために来た。
俺たち二人の間ではかなり前から決めていた事だが、誰かに話したことはまだない。
だからこそ緊張しているし、何より家族の前で改めた態度を取るのがちょっと気恥ずかしい。
でも、友梨と家族になるためには大切な過程だ。
そこは真剣に望まなければならない──という事を家を出る前に友梨に話したら、
「かずき君は自然体でもちょっと固い雰囲気あるからそのままで大丈夫だと思うよ」
と言われてしまった。
まあ、弟と比べたら俺の雰囲気が固いのは否定しない。
でもそこまで俺は真面目じゃない……と自分では思ってるんだけど、人から見た評価と自分の評価ってわからんもんだよな。
「そういえば父さんは?」
「ええと、お父さんは──」
母さんの声に重なるようにして、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「お。和輝に友梨ちゃん。いらっしゃい」
間もなく居間に現れたのはやはり俺の親父。
格好を見るに朝から釣りに行っていたらしい。
一体いつのまにそんな趣味を作っていたのかは知らないが、そこそこ日焼けした肌がここ最近の話ではないことを物語っている。
「もう。ギリギリですよ」
「すまんすまん。お土産を買っていたら遅くなってしまってな」
と言って母さんに渡したのはとても見覚えのあるドーナツの箱。
「和輝、お菓子が好きだったろう? 甘いやつを多めに選んできたぞ」
「…………」
まさか手土産が親父とかぶってしまうとは……。
いや、俺の好みを考えて選んでくれたのは嬉しいんだけど。
母さんも友梨も堪らず笑いだしてしまったものだから、親父はわけがわからない様子で目を丸くしていたのだった。
親父は俺と友梨の前に座ると、目を細めながら俺たちを交互に見やる。
「母さんから、和輝が話があるって聞いたんだが……」
既にわかりきっていることだろうが、親父は改めて俺に問いかける。
きた──。
母さんも親父の隣に座り、いよいよ改まった空気になる。
俺は小さく息を吐いてから、意を決して二人を見つめた。
「はい。今日はその、二人にご報告がありまして……」
全然そんなつもりはなかったのに、会社の上司を相手にしているかのような敬語になってしまった。
緊張で膝に置いている手にじわりと汗が滲む。
何かを察したのか、友梨がそっと手を重ねてきた。
……うん。大丈夫。
ありがとう友梨。
俺はもう一度小さく息を吐くと、拳をギュッと握ってから続ける。
「俺たち、結婚することにしました」
……言った。
言ってしまった。
親父はふうと一息入れてから、俺の目を真っ直ぐと見据えて──。
「そうか。おめでとう」
端的に、でも顔を綻ばせて告げた。
隣の母さんもニコニコしながら俺たちを見つめている。
素直に祝福して貰えて嬉しいと思う反面、あまりにもあっさり終了してしまって拍子抜けしているのも事実。
もっとこう、色々と聞かれると思っていたのだけど……。
今日の目的、終わってしまった……。
俺の戸惑いを察したのか、親父が小さく苦笑する。
「二人で話し合って決めたことだろう? それならこっちが言うことは何もないよ」
「うん……。ありがとう父さん」
「ふふっ。友梨ちゃんが家族に加わってくれるなんて嬉しいわぁ」
「あっ、は、はい! 私も本当に嬉しいです!」
突然振られてビックリしたのか大きな声で答える友梨。
その反応に母さんはまた笑った。
「いよー! 兄ちゃんも友梨さんもおめでとうー!」
「光輝……!? お前いたのか!?」
突然居間に乱入してきた弟に、俺は堪らず声を上げてしまった。
相変わらず明るい髪色で、俺と一緒に住んでいた時と見た目は変わっていない。
「今日、兄ちゃんが帰ってくるって聞いたからさ。俺もついでに顔出したわけよ。でもまさか友梨さんまで一緒だとは思ってなかったから超ビックリしたわ! 兄ちゃんも隅に置けないねえ、このこの〜」
「やめろ。肘でつつくな!?」
「あはは……。こうき君も相変わらず元気だねえ」
「光輝の方はどうなんだ?」
光輝が俺のマンションから出て行ったのは彼女ができたからだ。
奏音とひまりが来る前という神がかり的なタイミングだったな……と今となっては思うのだが、その肝心の光輝の近況をずっと聞いていない。
光輝は「うっ……」と小さく呻いてから、明後日の方向に視線を投げ出した。
「いや、何もいわなくていい。もうわかったから……」
「ちくしょうッ……! 俺も友梨さんみたいな優しい彼女作ってやるもん!」
捨て台詞か何なのかよくわからないものを吐いてから居間を出て行く光輝。
まるで嵐だ……。
「これから友梨さんのご両親にも挨拶に行くのでしょう? これ、お渡ししといて貰えるかしら?」
「わかった」
「ありがとうございます。お……お義母さん」
「あら」
友梨の呼び方が嬉しかったのか、母さんはまた笑顔になる。
そうだよな。
友梨と家族になったんだよな……。
幼い頃から一緒で、でも途中で疎遠になって、また一緒になって──。
これまで色々あったけれど、友梨とならこの先何があっても乗り越えていけると思う。
はにかみながらこっちを見つめる友梨の手を、俺はまた強く握り返したのだった。
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