第88話 帰宅とJK

 駅を出てすぐ、ひまりは立ち止まる。


 前回訪れたのは美実と『対峙』した時。

 だけどあの時は公民館に行っただけで、家の様子を見に行くこともしなかった。


(今日は、違う)


 家に帰る――。

 ずっと前から決めていたことだけれど、地元の空気を吸った瞬間、一気に緊張が襲ってきた。


 ひまりは荷物を持つ手に力を込めながら、咄嗟に駒村と奏音の顔を思い浮かべる。


 二人に出会ってから、本当に様々な『初めて』を体験した。

 家出をした時の、世間知らずだったひまりとはもう違う。

 それでも、勝手に手が震えてしまっていた。


(自信、持たなきゃ。胸を張って家に帰るために、色々とやってきたんだから)


 たとえ何を言われても意思は曲げない――。


 バクバクと鳴る心臓を抱えながら、止めていた足を再び踏み出したひまり。

 うっすらと広がった雲が、太陽の熱を遮り始めていた。





 とあるバス停に降り立ったひまりは、気もそぞろに周囲を見渡していた。

 少し離れていた程度では、何一つ変わっていない見慣れた風景。

 自宅までまだ3km以上距離があるが、車移動が普通のこの辺りでは充分に家の『近所』だ。


 歩き続けるひまりの前方から、一人の女性がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 その歩き姿に何か見覚えがあるな――と思った直後、かの女性が突然走り出した。


「美実さん!?」

「やっぱり桜花だった……! 今日、帰ってくると言っていたから、そろそろだと思って……」


 以前再会した時に、美実には帰る日を告げていた。

 しっかり覚えていて迎えにきてくれたらしい。

 不安が一気に吹き飛び、ひまりは思わず顔を綻ばせていた。


「おかえり……」

「はい……! ただいまです!」


 笑顔で応えてから、ひまりは静かに決意する。

『駒村ひまり』の偽名に心の中でさよならを告げ、『桜花』に戻ることを。





 家までの道中、美実が荷物を半分持ってくれた。

 二人並んで歩くが、特に会話は生まれない。

 とはいえ、美実は元々口数が少ないことはわかっているので、桜花は特に気にならなかった。

 今は並んで歩いてくれるだけで心強い。


「……楽しかった?」


 そう思っていたものだから、美実が突然口を開いたことで逆に桜花はビックリしてしまった。

 すぐに返事をすることができず、しばし目を丸くする。

 が、優しい眼差しを向けられていることに気付き、すぐに正気を取り戻した。


「はい。とっても!」

「そう……。良かった……。どうなっても、私は応援してるから……」


「うん。ありがとう美実さん」


 その言葉がただ嬉しい。

 自分に味方がいてくれることの頼もしさを噛み締めながら前を向くと、家はもう目の前だった。




 ついに自宅前に着いてしまった。

 自分の家ながら、立派な門構えだなと桜花は思ってしまう。

 まるで来る者を選別するかのような威圧感を放っている。


 美実が少し後方で見守る中、桜花は瞑想するかのように静かに目を閉じる。

 少しの間、その場に立ち尽くした後──。

 意を決して目を開き、インターホンを押した。


 ザッという、インターホンが繋がった音がすぐに聞こえた。

 桜花は何も言わず、ただその場に立つばかり。

 インターホンはカメラ付きだ。

 だからこそ何も言わず、向こうの反応を待つことにした。


『――――っ!?』


 大きく息を呑む音が聞こえた。

 すぐにインターホンが切れる。

 ここにきて桜花の心臓の速度が途端に爆音を鳴らし、息苦しくなってきた。

 だけどもう、後戻りはできない。


 玄関の引き戸がガラガラと大きな音を鳴らし、間もなく大きな門が開いた。


 目の前に現れたのは母親。

 およそ3ヶ月ぶりに見る母親の姿は、5年以上は経過しているのかと思ってしまうほど一気に老け込んでいた。

 その変化に桜花の胸がチクリと痛んだ次の瞬間。

 その感傷に浸る間もなく、桜花はきつく抱きしめられていた。


「あぁ、桜花! 桜花! 良かった……! 無事に帰ってきてくれた……!」

「あ………………」


 開口一番、酷く怒られるものだと思っていた。

 罵られることも覚悟していた。

 それなのに、母親の態度は覚悟していたものとはまったく逆のものだった。


 桜花を強く抱きしめながら、母親はただ涙を流し続ける。

 母親の体が震えるのを全身で感じた桜花もまた、その目から自然に涙が溢れてきた。


「ごめん、なさい……。たくさん心配かけて、ごめんなさい……」


 確かに自由はなかった。

 息苦しかった。

 縛られていた。


 だけど、自分は愛されてなかったわけではないのだと、今ようやく桜花は気付いた。

 自分は両親の人形だと思っていたけれど、そうではなかったらしい。


 しばらくの間二人は泣き続けた。

 互いの存在を体温で直に感じながら。





 それから桜花は父親とも再会。

 母親と同じく、彼の口からまず出てきたのは安堵の言葉だった。

 その後こっぴどく叱られてしまったのは、母親とは違ったけれど。

 だけど当然の反応だと思っていたので、桜花は俯きながらも素直にその言葉を聞いていた。


 ただ、今までどこにいたのか──という質問には頑なに答えなかった。

 自分を救ってくれた人たちに迷惑をかけたくないからと、一貫して主張した。


 法律的には正しくないことなんてわかってる。

 それでも、桜花は主義を曲げなかった。

 これ以上追及しても桜花の意思を変えられないと気付いたのか、そのことについてはやがて父親も渋々と諦めるのだった。




 二人ともに桜花が出て行った理由は自覚していたらしく、桜花の訴えも遮ることなく聞いてくれた。

 たったこれだけのことが、今までできなかった。


 だけどもう、桜花は両親の反応に怯えて口を噤むことはない。

 自分で稼いだお金で夢に繋がる道具を買って二人に見せたことで、さらに自信が生まれる。

 自分はもう、何だってできるのだと。


(駒村さん、奏音ちゃん。私、やっと自分の口で言えました)


 これからはいつだって心の中に、あの二人がいてくれるから。


        ※ ※ ※ 

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