第86話 花火とJK②

 バケツに水を入れて戻ると、二人がロウソクを手にあーだこーだと何やら試行錯誤していた。

 どうやらロウソクを立てるのに四苦八苦しているみたいだ。

 確かに俺もそれについては完全に頭から抜け落ちていた。

 普段ロウソクなんて使わないからな……。


「よぉし。これでいいっしょ」


 最終的に小さな砂山を作ってそこに立てる、という方法に落ち着いたらしい。

 俺もそれが最善だと思う。


「あ、おかえりかず兄」

「水汲んできたぞ。早速始めるとするか」

「わぁい!」


 小学生のような歓声を上げるひまり。

 よっぽど楽しみにしていたらしい。

 これまでの境遇から察するに、もしかしたら初体験なのかもな……。


 俺は買ってきたライターでロウソクに火を点ける。

 最初は風で激しく揺らめいていた炎だが、やがて落ち着いた灯火となった。

 


「楽しむのは良いけどはしゃぎすぎないように。安全第一だ。わかったな?」

「もう、わかってるって。こんな時まで固いんだからかず兄は」


 ぶつぶつ言いながら、奏音は早速花火の一本に点火する。

 シューッという勢いのある音が上がり、火薬の匂いが一気に広がった。


 と次の瞬間、奏音は一歩引いてからいきなり俺に花火を向けてきやがった。


「安全第一って言っただろ!?」

「大丈夫大丈夫! 距離取ってるし」


 確かに距離はあるし熱くもない。

 が、風向きのせいで煙が完全に俺の方へ流れてくるのだ。


「ゴホッゴホッ! いや煙!」

「おお。駒村さん、まるで忍術を使ってるみたいです」

「ひまりまで参戦するな!」


 逃げ惑う俺と、笑いながら追いかけてくる女子高生二人。

 いきなりこんな展開になるなんて想像してなかったんだが!?


 二人の悪ノリから逃げ回りながらも、自分が自然と笑顔になっていることに気付いた。

 こんなふうにくだらないノリで走り回るのは、小学生の時以来かもしれない。


 そんなことを考えた直後、二人の花火が突如消えてしまった。


「あー、もう消えちゃった」


 二人が次の花火を手に取り、火をつけるより一瞬速く。

 俺が先に花火に火をつけた。

 緑と黄色の鮮やかな色と同時に勢いよく噴き出す火花。


「ふふふ……」


 俺の不気味な声で今後の展開を察知したのか、二人は笑顔のまま顔を引き攣らせた。


「さっきのお返しだ!」

「きゃーーーー!?」

「こ、こっちに来ないでください! 最初にやったのは奏音ちゃんなので!」

「ちょっとひまり!? 裏切る気ー!?」


 先ほどとは逆に、今度は女子高生二人を追い回す俺。

 しばらくの間、夜の公園に頭が悪そうな俺たちの声が響き渡るのだった。






 勢いのある花火を次々と終え、残るは線香花火だけになってしまった。

 それもあっという間になくなろうとしている。

 俺たち三人は自然と無言になっていた。


 か細すぎる火花がパチパチと爆ぜる様子を、ただ黙って見守るだけの時間。

 二人が何を考えているかはわからない。

 俺みたいに特に何も思っていないかもしれない。

 ただ、胸にたとえようのない切なさだけが満ちていく。

 どうして線香花火を見てると、こんな気持ちになるんだろう……。


 最後の線香花火を終えた奏音が、やがて静かに立ち上がった。


「ちょっと私トイレ行ってくる」


 このひと言で空気が一気に変わった。

 切ないも何もあったもんじゃない。

 ひまりも苦笑しながら奏音を見送っていた。


「ストレートに言えば良いってもんじゃないだろ……」

「ふふっ。でもそこが奏音ちゃんの良いところだと思います」

「良いところか?」


 俺の素直な感想に、ひまりはまた小さく笑う。


 そして訪れる沈黙――。


 弱い風が吹き抜け、全身を撫でていく。

 公園内の木々がざわざわと音を立てる中、ひまりがとても小さな声で「あの」と俺に呼びかけてきた。


「ん?」

「私、駒村さんのことが好きです」


 いきなりだった。

 俺はそういう空気を察することに長けていると勝手に自負していたのだが、そんなもの察知する間もなかった。


「あ――」

「待って。何も言わないでください。わかってますから。私のことをそんなふうに見ていないって、わかってる……」

「…………」


 ひまりは今にも泣き出しそうな顔をするが、グッと奥歯に力を込めて抑え込んだらしい。

 すぐに小さな笑みを作った。


「ただどうしても、今伝えたかった。帰る前にどうしても伝えておきたかったんです。でないと私、きっと一生後悔すると思ったから」

「ひまり……」


「それにもし、この先何年も経ってから駒村さんの気持ちが変わる可能性だってありますよね? だから――今はそのとても小さな可能性に賭けさせてほしいんです」


 まるで祈るように紡がれた言葉に、今の俺が答えることは許されない。

 ただひまりの願い通り、黙って聞き届けることしか俺にはできなかった。


 不確定な未来。

 もしも、万が一にも――。

 それは誰にもわからないことだから。


「それだけです!」


 これでこの話題は終わりと言わんばかりに、ひまりはそこでにっこりと微笑んでみせた。


 ……情けない。

 年下の女の子に、こんな気遣いをさせてしまう自分が情けなかった。


 だけどこんな自分を好きと言ってくれることについては、素直に嬉しいと思う。

 たとえそれが、雛鳥の刷り込みのようなものだとしても。


「あ、奏音ちゃん帰ってきた」


 ひまりの声で完全に空気が変わった。

 俺は少しだけホッとする。


 そしてこちらに向かってくる奏音をぼんやりと見つめながら思うことは。


 情けない大人の俺が今できる精一杯のことは、答えを言わないで欲しいと言ったひまりの願い通り、それについて考えないようにすること。

 たとえそれが、都合の良い逃げだとわかっていても。


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