第85話 花火とJK
夕食を終え、全員風呂にも入って、寝る前のまったりとした自由時間。
スマホを見ながらテレビを流し見ていた俺は、奏音の「あっ……」という小さな声に顔を上げていた。
奏音が見ていたのは花火大会のCMだ。
画面いっぱいに綺麗な花が咲いている。
「見に行こうか」と言いかけた俺だったが、寸でのところでその言葉は呑み込んだ。
続けて表示された開催日が、ひまりがここからいなくなった後のものだったからだ。
「…………」
「…………」
沈黙する俺たちの代わりに、リビングに響き続けるテレビの音。
おそらく奏音も俺と同じことを考えて、何も言えなくなったのだろう。
ひまりとの最後の思い出作りとして、花火を観に行くというのは良い案だと思う。
でも現実的にそれが無理だというのなら――。
「花火、俺たちでするか」
「えっ!?」
ぼそりと呟いた俺に反応する奏音。
「人混みにまぎれずにできるし」
「あー、確かにそっちの方がイイかも。私も人混みは好きじゃないしねー」
「人混みが好きだと思う奴の方が珍しいとは思うが」
「もうっ。そういう屁理屈言わない! とにかくそうと決まれば予定立てなきゃ。いつにする?」
「そうだな……」
俺たちは自然と壁にかけられたカレンダーへと目を向けていた。
ひまりが家に帰る日まであとわずか。
昼に花火をしても意味がないから、夜の空き時間となると――。
「明日にしようか」
「えっ」
「いや。夜だと俺の仕事も関係ないし。それに、こういうのは早い方が良いだろ?」
我ながら衝動的だと思う。
でもそういう気分だったのだ。
奏音がポカンと口を開けていたのは一瞬だけ。
すぐに満面の笑みを作った。
「了解! なら明日、早速コンビニで花火買ってくるよ。ひまりー! ちょっといい?」
一人俺の部屋にいるひまりを呼ぶ奏音。
間もなくひまりがひょっこりと顔を出した。
「何ですか?」
「明日花火しよ?」
いきなりの誘いにひまりは目を丸くする。
「花火、ですか?」
「うん。今かず兄と決めたんだ。場所は、ええっと……」
「近くの広い公園でいいだろ。確かあそこは花火をしても大丈夫な場所だったはず。そんな看板を見たことがあるし」
「……だって。そういうわけなんでよろしくー」
「わ、わかりました」
まだ面食らったままのひまり。
いきなり明日と言われたらそりゃこういう反応にもなるか。
「あ、勢いで決めたけど天気はどうだ? もし雨だったら違う日にしないと」
「ちょっと待って、今調べる」
すぐにスマホを操作する奏音。
少しの間指を動かした後。
「明日の夜は……うん、大丈夫そう。降水確率20パーセントだって。まぁいけるっしょ」
「よし。それならお金を渡しておくから、俺が仕事に行っている間に花火を買っておいてくれ。あとライターもな」
俺は煙草を吸わないから、火を点ける道具が家にない。
「ロウソクもいるかな?」
「あー。あった方が良いかもな。いちいち全部の花火をライターで点火するのも面倒だし」
俺がひたすらライターで花火を点火させるだけになってしまう光景が、うっすらと脳裏に浮かんで消えた。
やはりロウソクはあった方が良さそうだ。
俺だって少しは花火を持ちたい。
「よおし。かず兄、明日は寄り道せずに帰ってきてね」
「いつもしてないだろ」
「たまにスイーツ買ってくるじゃん」
「…………」
俺はよっぽど変な顔をしてしまったらしい。
それまで俺たちのやり取りを見守っていたひまりが、そこで吹き出したのだった。
そして迎えた花火決行日。
今日は業務もスムーズに終わったので、俺は約束通り寄り道をせずに帰宅する。
とはいえ、この季節の夕方はまだまだ明るい。
花火を楽しめる暗さになるには、もうしばらくかかるだろう。
焦って帰ってくる必要はなかったのでは? ……という考えが浮かんでくるが、わざわざ口には出さなかった。
そんなわけで、先に夕食と風呂を済ますことにした。
今日の夕食は唐揚げと味噌汁ときんぴらごぼう。
至って普通のメニューだが、それが何だか安心する。
ひまりも手伝ったらしいが、奏音がちゃんとサポートしたのか味も見た目も申し分なかった。
片付けも皆で分担したので、いつもよりずっと早く終わる。
「やる気」があるだけで動きの効率が良くなるの、人間って単純だなぁとちょっと思う。
仕事でもこの状態を維持できればいいんだけどな……。
公園に着くと既に先客がいた。
人数から察するに、二組の家族連れが一緒にやっているのだろう。
小学生くらいの子供たちが絶えずはしゃいでいる声が響き、大人が窘める声も聞こえる。
俺たちはその家族連れから離れ、小高い丘を越えた先で足を止めた。
「この辺でいいだろ」
見渡しが良いし、水道の蛇口があるトイレの手洗い場も近い。
「この公園の中に入ったの、実は初めてだったりするんだよな」
「確かにかず兄、休日も基本引きこもりだもんね」
「…………」
その通りなので何も言い返せない。
しかしながら、いつも外から見るだけだった場所に入るのは少し不思議な気分だ。
広い公園、ということは知っていたが、遊具があるエリアより何もないエリアの方が何倍も広いとは。
グラウンドのような砂地だけのエリアもあれば、木や芝生が植えられて整備されたエリアもある。
外周はランニング用のコースにもなっているらしく、この時間でも走っている人を数分置きに見かける。
「駒村さんもこれからは健康のためにここに来ます? さっきランニングしてた人、駒村さんと同じくらいの年齢みたいだし」
「暑いし疲れるからやだな……」
正直に答えると、なぜか二人に笑われてしまった。
「まぁ、かず兄は爽やかにランニングするようなキャラじゃないもんね」
「うるせー。今は花火をするんだろ。ほら準備準備」
「はーい」
俺が促すと、ようやく二人は持っていた花火セットをそれぞれにがさがさと開け始める。
「よぉし。人数分に花火を分けていこー」
「2セット買ったから結構いっぱいあるね。でもこの2つしかないやつはどうする?」
「ネズミ花火じゃん。かず兄用でいいっしょ。私らは優雅に手持ち花火多めで」
「おい。それはどういう意味だ」
俺がツッコむと、奏音は「えっへっへ」と下手くそすぎる誤魔化し笑いをする。
まったく……。
奏音のやつもかなり俺をおちょくるようになったもんだよな。
初日の態度からは想像もできんわ。
俺はあの時の奏音のことを思い出してつい苦笑しながら、バケツに水を入れに行くのだった。
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