第84話 覚悟とJK
「駒村さん、奏音ちゃん、こっちです!」
軽快な足取りで、人込みの中をずんずんと進んでいくひまり。
俺と奏音は慌ててその後を追っていた。
「おわわ。待ってよひまり!」
「先に行かれると迷子になるぞ」
俺が言うとようやくひまりは足を止めて振り返る。
「あっ――すみません。ついテンションが上がっちゃって」
「それは別に構わんが、ひまりはスマホを持ってないからな。俺と奏音とはぐれたら大変だぞ?」
「そ、そうでした……」
顔を青くするひまり。
どうやらそんなことをまったく考える余裕がないほど興奮していた様子。
とはいえ、彼女の心情を思うとそれも当然のことなので仕方がない。
「よぉし。それじゃあ私がひまりを確保しとく」
「ほわっ!?」
奏音がひまりの手をがしっと握った。
毎度思うのだが、どうしてこうも女子高生は躊躇いもなく友達と手を繋げるのだろう。
いや、女子高生に限らないな。もっと小さい頃から、そこは男とはかなり違う感性だよなと思ってしまう。
まぁとにかくこれで安心だろう。
「それじゃあ気を取り直して出発! あ、道は教えてねひまり」
「任せてください!」
俺もはぐれないように、二人の後ろを付いて行くのだった。
今日の外出の目的は買い物だ。
といっても、食料や日常品といった物が目的ではない。
ひまりの画材道具を揃えるためだ。
元々彼女がアルバイトを始めた理由。
『自分で稼いだお金で親に捨てられた道具を揃えたい』
それをようやく果たせる時が来たというわけだ。
少しでも親に認めてもらいたい、自分の夢に対する意思は強固なんだということを示すためのひまりの決意。
これですんなり解決――とはいかないだろうが、大きく前進することは確かだろう。
いくら子供とはいえ、親が勝手に物を捨ててしまうこと自体が本来はかなり問題あるのだが――。
今さら理屈や正論を考えたところで、捨てられた物は戻ってこない。
「ありました。ここです」
そう言ってひまりが立ち止まったのは、今まで俺が一度も来たことがないとある商業ビル。
ひまりがアルバイトをしていた店からそう離れていない場所だ。
ガラス越しに見えるのは有名なカフェで、多くの人が既に席を埋めていた。
コーヒーを飲みながらスマホを弄ったり、一心不乱にノートパソコンを叩いていたり、あるいは連れとのお喋りに花を咲かせていたり。
こういう外から丸見えの飲食店、個人的には落ち着かないんだよな。
知らない人に見られるのがどうしても気になるし、パソコンを持ち込んで仕事をするなんて情報漏洩の観点からしてもってのほかだ。
これは俺の仕事が経理ってことも影響しているのかもしれないけど……。
重いガラス扉を開けて中に入ると、いきなり有名なブランド店が構えていた。
高価なバッグや財布が上品にディスプレイされていて目が眩しい。
俺一人では絶対に訪れていなかっただろう。
俺が華やかさに
「3階にあるみたいです。とても広いお店みたいですよ」
どうやらひまりは随分と前からネットで調べていたらしい。
俺も奏音もそれは知らなかった。
ずっと前から、ひまりはちゃんと目標を達成するために準備していたみたいだ。
エスカレーターに乗っている間、ひまりはそわそわとしているように見えた。
そしていよいよ3階に到着。
通路沿いに歩いて行くと、迷うことなく見つけることができた。
「あった……」
白い看板に白い壁のオープンな店。
先ほどひまりから『広い』とは聞かされていたが、想像よりもずっと広くて驚いてしまった。
通路側には数えきれないほどの色とりどりのペンが並んでいて、既に何人かの女子学生たちが棚の前に立っていた。
「うわぁ。文房具がこんだけ並んでると私も欲しくなっちゃうなぁ」
奏音もテンションが上がっているようだ。
俺が中学生や高校生だった頃も、女子がファンシーな文房具を揃えているのを見たことがある。
こうして思い出してみると、その辺りの文房具に対する感覚も男女で差がありそうな気がするな。
「あの、早速見てきても……?」
「何ここまで来て遠慮してるんだ」
「そうだよ。ひまりの思うままに買っちゃいなって」
「……はい!」
ひまりは威勢の良い返事をすると、早速店の奥へと行ったのだった。
「俺らは適当に見て回っておくか」
「あ、この消しゴムめっちゃ可愛い~。あ、こっちのも」
「…………」
奏音も何かスイッチが入ってしまったらしい。
まぁ、消しゴムくらいなら買ってあげてもいいか……。
プラプラと店内を見回り始めて十数分経った頃。
キョロキョロと周囲を見回すひまりと遭遇した。
「どうしたんだ。何か見つからないのか?」
「あ、駒村さん。買う物は一通り揃ったんですけど、レジが見当たらなくて……」
「レジか?」
俺も周囲を見回す。
上の方に案内看板らしきものは見当たらないが、割とすぐに見つけることができた。
とはいえひまりの目線からだと、確かに見えないかもしれない。
「こっちの通路に出て右奥の方にあるみたいだぞ」
「えっ、さっきそっちの方行ったのに気付かなかった! ありがとうございます」
礼を言ってから再び離れていくひまり。
彼女が持っていたカゴの中にはたくさんの画材が入っていた。
流し見た限り絵の具が多そうだったが、太いペンも大量に入っていたので、金額にすると結構な値段になりそうだ。
「あれを全部捨てられたのか……」
特に心が痛くなったのはスケッチブックだ。
捨てられたスケッチブックには、ひまりが心血を注いだ絵が描かれていたに違いない。
毎晩パソコン画面を真剣な表情で見つめていたひまりを思い出すと、不思議とその情景が浮かんできた。
でも、その彼女の想いごと捨てられたってことだよな……。
ひまりが家出をした理由。今までは正直に言うとそこまで俺にはピンときていなかった。
確かに酷いことをされたとは思ったけれど、衝動的すぎないかと微かに思っていたのも事実だ。
だけど今ようやく、俺はひまりが家を出てきた気持ちがわかった。
毎日彼女を見てきて、絵にかける想いに触れて、ようやく理解できたんだ。
『絵を描く』と一言で表すと、とても簡単な行動のように思えてしまう。
特に絵を描くことがない俺みたいな奴なんかは特に。
でもその考えは間違っていた。
一枚の絵にかける時間、そして情熱は凄まじいものだということを知った。
彼女が捨てられたのは道具だけじゃない。
その『想い』も捨てられてしまったからこそ、ひまりは耐えられなくなったんだと。
「お待たせしました。いっぱい買っちゃいました!」
レジで精算を終えて戻ってきたひまりの顔は、今までに見たことがないほどスッキリした表情だった。
「……ああ。良かったな……」
俺はその顔を見て、どういうわけかチクリと胸が痛んでしまった。
『もうここに未練はない』と、暗にそう言われているような気がしたから。
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