第82話 待ち合わせと俺
会社の昼休み。
いつものように磯部と食堂に向かう途中で、マナーモードに設定しているスマホがポケットの中で振動したのを感じた。
また奏音からの連絡かな、と予想してスマホを取り出し画面を確認した俺は、予想が外れて目を見開いてしまう。
表示されていたのは友梨の名前だったのだ。
『金曜日、仕事帰りにお菓子を持って行こうと思うんだけど、駅の前で良いかな?』
この間連絡先を交換してから、これが初めてのやり取りだ。
今まで友梨とは直接会話していただけに、こうして文字だけでのやり取りになるととても不思議な気持ちになると同時に、心拍数がドッと上がる。
そもそも俺がこういうメッセージをやり取りする相手は奏音か弟しかいなかったので、否が応でも緊張してしまうのだ。
……それを深く考えると虚しくなるのでやめておくけど。
「お。誰かからの連絡? 彼女?」
磯部が身を乗り出し、ニヤけながら聞いてくる。
佐千原さんとは今のところ上手くいっているらしく、最近こいつを取り巻くオーラはさらに明るくなった。
そのせいかウザ絡みの頻度も増えてきている。
……正直、ちょっとだけ鬱陶しい。
「いや、違う」
短く否定だけしてから、俺は磯部の顔を見ないようにして返事を入力する。
『わかった。駅前で待ってる』
たったそれだけの文章を打つのに、焦って何度も打ち間違いをしてしまった。
緊張が消えないまま返事を送信すると、すぐに既読になった。
友梨がリアルタイムでこれを見ているというわけか……。
今まで特に意識してなかったことまで細かく気になってしまうのは、友梨との『空白の時間』が長かったせいだろう。
幼馴染みと思春期に微妙な関係になったかど、その後どうにか修復した──という先輩が世の中にいるのなら、是非ともレクチャーしてもらいたい。
「なんかさっきから表情が硬いな……。もしかして怖い人?」
やや気まずげに聞いてくる磯部。
俺、そんなに緊張が滲み出てるのか……。
「まぁ……」
俺は返事を濁して歩き続ける。
友梨が聞いていたら絶対に怒られそうだ。
ただ磯部の言うことは
俺が怖いのは、ここで距離感の縮め方を間違ってしまったら今度こそ俺たちの間には深い溝ができてしまうかもしれない――というものだけれど。
そして迎えた、友梨と約束した金曜日。
週末ということもあり、今日は少しだけ残業をしてしまった。
一応昼休みの時に「遅れるかもしれない」とメッセージは送っていたので、友梨の方もわかってくれていると思うが……。
「お疲れ」
挨拶もそこそこに俺は足早に職場を去る。
「おう! お疲れ〜!」
背後から磯部の元気な声が聞こえた。
追求される前に部屋を出られて良かったかもしれない。
歩きながら『今終わった』と友梨にメッセージを送ると、すぐに既読になった。
『私も今向かってる。急がなくて大丈夫だよ』
間を置かず返事がきた。
文末に可愛いウサギの絵文字が付いている。
女子とやり取りをしている──という実感が一気におそってきて、何だかむず痒い。
奏音はたまにしか絵文字やスタンプを使わないから、余計そう感じるのかもしれない。
奏音は短文を連発して送ってくるタイプだ。通知の数が多いなと思っても、繋げて読むと伝えたいことは1つだけだったりする。
もしかしてそれが今の若い子の特徴だったりするのだろうか……。
って、いかん。今は世代間ギャップについて考えると悲しくなるからやめよう。
駅前の人混みの中、俺は友梨の姿を探す。
待ち合わせをしている人がたくさんいた。
皆が同じようにスマホの画面を眺めている光景は、冷静に見ると少し異様かもしれない。
友梨の姿を見つけられないので、連絡をしようか──と考えた直後、後ろから「かずき君」と声をかけられた。
「ごめん。待たせた」
「ううん。私もさっき来たところだから大丈夫」
今の会話、まるで恋人同士みたいでは……と一瞬頭に過ぎってしまい、いきなり友梨の顔を見るのが気恥ずかしくなってしまった。
「はい、これ。今回はクッキーとパイの詰め合わせだよ」
「ありがとう。助かるよ」
紙袋と箱を見ただけで、いかにも女子高生が好きそうな物だとわかる。
奏音とひまりの喜ぶ顔が目に浮かんだ。
もちろん俺もお菓子は好きなのだが。
「……二人とも元気?」
「ああ。相変わらず元気だ」
「そっか……」
少しホッとした顔になったのは、長い間二人の顔を見ていないからだろう。
「もう少しで帰るんだよね、ひまりちゃん」
「ああ……」
「…………」
この沈黙が何を意味するものなのか、俺にはわからない。
友梨は俺が法律的にやってはいけないことを見過ごしている状態なので、正直なところ複雑な気持ちであることは容易に察することができる。
それでも責めずにいてくれるだけで、俺としては本当に頭が上がらない。
「あ、そうだ。話は変わるんだけど。私この間別の道から家に帰ってね。それで久々にかずき君が通ってた柔道教室の前を通って。そして、これを見かけて……」
そう言って友梨は、自分のスマホの画面を俺に向ける。
画面を見た俺は、意図せず固まってしまう。
「これは──」
『柔道教室 生徒募集中』
と筆で書かれた力強い文字。
しかし友梨はさらにその下の、小さな文字を指差した。
『指導員、同時募集中』
「どうかな?」
「…………」
鈍器で優しく小突かれたような、よくわからない衝撃が俺の胸を襲った。
心臓を打つ速度が勝手に上がっていく。
「かずきくんが、もしもずっと柔道のこと引っかかったままでいるのなら……やってみてもいいんじゃないかなって思うんだ」
「……どうして」
「前も言ったでしょ? 私、かずき君のことずっと見てきたって」
そう言って静かに微笑む友梨から、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
『見透かされている』という気まずさもあるが、それ以上に『俺のことを理解してくれている』という気恥ずかしさからだ。
俺は自分が特別ではない、ということに気付いて諦めた。逃げてしまった。
そうでもしないと、惨めな自分であり続けると思ったから。
でも、少しだけ大人になった今なら思う。
別に、特別な何者かになる必要なんてなかった。
ひまりみたいになる必要はなかった。
『ただ好きだから』という理由だけで続けても良かったんだと。
「私はかずき君と違って、真剣に打ち込んできたことがなかった。だから勝手な言い分かもしれない。それでも……。夢の続きは、大人になっても追いかけて良いものだと思ってるよ」
「夢の、続き……」
唐突に目の前に表れた、新しい道。
俺はしばらくの間、友梨のスマホの画面から目を離すことができなかった。
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