第78話 対峙とJK

「それじゃあ、また連絡するから」


 玄関の前で、奏音は見送る叔母さんに言う。

 来た時と違い、その顔はどこかスッキリとしていた。


 叔母さんは奏音に手を振り、俺に軽く会釈してから玄関の扉を閉める。

 俺たちも駅に向けて歩き出した。


「すっかり予定狂っちゃったね」


 奏音がスマホで現在の時刻を確認しながら呟く。

 ぼやきに似た呟きだったが、俺には嬉しそうに聞こえた。

 ずっと抱えてきたわだかまりが消えたからだろう。


「ちょうど昼飯時だな。奏音が行きたい店に行こうか」

「え、いいの!?」

「ああ。頑張ったご褒美だ」


 奏音は「むぅ」と上目遣いで頬を赤く染める。

 ストレートに言われて照れているらしい。

 でも、俺の偽りのない言葉でもあった。

 大きな問題が一つ解決したわけなのだから。


「えーと、ちょっと待ってて。すぐ調べるから」


 奏音はスマホの画面を素早く指でなぞる。

 俺は歩き続けながら、今この場にいないひまりのことを思い浮かべた。

 二人の対応に差を付けたくないし、ひまりにも何かお土産を買って帰ろう。


「決めた。ここ!」


 心の中でそう決めたと同時に奏音が叫んだ。

 すかさずスマホの画面を俺に向ける。

 画面に映っていたのは、黒を基調としたシックなサイトだった。


「高級和牛……A5ランクコース、至福の時間をお約束します――って、駄目だ! ここは却下!」


 上品なフォントの文字を読み進めながら、自分の体温が下がっていくのがわかった。


「えー。いいじゃん。ご褒美ご褒美」

「俺の財力を考えろ!? 無理に決まってるだろ!」

「そこまで堂々と言うことじゃなくない?」

「やかましい」


 言っている自分が一番虚しいので放っておいてほしい。


「そこまで高級な肉は無理だが……もうちょっと手頃な焼肉ランチなら良いぞ」

「本当!? やったー! 焼肉♪ 焼肉♪」


 上機嫌に歌い始める奏音。

 もしかして肉なら何でも良かったのかよ。何だか上手く嵌められた気分だ。


「そうだ。ひまりにも何かお土産買わないとだね」


 奏音がそう言った瞬間、俺は小さく噴き出してしまった。


「え? 私変なこと言った?」

「いや、何でもない」

「えー……。気になるじゃんか。教えてよ」

「何でもないって。ほら、店が混む前にさっさと行くぞ」


 俺と同じことを奏音が考えたから――とは気恥ずかしくて言えなかったのだった。






        ※ ※ ※


 片側一車線の道。住宅街へと続くその道中で、一台のバスが誰もいない停留所に止まった。


 バスから降りてきたのは、白い帽子を被ったひまり。

 アスファルトに足を付けた瞬間、熱気と日差しの強さに目を細める。

 駅からここまで自分を乗せてきたバスが発車すると、ひまりは鞄からメモ帳を取り出した。

 そこには、美実が指定した公民館までの行き方が書かれている。


 昨日の夜、ひまりは和輝の家から公民館までの道順をネットで調べて書き留めていたのだ。

 スマホが手元にない今、迷子になってしまったら辿り着く自信がない。


 とはいえ、ここはひまりの地元でもある。

 この周辺に来たことはないので馴染みはないが、誰かに尋ねたらすぐに教えてくれるだろう。

 それでもひまりはなるべくその手段を取りたくなかったので、事前に道順を念入りに調べていたのだった。


 いくらこの近辺に馴染みがないからといっても、今の自分は家出中なのだ。

 車移動が普通な地元。

 どこで顔見知りに見つかるかわからない。


 公民館までの行き方を改めて確認したひまりは、帽子をより深く被り直し、足早に歩き出す。


 家を出てから和輝に会うまでどのような足取りで行ったのか、正直なところ覚えていなかった。

 頭の中にある『何となく』なぼやけた地図を頼りに、都会に向かっただけ。


 逆の道を辿って来てわかった。

 今思うとなんて無謀だったのだろうと。

 それでも、あの時のひまりはただ家を出たい一心だった。


 今日のこの遠出は、和輝にも奏音にも結局言えずにいた。

 二人とも、いつものようにバイトに行ってると思っているだろう。


 歩き始めてから10分少々。

 メイン通りを離れ、車一台分の幅しかない道をしばらく進むと、急に視界が開けた。

 田んぼの中にポツンとある、異質な建物。

 クリーム色をしたその建物こそが、目的地である公民館だった。


 白いフェンスで囲まれた駐車場には、数台の車が停まっているのみ。

 ひまりは公民館のエントランスまで、小走りで駆け寄った。


 中に入ると、すぐに右側に掛けられた大きな白いダッシュボードが目に飛び込んできた。

『会議室』『小会議室』『多目的ホール』『調理室』の四つの項目があり、それぞれに使用時間と使用する団体の名前が書かれている。


 その多目的ホールの欄の中に『峰山』の文字を見つけたひまりの心臓が、大きく鳴った。

 美実の苗字だ。


 約束の時間は13時だが、多目的ホールは12時から美実が押さえているらしかった。


 ひまりは周囲をキョロキョロと見回す。

 マンションの管理人室のような小さな窓があるが、ここが受付なのだろう。

 ただ、電灯は付いているが今は無人だ。

 ちょうど昼時だからだろうか。


 約束の時間までもう少し余裕があるが、彼女はもう中にいる可能性が高い。

 館内をウロウロするまでもなく、すぐに目的地の表札を見つけた。


 美実はどうして、こんな場所に自分を呼び出したのだろう。

 あの日からずっと考えてきたが、結局答えは見つからなかった。


 ひまりは意を決して、スライド式の分厚い木製のドアを、ゆっくりと横に滑らせる。


 学校の体育館と同じ材質の、明るくてよく滑る床。

 壁一面が鏡になっており、そろっと顔を出した鏡の中の自分と目が合った。


 そして、凛とした佇まいで目を閉じて正座をしている美実。

 銅像みたいに微動だにしない。


「……来たね」


 ひまりの気配を察知した美実が、静かに瞼を開く。


「美実さん……。これは――」


 緊張感漂うこの雰囲気を、ひまりは知っている。

 随分と懐かしいものだけれど。


 美実は道着姿だった。

 彼女の目の前には、剣道の武具も置かれている。

 そして、もう一人分の道着と武具も。


桜花おうかの分もある。着替えて」


 喋りが苦手な美実だが、剣道のこととなると別だ。

 有無を言わさぬ雰囲気の美実に、ひまりは従うほかなかったのだった。

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