第77話 対話とJK②
休憩がてら、俺は残っていた麦茶を全部飲み干す。
麦茶はすっかり常温になっていた。
奏音は何か言いたそうに、チラチラと俺に視線を送ってくる。
「どうした?」
「いや、あの……ええと……」
モジモジとしながら、叔母さんの方もチラチラと見る。
「これからの話、なんだけど……」
――――あ。
そこで俺はようやく気付いた。
叔母さんが帰ってきたということは、奏音が俺の家にいる理由がなくなったということ。
つまり、いきなり奏音との同居生活が終わる時が――。
「あの、かず兄が良かったらだけど……。来月の半ばまではかず兄の家にいていいかな……?」
俺の思考を遮るように、恐る恐る上目遣いで聞いてくる奏音。
その言葉に、安堵している自分がいた。
「あ、あぁ。俺は全然問題ないけど……」
むしろその方が俺としても嬉しい――という本音は、叔母さんの手前言えなかったけど。
俺たちは叔母さんの方を見て出方を伺う。
少し戸惑っているように見えた。
「和輝君……本当に良いの?」
「はい。大丈夫です」
迷いのない俺の返答に、叔母さんの目が少し開く。
……いかん。もしかして変な詮索をされているのだろうか。
どう説明しようか……と一瞬悩むが、それは杞憂に終わることになる。
「それじゃあ、お言葉に甘えてもう少しお願いします。私としても鍵の交換を済ませないと安心できないから……」
「あぁ……。確かにこのままじゃ危ないでしょうね」
「警察にも相談しなきゃだし、あとは新しい職場を見つけなきゃいけないし――。そういうことで和輝君、申し訳ないけどあと少しだけ奏音のことをよろしくお願いします」
「わかりました」
叔母さんはそこで深く頭を下げる。
奏音は俺の顔を見ながら、しばし目を
奏音としても、叔母さんがあっさり許可を出してくれるとは考えていなかったのだと思う。
すぐに帰って来るように言われると予想していたのかもしれない。
でもまぁ、何せ叔母さんを取り巻く状況が普通ではないからな……。
とにかく、今日いきなり奏音との同居生活が終わることにならなくて良かった。
「よし。今後のことも決まったことだし、今日の目的を実行しますか」
空気を変えるかのように、奏音は呟いてから押し入れを開く。
押し入れの上段には布団が置かれていて、下段にはプラスチック製の収納が綺麗に並んでいた。
そこから夏服を取り出し、持って帰ってきた長袖の服を仕舞う。
今日の目的、あっという間に終わってしまった。
「じゃ、一旦かず兄の所に帰るから」
奏音の声は明るい。
それが今の俺には、不自然に聞こえてしまって――。
「奏音」
咄嗟に名前を呼んでしまった。
このまま帰るのは何か違うと思ったから。
確かに奏音は叔母さんと向き合って対話した。
決着はついた。今後のことも決めた。
それでも俺は、奏音にはまだ言えてないことがある気がしてならないのだ。
言葉にできる根拠はない。ただの感覚でしかない。
けれど、無視できるような感覚ではなかった。
「昔とはもう違うんだろ?」
俺の一言で奏音は小さく息を呑む。
そして一度目を伏せて――。
次に目を開けた時、奏音の表情は明らかに違っていた。
「私ね……お母さんは私のことが嫌になったから、出て行ったのだと思ってた」
彼女の口からポツリとこぼれた言葉は、静かな部屋に存外大きく響く。
叔母さんが小さく息を呑んだ。
「奏音、それは――」
「うん、そんなことないってもうわかったから大丈夫。それでもさ、やっぱり……悲しかった」
小さく平坦に紡がれた言葉は、奏音の偽りのない心。
叔母さんは申し訳なさそうに目を伏せる。
「私、母親失格だね」
「……そんなことない」
打って変わって、奏音の返答には小さな怒りが滲んでいた。
「え……」
「私はそんなふうに――失格だなんて思ってない。確かに黙って置いて行かれたことは悲しかったしちょっと怒ってる。でも、決してお母さんのことを母親失格だなんて思ってないよ」
「奏音……」
「そりゃね、今までクラスのみんながしているような旅行なんてできなかったよ。でも、お母さんは私に十分なお小遣いはくれてたじゃん。おかげで好きな化粧品や小物は買えてるし、スマホだって持たせてくれてる。お母さんが今まで頑張ってたことは私だってわかってるもん!」
少しずつヒートアップしていく奏音。
叔母さんは口を挟むことすらできない。
「だから母親失格だなんて言わないで。もうそんなこと言うの、絶対に禁止なんだから!」
叔母さんに向けて、奏音は鋭く指をさす。
言い終えた奏音の目からは、涙がこぼれていた。
「うん……うん。わかった。もう言わない」
「あと、これから勝手に出て行くのも禁止。その、気分転換でどこかに出かけても良いけど、勝手にいなくなるのだけは……やめて」
「わかった。奏音……ごめん。本当にごめんね……」
そこで叔母さんが奏音の頭を胸に抱く。
「やっと言えた……」
叔母さんの胸の中。
鼻を啜りながら、震える声で奏音は呟いた。
これまで二人の間にあった遠慮という見えない壁が、ようやく取り除かれたのが俺にもわかったのだった。
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