第75話 帰宅とJK②

 しばしの間、俺たちは動くことも喋ることもできなかった。


 翔子叔母さん――。

 何も言わず、奏音を置いて家を出ていった。

 その彼女が、今目の前にいる。


 完全に想定していない再開だった。

 それは奏音も同じだろう。

 そしておそらく、叔母さんの方も――。


 だからこそ、俺たちはこうして固まったままになっている。

 誰もがこれからどうするべきなのか、すぐに正解を出せないでいた。


 ……いや。とにかく話はしなければ。


 俺は奏音の肩にそっと手を置く。

 振り返った奏音は、動揺のせいか少し震えていた。


「鍵、見つかりそうか?」

「えっ? あ、うん……もうちょっと待って――」

「鍵なら私が持ってるから」


 会話に入ってきたのは叔母さんだった。

 目を丸くする俺たちを置いて、叔母さんは玄関前まで移動するとスムーズに鍵を開けた。


「……まず、中に入りましょう」


 確かに、こんな所で立ち話をしていては人目に付く。

 色々と聞きたいことはあるが、とにかく家の中に入ってからだろう。


 俺はまだ呆然としている奏音の背をそっと押して、家へと促す。


「かず兄……」


 俺を呼ぶ声は酷くか細い。


「大丈夫だ」


 一体何が大丈夫なのか、自分でもわからない。

 ただ、大人としての意地だけで言ったようなものだ。


 想定外の出来事に、正直なところ俺も動揺している。

 それでも、これ以上奏音を悲しませるようなことにはさせたくない――。


 即席の覚悟をしてから、俺は奏音と共に家の中に入った。






 以前来た時と同じように、部屋の中は畳の匂いが濃く広がっていた。

 それに加えて、今日はむわっとした熱気もある。


 先に入った叔母さんがエアコンのスイッチを入れたのだろう。

 外の室外機から割と大きな駆動音が響いた。


 俺と奏音はひとまず衣類を畳の上に置く。


 叔母さんはというと、今度は台所に移動して冷蔵庫の中をチェックしていた。


 俺の位置からも冷蔵庫の中が見えたが、ビールの缶が数本と醤油などの調味料があるだけで、他は見事に空っぽだった。


「飲み物がないわね……。ちょっとコンビニまで買ってくる」


 俺たちの返事を聞く前に、叔母さんはもう靴を履いて外に出てしまっていた。

 でも、確かに飲み物があると助かる。

 今日は何も買わずに来てしまったから。


 奏音は緊張の糸が切れたのだろう。俺と二人きりになってすぐ、深い息を吐いた。


「びっくりしたよ…………」

「……だな」


「まさか、いきなり帰ってくるなんて思わないじゃん」


 奏音はさっき叔母さんが開けていた冷蔵庫の前に行き、同じように中を覗き見る。

 特に意味のない行動に見えるが、何かしら動かないと落ち着かないのだろう。


「これからどうするつもりなんだろう。一時的に帰ってきただけなのかな。それとも……」

「それは本人に聞くしかない」

「うん……」


 ここであれこれ予想しても、きっと徒労に終わるだけだ。

 とはいえ、奏音の不安な気持ちは痛いほど伝わってくる。


「かず兄はさ……」

「ん?」

「私の味方でいてくれる?」

「当たり前だ」

「良かった」


 奏音は冷蔵庫の扉をパタンと閉める。


「どうなるかまったくわかんないけどさ……お母さんが戻ってきたら私、頑張ってお母さんと話してみる」

「その前に、ちゃんと戻ってくるかどうかだ」

「あ…………」


 その可能性は考えていなかったのか、奏音は小さく声を上げた。

 このまま、また姿を消してしまう可能性もゼロではない。

 叔母さんにとっても、今日このタイミングで奏音がここにいるなんて想定していない事態だっただろうから。


「とはいえ、叔母さんも家に帰ってくる理由があったから戻って来たのだろうし……。たぶん大丈夫だと思う」

「……うん」


 一応フォローだけはしておく。

 何の慰めにもならないだろうけど。


「奏音の素直な気持ちを言えばいい。難しかったら俺もいる」

「ありがとうかず兄……。でも大丈夫。私、昔とはもう違うから」


 そこで少しドキッとしてしまったのは、微笑した奏音が急に大人っぽく見えたから。


「そ、そうか」

「うん。ひまりとかず兄のおかげだよ」


 俺とひまりが奏音にどういう影響を与えたのか、具体的にはわからないが――。

 それでも奏音に良い影響を与えられたというのは、嬉しくもあり、ちょっと照れくさくもある。


 奏音の顔から、さっきまであった緊張の色がなくなっていることに気付いた。

 叔母さんが出て行ったことでインターバルができたのは、ある意味良かったのかもしれない。


 ふと外から聞こえてきたのは、アパートのコンクリートの上を歩く足音。

 叔母さんが帰ってきたのだろうなと、俺と奏音も瞬時に察した。


 俺たちは無言で頷き合い、エアコンが効き始めた畳の部屋に移動する。

 そして予想通り、玄関のドアが開く音。

 すかさず「ただいま。買ってきたよ」という叔母さんの声が部屋の中に響いたのだった。

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