第73話 再会とJK
「
「――――っ!」
それはひまりの本当の名前。
でも、呼ばれたくなかった。
今は呼ばれたくない名前で呼ばれてしまった。
ついにこの日が来てしまった。
キラキラと眩しくて楽しい夢を見ていたのに、急に目が覚めてしまった時のような感覚がひまりを襲う。
それは、濃い絶望と虚無感も伴っていた。
「美実……さん……」
ひまりは掠れた声で女性の名前を呼ぶ。
美実と呼ばれた女性は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「やっと……見つけた……」
その一言にどれほどの想いが込められていたのか。
ひまりはわかってしまった。
たからこそ、腕を振りほどく力が出てこない。
(だめ。逃げなきゃ。でも、でも──)
ひまりの頭は半ば混乱状態にあった。
美実に何を言えばいいのか。
この場の対応をどうすればいいのか。
これから自分はどうなってしまうのか。
このまま、駒村や奏音ともう会えなくなってしまうのか――。
(それは、嫌……。それだけは絶対に嫌だ……!)
「――――っ!?」
ひまりの腕に急に力が込められたのを察知した美実は、慌ててもう片方の手でひまりの肩を掴む。
「離してっ。離してください!」
「大……丈夫。大丈夫……だから! 落ち着いて!」
「でも、私は!」
「人が……見てる……!」
美実のその言葉にひまりはハッとする。
周囲に目をやると、多くの人が好奇と不安の目を二人に向けていた。
ここは駅の前だということを、すっかり忘れていた。
「騒ぎになるのは……桜花も嫌でしょ? だからお願い、落ち着いて……」
「…………」
美実の言葉にひまりは幾分か冷静さを取り戻す。
確かに、騒ぎになるのは避けたい。
これが知らない者同士のトラブルだと思われていたら、最悪警察だって呼ばれかねない。
「どこか、話のできる場所に……」
静かな声で提案してきた美実に対し、ひまりは頷くことしかできなかった。
「…………」
近場にある喫茶店に入ってから数分。
ひまりと美実の二人は、視線を合わせないままテーブル越しに向かい合っていた。
とりあえず注文したアイスコーヒーも、両者ともに手付かずだ。
グラスに細かい水滴が滲み始めている。
2ヶ月半ぶりの再会。
その空白を埋めるための第一声が、二人とも出てこないでいた。
美実はひまりより年上だが、喋ることはあまり得意ではない性格だ。
ようやくストローに口を付けたのはひまり。
(苦いな……)
ガムシロップが足りない。
家の外では進んでコーヒーを飲んだことがなかったので、ひまりは思わず眉を寄せてしまう。
大人の味はまだ早かったかなと考えると同時に、この状況も苦みが増す一因となっている気がした。
「あの……」
勇気を出してぽそりと呟いたひまりに、美実は小さく肩を震わせる。
「どうして私だとわかったんですか?」
とても多くの人が行き交う駅前。
ひまりもその人の波に乗るように歩いていて、さらに顔がすぐ判別できないよう帽子を被っていた。
それなのに、美実が迷わず後ろから自分の腕を掴んできたことが、ひまりには不思議でならなかったのだ。
「……歩き方」
「え?」
「歩き方で、桜花だとわかった。小さい時から、桜花の歩き方は変わらない……。芯がまっすぐで、とても素直な感じの……。他の人と違って、癖がない……」
「…………」
再びひまりは言葉を失ってしまう。
確かに美実とは幼い時からの付き合いであるけれど、まさか歩き方で判別されるとは考えてもいなかった。
(でも、美実さんらしいや……)
彼女は物心ついた時から、ずっと剣道一筋。
浮ついた話もまったくなく、ただひたすらに真面目で真っ直ぐだ。
「美実さんは、お父さんとお母さんに頼まれて捜しに来たんですか?」
少し硬い声で問うひまりに対し、美実は首を横に振る。
「違う……。私が勝手に……捜しに来ただけ……」
「つまり、美実さんが自主的に?」
美実はコクリと頷く。
一瞬「本当だろうか」と疑ってしまったが、おそらく美実は嘘はついていないだろうとひまりの直観が叫ぶ。
美実は唯一の理解者であるとひまりは思っていた。
だからこそ、美実に何も言わずに出てきてしまったことは悔いている。
「美実さんは……これから私をどうするつもりですか? やっぱりこのまま、連れて帰るつもりなのでしょうか?」
「正直に言うと……わからない」
「へ?」
その返答は想定外だった。
捜しに来たのだから、連れて帰られるのが当たり前。
そう思っていたからこそ、ひまりはこれから美実をどう説き伏せようか――と
「私としては、桜花に帰ってきて欲しい……。だからずっと捜してた。でもこのまま家に帰すことが、本当に桜花のためになるのだろうか、と改めて考えると……わからなくなった……」
「…………」
美実は肘を付き、
ひまりも困惑するばかり。
しばらくすると美実はスマホを取り出し、何かを調べだした。
その真剣な表情から、何を調べているのかと口を挟むことはできない。
やがて美実は、スマホの画面をひまりへと向けた。
「来週の日曜日。ここに来て」
画面に表示されていたのは、とある公民館のホームページ。
地名を見た瞬間、ひまりの心臓が大きく跳ねる。
ひまりの地元にある公民館だったのだ。
「え――何で……?」
疑問と戸惑いが掠れた声になって出てくる。
地元に誘導するということは、やはり連れて帰るということでは――。
「上手く……説明できない。でも、無理やり家に連れて帰ることはしない。先生たちにも……このことは話さない」
『先生たち』というのは、ひまりの両親のことだ。
剣道の師をやっている二人を、美実はずっとそう呼んでいる。
「…………」
説明されないことに対して、すぐに返事はできない。
ひまりが返事に困っていると、美実は下からひまりの顔を覗き込むようにして見つめてきた。
「お願い……。信じて……」
こんな美実の姿を見るのは、ひまりは初めてだ。
根拠はない。けれど、その言葉は嘘ではないと思った。
「……わかりました」
ひまりの返答に、美実はホッとしたように顔を上げる。
美実の意図がまったくわからない。
それでも、何かしら意味があるのだろう。
「あの、ちょっとメモしても良いですか。私、そこには行ったことなくて」
「ん……わかった」
ひまりのスマホは家に置いている。
公民館の名前と住所をメモしたひまりは、帰ってから和輝のパソコンでルートを詳しく調べようと思った。
「それで、何時に行けば良いですか?」
「……13時」
「わかりました」
その日のバイトはちょうど休みだったはずだ。
遠出をしても問題ない。
「じゃあ、私はこれで……」
美実はそう言って立ち上がる。
ひまりの目の前に千円札を置いて。
「え、あのっ」
「お釣りは……いらないから……」
止める
美実は颯爽と店の外に行ってしまった。
しばし呆然とするひまり。
元々独特の雰囲気を持っている美実だが、久々に会うとよりその一面が強く見える。
でも、変わらない彼女を見て少し安心した。
「来週……13時……公民館……」
約束の日時を確認するように小さく呟いてから、ひまりは苦いアイスコーヒーを一気に飲み干した。
※ ※ ※
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