第72話 申告とJK

        ※ ※ ※ 


「そう……。寂しくなるわぁ」


 ひまりのバイトを終えて控え室に戻ると、店長の中臣なかおみが頬に手を当ててため息を吐いたところだった。

 中臣の座る椅子の前には、アルバイトの恵蘇口えぞぐちが立っている。


 大学生の恵蘇口は夕方から夜にかけてシフトに入る日がほとんどなので、最近は昼にシフトが入ることが多いひまりとは、入れ違いになることが増えていた。


「あ、駒村さんお疲れさまー」

「お疲れ様です」


 振り向きざま恵蘇口に声を掛けられたひまりは、反射的に返事をする。


 だが、そこで「あれ?」と疑問が湧く。

 今日の夜のシフトに、恵蘇口の名前はなかったはずだ。

 誰かと交代したのだろうか。


「ひまりちゃん聞いてよぉ。恵蘇口さん今月で辞めちゃうのよぉ」

「え…………」


 中臣の言葉に、ひまりは一瞬思考が固まってしまった。


「そ、そうなんですか?」

「うん。実は劇団の方が忙しくなってきちゃって。昼は大学もあるし、それで申し訳ないけど……」

「なるほど……」


 恵蘇口は劇団に所属していることはひまりも知っていた。

 夢を追いかける先輩として見ていたこともあって、正直に言うと寂しい。


「恵蘇口ちゃんのメイド姿、本当に似合っていたのに残念だわぁ」

「ふふっ。ありがとうございます店長。ここのメイド服可愛いから、着れなくなっちゃうのは私も寂しいです」


「気が変わったらいつでも戻って来ていいからね?」

「はい。その時はまた連絡します!」


 二人の会話に区切りがついたところで、ひまりはハッとする。

 自分も来月の半ばで辞めることを、まだ店長に伝えていないことに気付いたのだ。


 これ以上遅く伝えても迷惑だろうし、言うタイミングとしては今が良いかもしれない。


「あ、あの、店長……。実は私も来月の半ばで辞めさせていただきます……」

「ええっ!?」


「い、いきなりでごめんなさい。でも、引っ越しをすることになって……」


 正確には自分の家に帰るだけなのだが――。

 ここから離れた場所に行く、という点では嘘ではない。


「あぁ、それは仕方がないわねぇ……。ひまりちゃんまでいなくなっちゃうなんて。せっかくお店で人気も出てきたところなのに、これは痛手だわぁ」

「すみません店長……」


 肩を落とす中臣に罪悪感が膨らむ。

 でも、今さらここにいる期限を延ばすつもりはなかった。


「ううん、謝らなくて良いわよ。それにね、こうして事前に言ってくれるだけで私としてはとっても助かるから。何も言わずいきなりバックレる子が一番困るのよねぇ。そういう意味では二人とも花丸よ。もう投げキッスしちゃう」


「あ、あはは……」


 相変わらず強烈なキャラ性をぶつけてくる中臣に、ひまりと恵蘇口は揃って引き笑いをするのだった。






 着替えた後、途中まで恵蘇口と一緒に帰ることになった。

 バイトを終えてこうして誰かと共に並んで帰るのは、高塔以外では初めてだ。


「恵蘇口さんが辞めると寂しくなります……」


 気付いたら、素直な気持ちが口から洩れていた。


「ありがと。私もひまりちゃんと会えなくなるのは寂しいよ」


「劇団の練習、大変ですか?」

「うん。でも大変だけど楽しくもあるよ。色々あるけどさ、やっぱり劇が好きなんだよね、私」


 恵蘇口の横顔がひまりには眩しく映る。

 好きなことに打ち込む――。

 それは自分だけでなく、その人の話を聞いている人にも内側に輝きを与えられることもあるのだと、今ひまりは強く感じていた。


 そんなふうに自分もなりたいと、ひまりは思う。


「そうですか。でも、やっぱり寂しいです……。もうすぐ夏休みですけど、劇団はお昼も練習があるのですか?」

「ううん。今のところ夜だけだよ」

「へえー。…………ん?」


 そこで湧き上がる小さな疑問。


 恵蘇口は先ほど『昼は大学もあるし』も言っていた。

 だがひまりが言った通り、もうすぐ大学も夏休みのはずだ。

 とはいえ、ひまりは大学生ではないので詳しいスケジュールなどは知らない。

 もしかしたら、夏休みの間も特別に授業があるのかもしれない。


 恵蘇口はひまりを見ると、意味ありげに口の端を小さく上げた。


「実はね。辞める理由、本当は違うの」

「えっ――?」


「振られちゃったんだ。それで、バイトに行くのがつらくなっちゃって」

「…………」


『誰に』振られてしまったのか、聞くまでもなかった。

 あのメイド喫茶で働いている男性は、現在高塔しかいないのだから。


 恵蘇口が高塔のことを好きだったなんて、ひまりはまったく気付かなった。

 それらしい素振りがなかったものだから。


「いやぁ、バイトに恋愛を持ち込んで、それが原因で辞めちゃうとか自分でも身勝手だなぁと思ってるよ。でも、もう本当辛くてさ……」


 恵蘇口が辞めることになってしまった原因が自分にもあるような気がして、途端にひまりは後ろめたくなる。

 それっきり、ひまりは何も言うことができなくなった。


「……と、ごめんね。急にこんな話をしちゃって。ひまりちゃんももうすぐ辞めるんだよね。最後までバイト頑張ろうね」


 恵蘇口はそう言うと「私こっちだから。またね」と道を曲がって行く。

 ひまりはしばらくの間、恵蘇口の後ろ姿を見つめていた。


 あの様子だと、高塔が想いを寄せていたのがひまりだとは知らなかったのか。

 いや。知っていて、あえてそう気取られないようにしているだけだったのかもしれない。


(人の心って、上手く回らないな……)


 ぐしゃぐしゃとした形容しがたい感覚が、胸の内に渦巻く。


 信号待ちをしていたトラックが、青信号になると急発進した。

 そのトラックから発せられた一陣の生ぬるい風が、ひまりの白い帽子を巻き上げそうだったので慌てて頭を押さえた。






 恵蘇口と別れたひまりは、一人街を歩く。

 メイド喫茶から駅までの風景も、すっかり見慣れたものになっていた。


 だが、目の前には見慣れない景色が一つ。


(あ……。すごく変わってる)


 交差点前にあるビルの1階は以前は不動産屋だったのだが、少し前に移転したらしくここしばらくは工事が進んでいた。

 そして朝の時点では白かった外壁が、今はシックな黒色に変貌を遂げている。


 あっという間に変わってしまった外観に驚くと同時に、出入り口前にある大きなロゴマークに自然と目がいく。

 丸いロゴマークの中に書かれていたのは、どう見てもピザだった。


 とはいえ、どうやら宅配専門店ではないらしい。

 ガラス張りの大きな窓から見える店内には、複数のテーブルや椅子が端の方にまとめて積み上げられていたからだ。


(店内で食べられるお店かぁ)


 ピザといえば宅配ピザしか食べたことがなかったひまりにとって、工事中のその店はかなり斬新に見えた。


(オープンしたら、駒村さんと奏音ちゃんと三人で来てみたいなぁ)


 とはいえ、いつオープンするのかまだわからない。

 もしかしたら、ひまりが帰る時までには間に合わないかもしれない――。

 その可能性を考えると、胸に切ない痛みが走る。


 ひとまず、今後あの店の前を通る時は注意深く見てみよう。

 そう決心して駅に入ろうとした、その時。


 突然、上腕部を強く握られ、ひまりは後ろに引き戻された。


(えっ――!?)


 驚きすぎて咄嗟に声が出なかった。

 恐怖心が稲妻のように全身を走り抜ける。


 ひまりは振り返った瞬間、目を見開いた。

 そこには、見知った顔があったのだ。


 長い髪を一つにまとめた若い女性。


 ひまりが今一番会いたくなかった――文化祭の帰りに見かけた、あの女性だった。

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