第68話 めんつゆとJK
「やっぱ夏といえばそうめんだよねー」
そうめんが大量に入ったボウルの中に箸を突っ込みながら、奏音はしみじみと呟く。
梅雨明け宣言が出た7月半ばの夜。
今日の晩ご飯はそうめんだった。
奏音の言う通り、そうめんを食べると否が応でも夏を感じる。
氷水から取り出したそうめんを冷たいめんつゆに浸した後口の中に入れる時の涼やかな感覚は、唯一無二のものだ。
そうめんだけで腹を膨らませると後半少し厳しくなってくるけれど、今日は奏音がとり天も用意してくれたのでそこは心配無用だった。
サクサクの衣とジューシーな鶏肉にめんつゆが染み込み、とても美味い。
「熱いとり天を冷たいめんつゆに付けて食べる幸せ……」
ひまりも実に幸せそうな顔をしながら食べている。
去年一人でそうめんを作って食べた時より、当然ながら満足度は数倍高かった。
皿洗いを終えた後、ふと目に入ってきたのはテーブルに置かれたままのめんつゆ。
いかん、冷蔵庫に片付けるのを忘れていた。
プラスチック容器の中には、まだ半分ほどめんつゆが残っている。
思っていたより減らなかったな……。
「この量は、またそうめんを食べないと使いきれないか?」
「何言ってんのかず兄。別にそうめんじゃなくても他の料理に使えばいいじゃん」
麦茶を飲んでいた奏音が俺の独り言に割り込んできた。
ちなみにひまりは今、風呂に入っている。
「めんつゆ1本あれば便利だよ」
「そうは言ってもな……」
便利だよと言われて素直に料理をする性格だったのなら、今頃もっと自炊できていただろう。
でもそこで
「それじゃあ、私が簡単なレシピ教えてあげる」
奏音は飲んでいた麦茶を置くと、勢いよく冷蔵庫を開けた。
「まさか今から!?」
「ここにバターがあるでしょ?」
奏音は冷蔵庫に置いてあるバターを指差す。
「あ、あぁ……」
いや、今食べ終わったばかりなのに──という俺の考えを読んだかのように、奏音は冷蔵庫の扉をパタンと閉めてから続ける。
「さすがに今は作んないよ。頭の中で作るんだよ」
「えっ?」
「まぁまぁ、イメージトレーニングと思って。で、続き。頭の中でめんつゆとバターを用意して」
「……したぞ」
「次にエリンギと豚バラ肉を用意」
「エリンギと豚バラ肉……」
言われるがままに、俺の頭の中にはその二つのシルエットが浮かぶ。
「んで、エリンギを適当に切って、豚バラ肉も適当に切る」
「適当に」
料理初心者には、その『適当』が難しかったりするんだけど。
「そ、適当に。難しく考えなくても、自分の口に入る大きさに切れば間違いないって」
「なるほど……」
言われてみれば確かにそうだ。
結局食べるのは自分だもんな。
「その後ね。まず豚バラ肉をフライパンに入れて色が変わるまで焼いてから、エリンギも焼く」
頭の中のフライパンの中で、豚バラ肉が良い感じに茶色になった。
エリンギもたぶん焼けた。
想像なので、実際に火が通る時間はもっと長いのだろうけど。
「そこにめんつゆとバターを投入して全体に絡ませるだけ。めんつゆはまず大さじ2くらい入れて、後は好みで調整していけばよし。ほらできた」
「おぉ……」
頭の中の適当クッキングなのに、なぜか匂いも漂ってきた気がする。
美味そうに思えるところがまた凄い。
「凄いな奏音……」
「食材を『焼く』か『炒める』をしたら、大体の料理はそれなりに美味しくできるもんだよ」
「覚えておく」
素直に感心する俺を、奏音はなぜかニヤニヤとしながらジッと見てくる。
「……何だよ?」
「いや、これでめんつゆを見る度に、私のことを思い出してくれるかなと思って」
「なっ――!?」
意外な言葉に思わず肩と心臓が跳ねる。
そんなことを言われたら、本当に忘れられなくなってしまうじゃないか――。
「あ、もしかして動揺してる?」
「してない。からかうんじゃないっ」
「にひひ」
血流が顔に上っているのがわかる。
俺は赤くなっているであろう顔を隠すため、冷蔵庫から発泡酒を取り出してグイっと煽った。
「ふぅ。良いお湯だった」
ひまりが洗面所から出てきたのはその時だ。
今のやり取り、聞こえてなかったよな……? と妙に不安になってしまったので、さらに俺は発泡酒を煽る。
「駒村さん、いつにも増して飲み方が豪快ですね」
「そうか? 今日は暑いからな。こう、喉の渇きがな」
くくっと笑いを堪えながら、奏音は居間に去って行く。
くそぅ、奏音のやつ…………。
『うん。他の男の人はまだわかんないけど――かず兄だけは平気だよ!』
1ヶ月ほど前に奏音に言われた言葉を急に思い出し、さらに心臓の速度が上がってしまった。
……ダメだ。意識をするな俺。
「駒村さん……?」
ひまりの声で我に返る。
いかんな。高校生の言うことに惑わされてどうする俺。
大人の余裕を取り戻さないと……。
「そ、そうだひまり。明日はバイトだったっけ?」
「明日はお昼のシフトです」
「ということは夜は家にいるんだな。明日は俺が晩ご飯を作るから」
「あ、は、はい……」
突然の俺の宣言にひまりはキョトンとするばかり。
ひとまず、俺の動揺は誤魔化せたようだ。
同時に、別の緊張が俺の中で生まれる。
上手く作れるだろうか……。
いや、ここで俺もできる人間だと二人に思わせる良い機会じゃないか。
「奏音ちゃん聞きました? 明日の夜は駒村さんがご飯を作ってくれるそうです!」
嬉々としながら居間に向かうひまり。
「ふーん」
ソファに座っていた奏音はチラリと俺の方を見て、また口の端を上げた。
次の日――。
奏音が教えてくれた通りに作っためんつゆとバターを使った料理は、大きな失敗をすることなく無事に完成。
俺の中で、料理に対する苦手意識が少し減ったのだった。
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