第67話 相談と俺
キーボードを叩く音だけが響く部署内。
だが昼休みを告げるベルが鳴ると、一気に空気がフッと緩んだ。
12時になる数分前から、パソコンの端に表示されている時刻や自分の腕時計に何度も目をやってしまう。
でもきっと、これは俺だけではないはず……。
肩の力を抜いてしばらくダラリとしていたら、隣の磯部と目が合った。
「磯部、今日の昼飯は?」
「コンビニにおにぎり買いに行くわ。ちょっと食欲がなくてさ……。今日は食堂の飯、たぶん食べきれない」
「えっ!?」
磯部の返答に思わず俺は声を上げてしまった。
いつもは余裕で食べきっているのに……。
「どうした? 具合でも悪いのか? 夏バテ?」
「体調はまぁ普通だよ。……ちょっと相談に乗ってほしいんだ」
「はぁ。俺で良ければ」
仕事終わりに「聞いてくれよー」と居酒屋に誘ってくる、いつもの軽いノリとは明らかに違う。
見たことがないテンションの磯部に戸惑いながら、俺たちはひとまずコンビニに向かうのだった。
7階にあるフリースペースには、既に弁当を持参している社員達が大勢いた。
俺たちも、ちょうど空いていた二人掛けのテーブル席に着く。
磯部は先ほど言っていた通り、本当におにぎりとお茶だけしか買わなかった。
小食な女子高生かよ――とつい思ってしまったが、磯部がずっと放っている重たいオーラのせいで、茶化す言葉も出てこない。
「で、相談って?」
俺は『大盛り唐揚げ弁当』を袋から取り出しながら聞く。
栄養なんて知ったこっちゃねぇ、と言わんばかりの唐揚げの量だ。
プラスチックの容器と唐揚げの匂いが混ざり合って、いかにもコンビニの弁当らしい強い匂いが一気に広がった。
「その……。驚かずに聞いてほしいんだけど」
「だから何だよ」
「佐千原さんに告白されたんだ」
「はぁぁぁっ!?」
思った以上に大きい声が出てしまった。
「声がでけぇよ! 驚くなって言ったじゃん!」
「いや無理だって! 普通驚くだろこれは!」
さすがにこれは想像の範囲外すぎる。
いつもと様子が違いすぎたから、まさかお金のトラブルか……? とちょっと考えてたくらいだぞ。
それがまさか、恋愛の相談だなんて。
しかも告白されただと? あの佐千原さんに?
――が、確かに声が大きかったのはちょっと反省する。
皆の視線が一斉にこっちに集まったのを察知した俺は、わざとらしく咳払いをしてから姿勢を正した。
「えぇと……。その、いつ告白されたんだ?」
今度は声を
正直、何から聞いて良いものかわからん。
「昨日の帰りだよ……」
まぁ、様子がおかしかったのは今日になってからなのでそうだろうな。
「何で佐千原さんがお前を?」
「俺が一番知りたい……」
「理由を聞いてないのか……」
「いや、一応聞いてはいるんだ。この間飲み会があっただろ?」
「あぁ。あの送別会な」
確かあの時、佐千原さんと磯部は同じ方向の電車に乗って帰っていったけれど――。
「まさか、あの後何かあったのか? 良い雰囲気になったとか」
「いや全然。というか俺酔ってたし……。普通に途中まで一緒に電車に乗って、他愛もないことを話して、その後別れただけだよ。でもその時の……」
磯部は突然、そこで頭をガシガシと乱暴に掻く。
気付けば顔が真っ赤に染まっていた。
「その時の――何だよ?」
「えっと……その……。俺のへにゃっとした笑顔が、可愛かった……らしい……」
「……………………へぇ」
「だよな!? そういう反応になるよな!? 自分でもわけわかんなくてさ!」
顔を赤くしたまま磯部は必死に弁明する。
「でも、佐千原さんの言うこと俺も少しだけわかるかも……。確かに酔って笑った時のお前の顔は、ちょっとかわいい系かもしれん――と思わんこともない」
「ま、まさか駒村まで俺のことを!? それは困る!」
「そんなわけあるか」
思わず磯部の頭をはたいてツッコんでしまった。
まぁ、それくらい今の磯部は心に余裕がないということだろう。
「で、他の理由は? まさか佐千原さん、お前のへにゃっとした見た目だけに惹かれたわけじゃないだろ?」
「その言い方は俺もちょっと傷つくからやめて? 確かにイケメンではないと自分でもわかってるけどさぁ……」
「悪かったよ」
磯部は年齢の割に若く見えるのだが、『やんちゃ坊主』感が抜け切れていない見た目でもある。
ワイシャツ姿だと「ちょっと老けた高校生です」と言ったら通用してしまいそうだ。
「佐千原さんが言うには、営業部の上の連中って体育会系というか……結構ズケズケ言うタイプばかりらしくてさ、ちょっと疲れるんだって。でも昼休みに俺の緩い態度を見ると、その落差でホッとしていたらしくて……えぇと……」
磯部は自分で説明をして照れてしまったのか、またしても語尾が小さくなってしまった。
なるほど……。
つまり磯部が、佐千原さんにとって癒やしになっていたと。
しかし、佐千原さんが磯部のことをなぁ……。
今まで昼飯を食べる時に俺の隣に座ることが多かったのは、磯部に気があったからこそ――だったのか。
これがいわゆる『好き避け』というやつか。
正直に言うと、今までの佐千原さんの態度で「もしかして俺のこと――?」とちょっと勘違いしかけていた。
いかんな……。
自分の身の程を知らなければ……。
「しかし相談っていうより、今のところ単に自慢されてるだけなんだけど」
大きな唐揚げを一口頬張ってからちょっと妬みを込めた目で見ると、磯部は慌ててパタパタと手を振った。
「相談はここからなんだって」
「まさか、返事に悩んでるとか?」
「そのまさかだよ……」
磯部はペットボトルのお茶を強く握り締め、視線を落とした。
「意外だな。お前のことだからすぐにOKの返事をするかと思ってたんだが。今までの佐千原さんへの態度を見ても、結構良い感じだと思うけどな」
「確かに彼女と話してると楽しいよ。決して嫌いじゃない。でも今まで自分から告白したことはあっても、告白されたことなんてなかったし……。それに……」
「それに?」
「やっぱり佐千原さんは『職場で会う人』っていう認識しかなかったから……」
つまり、磯部の方は佐千原さんに対してはあくまで同僚としてしか見ていなかったってことか……。
「なぁ駒村。恋愛感情を抱いていなかった人から告白された場合、駒村ならどうする?」
その質問は、思いのほか俺の胸の奥に突き刺さった。
友梨に対して返事を保留している、今の俺に向けた質問のようでもあったから――。
「俺は…………」
続く言葉が出てこない。
でも、磯部に対して何か助言をしなければ――という謎の使命感だけが胸の奥底にあった。
頼られているからには、何かしらヒントをあげたいという意地のようなものだ。
「特に嫌いじゃなかったら、その人のこと知ろうとする……かな……?」
何とか言葉を絞り出すが、これが本心かと問われると自信がない。
俺は友梨のこと、知ろうとしているか――?
自問自答をして苦しくなってしまった。
「そう……か。でも俺も佐千原さんのこと決して嫌いじゃないし、これから彼女のことをもっと知っていくのもアリかもな……。『恋愛感情を抱いていない』と『好きじゃない』はイコールではないしな……。うん……」
磯部は顎に手を当ててしばし唸り始めた。
「よし、もうちょっと考えてみるわ。ありがとな駒村」
「いや。役に立てたのなら良かったよ」
礼の言葉が今の俺には痛かった。
同じ場所に立っていると感じたのに、一気に追い抜かれたような気分になってしまったから。
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