第65話 パンケーキとJK

 肩に重さを感じた俺は、両腕を突き上げ伸びをする。

 職場の椅子は硬いというわけではないのだが、長時間座っているとやはり疲労が溜まってしまう。

 伸びをしたまま時計に目をやると、既に16時を回っていた。


 奏音とひまり、そろそろ合流した頃だろうか――。


 昨日遊ぶ約束をしていた二人の顔が浮かぶ。

 ひまりの話を聞いて、奏音がひまりを連れ出したくなった気持ちは痛いほどわかった。

 ひまりの実家は、なかなか一筋縄ではいかない環境のようだな……。


「駒村ー。腕伸ばしたまま固まってるけどどうした?」


 隣の磯部に言われ、俺は慌てて姿勢を正す。

 今は考えても仕方がない。仕事に集中しなければ。

 再び俺は、数字の並ぶパソコン画面を見据えるのだった。


        ※ ※ ※ 



 HRが終わると奏音はすぐに教室を飛び出した。


 待ち合わせ場所は、奏音の学校の最寄りの駅。

 ひまりはスマホを持っていないので、すれ違うことがないようにとここに決めたのだ。

 この間の文化祭の時に一度来ているので、駅ならひまりも迷子にはならないだろうと考えてのことだった。


 自然と歩くスピードが上がる。

 奏音は歩きながら、以前ひまりと喧嘩した時のことを思い出していた。


『私には生まれた時から『両親』なんていない! 母親しか知らなくて、その母親さえも勝手にどっか行ってしまった! 私には将来を心配してくれる親なんていないもん!』

『わ、私だって! 好きであの家に生まれてきたわけじゃない!』


 ようやく、あの時の言葉を奏音は理解した。

 ひまりは親に夢を応援されなかっただけじゃない。

 必要以上に縛られていたのだ。

 放っておかれていた奏音とは逆に――。


 それならそうとあの時言ってくれたら良かったのに……と思ったけれど、言いづらい気持ちもわかる。

 奏音だって、自分の家のことを学校の誰にも言えていないから。


 そんなことを考えながら歩いていたら、既に駅が目の前にあった。

 人波の中から、奏音は目を凝らしてひまりの姿を探す。


(いた――!)


 ほどなくして見つけることができた。

 白い帽子を被っているひまりは、遠くから見るとより清楚で可愛らしく見える。


「ひまり!」

「あ、奏音ちゃん!」


 お互いに手を上げて存在を主張する二人。

 そして近付いた瞬間、軽い抱擁を交わした。


「早かったですね」

「うん。教室を飛び出してきたからね」


「私もついさっき着いたところなんだけど。奏音ちゃん大丈夫? 疲れてない?」

「へーきへーき。ひまりこそナンパされなかった?」


「さ、されてないですよ!」

「それなら良かった。この駅私らの学校の他に、近くの女子高の人らも使ってるからさ。たまに変なのが声かけてくるんだよ」

「そ、そうですか……」


 電車での痴漢といい、やっぱり都会は怖いなとちょっと思ってしまうひまりだった。


「さて、と。今日はこの辺の女子高生に人気の店を順に回って行くつもりだよ」


 奏音がそう言った瞬間、ひまりの瞳が輝いた。


「それは楽しみです!」

「よし。それじゃあ早速行こー!」


 奏音はひまりの手を取り、先導するのだった。






 やって来たのは、壁や看板に蔦が絡まった外観の喫茶店。

 大きなガラス張りの窓から店内の様子が見えるが、店内はそれなりに混雑しているようだ。


 ひまりの手を引いたまま、奏音は躊躇することなく店の中に入る。

 すぐに店員に席を案内され、端のテーブル席に着く二人。

 ひまりはしばし店内をキョロキョロと見回していた。


 山小屋を彷彿とさせる、大きな梁が天井に渡っている。

 テーブルも椅子も木製で、店内全体が優しい雰囲気だ。

 客の8割は女性だった。奏音のように学校帰りらしき制服姿の子もチラホラといる。


「こういうお洒落なお店に入ると、自分までお洒落になったのかと錯覚しちゃいますね……」

「あー……なんかわかるかも」


 笑いながら相槌を打つ奏音は、既にメニュー表を手にしていた。


「ここのお店、パンケーキが有名なんだよ。私も前に来たことあるけど美味しいよ」

「パンケーキ! 実に女の子っぽくて良きです。奏音ちゃんによく似合う……」


「いや、似合う似合わないで言ったらひまりの方が似合ってるでしょ」

「えー、そうですか? 奏音ちゃんとパンケーキの組み合わせとか、可愛いしかないのに」

「かっ、かわっ――!? と、とにかく早く決めるよ」


 しどろもどろになる奏音を微笑ましい気持ちで眺めてから、ひまりもメニュー表に目を落とす。

 メニュー表の『パンケーキ』の項目には、ズラリと文字と写真が並んでいた。


「わ。種類が多い!?」

「でしょ? クリームやフルーツが載ったやつ以外にも、塩味のやベーコンが載ったやつとか、食事系パンケーキもいっぱいあるんだよ」

「これは目移りしちゃいますね……」


 ひまりは奏音の説明を受け、より真剣な表情になる。

 奏音も同じく、本日の一皿を決めるためメニュー表に見入るのだった。






「お待たせしました」


 注文したパンケーキが目の前に置かれると、二人の目は星のように輝いた。


「やったー! いただきます!」


 早速ナイフとフォークを手に取る奏音。

 奏音が頼んだのは、いちごがふんだんに載り、いちごソースもたっぷりとかかったいちごパンケーキ。


「美味しそう……。いただきます!」


 ひまりが頼んだのは、生クリームが載ったスタンダードなスフレパンケーキだ。

 早速ナイフをパンケーキに入れる。

 切った感触がないほど、ナイフはスッとパンケーキの中に沈んでいった。


「えっ! なにこれ!?」


 あまりの柔らかさにひまりは思わず目を丸くする。

 ナイフとフォークに加え、スプーンまで置かれていた理由がよくわかった。


「でしょ。柔らかさにビビるでしょ」


 ひまりの反応にニヤニヤする奏音は、既に二口頬張っていた。

 奏音の口の横にいちごソースが付いていたが、今のひまりはそれを指摘する余裕がない。

 スフレパンケーキをドキドキしながら口に運び――。


「と……とろける……」


 初めての食感に、頬をおもいっきり緩ませた。

 触感だけではない。味も絶妙だった。

 甘すぎないので、どんどん口に運べてしまう。


「やっぱ美味しいわぁ、ここのパンケーキ……。重くないし最高……」


 奏音もひまりも、会話を忘れて夢中で食べるのだった。




 学校帰りの友達と、こうしてお洒落なお店で食事をする──。


 ここに来てから様々な『初めて』を体験してきたひまりだったが、今ほど外食で幸せを感じたことはなかったのだった。


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