第64話 実家とJK

 7月に入っても梅雨はまだ明けない。

 雨で湿気が多いある日の夜、俺は二人と一緒にカップアイスを食べていた。


「いや~。お風呂上がりに食べるアイスは最高だね!」


 奏音の言葉には同意だが、俺は風呂上がりにはビールの方が好きかもしれない。

 乾いた喉を通る炭酸が最高なんだよな。

 でもアイス自体は俺も大好きだ。


 黙々とアイスを食べる俺たち。

 スプーンで掬っては口に運び――をひたすら繰り返す。

 まるでカニを食べる時のような集中力だ。

 ……アイスってこんなふうに集中して食べるものだったっけ?


 とはいえ、アイスを頬張る奏音の顔は実に幸せそうだ。

 思わずこっちまでつられてしまう。

 対照的にひまりの顔は浮かない。


「どうしたひまり? 元気なさそうだが」

「あっ……。ちょっと昔のことを思い出してしまって」

「…………」


 より静かになる部屋。

 そういえば、ひまりの家や両親のことはまだ詳しく聞いていない。


 ひまりの絵の道具を捨てた――。

 剣道の道場を経営している――。


 現在知っている情報はこれだけだ。


 共に生活を始めてから既に2ヶ月。

 そろそろ知っておきたいというのが本音だ。

 このまま何も知らないままでいる、という選択肢もある。

 だが、それだと俺がどうにもスッキリしない。


 日々の合間をぬってこっそり調べてはいるのだが、相変わらずひまりらしき行方不明者の情報はネットには出ていない。


 自分の子供が行方不明になっているのに、情報を公開しない親側に多少の不信感があるのは事実だ。

 まぁ、俺にそんなことを思う権利があるのかどうかはわからないが……。


「ひまりの家のこと……聞いてもいいだろうか? もちろん無理にとは言わないが」

「はい……。私もいつかお話しないといけないなと思っていたので……」


 ひまりは一度キュッと唇を噛んでから、再び口を開く。


「私の家は剣道の道場をやっているのは、前に言った通りですが――」


 そして静かに語り出すのだった。





        ※ ※ ※ 


「『――』ちゃん、今日遊べる?」


 それは小学校1年生の春の頃。

 1日の授業を終えてランドセルを背負った時に、突然クラスメイトがひまりに声をかけてきた。


「え……?」

「家に帰ったあと。ゆずちゃんとめいちゃんと一緒に遊ぶんだ。『――』ちゃんのおうち、同じ方向だからどうかなぁって」

「あ……う……」


 突然の遊びの誘いに、ひまりは口ごもってしまう。


『学校が終わったらすぐに帰ってきなさい。寄り道はしないように』


 ひまりの頭の中に、凜とした母親の声が響く。

 それは入学して間もなく言われたことだった。


 学校が終わったら速やかに帰宅。

 すぐにはかまに着替えて剣道の練習をするのが、幼稚園の時からひまりの日課だった。

 だからこの時、ひまりは遊びの誘いを断るのが当然だと考えた。


「わ、私、剣道の練習があるから……」

「剣道? 習い事?」

「えっと、私の家が道場をやってて……」

「へええええ! 『――』ちゃんの家ってすごいんだね。じゃあ明日は遊べる?」

「明日も無理かも……。練習は毎日あるから……」

「そっか……。じゃあ仕方ないね。バイバイ」


 クラスメイトの反応はあっさりとしたものだった。

 軽やかに教室を出て行く彼女を見ながら、ひまりはモヤモヤする。

 もっと粘って欲しかったわけではない。

 ただ、せっかく遊びに誘ってもらったのに断らざるをえない状況が心苦しかったのだ。


 そしてもう一つ。

『遊べないこと』に思った以上にがっかりしてしまった自分に、ひまりは少し戸惑っていた。






 家に帰り、手を洗っておやつを食べる。

 この日のおやつは、バニラ味のアイスクリームだった。

 量が多いし甘くて美味しいので、ひまりのお気に入りだ。


「あ、あのねお母さん。今日、クラスの子に一緒に遊ぼうって誘われたの……」


 ひまりはアイスを食べながら、夕食の仕込みをする母親に思い切って報告してみた。


「そう。でも『――』は練習があるから無理ね」


 母親はひまりの方を見ずに答える。

 その声は、先ほどのクラスメイト以上に素っ気なく聞こえた。


「……うん」


 せっかくの好物のアイスも、もう味がしなくなってしまった。


 ひまりはこの日初めて、遊びたいという気持ちと遊んではダメだという気持ちの狭間で葛藤した。






 それからは――いや、それからもひまりの生活は剣道漬けだった。


 時々遊びに誘ってもらったが、ひまりが毎回断っていると、いつの頃からか声をかけてもらうこともなくなった。

 クラスメイト達の中で、ひまりは『習い事で忙しい子』という認識になってしまったのだ。


 それからひまりは、結局一度も友達と遊ぶことなく小学校を卒業した。 



        ※ ※ ※ 


「…………」


 ひまりがそこまで話し終えると、元々静かだった部屋により重い沈黙が下りた。


 小学生の時に、一度も友達と遊ぶことが許されなかった――。


 想像以上に、その言葉は俺にとって衝撃的だった。

 そしておそらく、奏音にも。


「そ、そんなに重く受け取らないでください。中学生の時は3回くらいは遊びに行ったし……!」


 絶句する俺たちを気遣ってフォローしたつもりなのだろうが、さらにしんどい情報が追加されただけなのだが……。


「ひまり。明日ってバイトあるっけ?」


 奏音は最後の一口のカップアイスを頬張ったあと、おもむろに口を開いた。


「明日は休みだけど――」

「よし、なら私の学校が終わったら遊びに行こう。この前以上にめっちゃ遊ぼう。いいよねかず兄?」

「まぁ、あまり遅くなるなよ」

「だって。だから行こ?」


 真剣な顔で遊びに誘う奏音に、ひまりはしばし戸惑っていたのだが――。


「うん。行く!」


 ふわりとした笑顔で奏音に答えるのだった。


「それじゃあ、俺から特別にお小遣いを進呈だ」

「えっ、いいの!?」

「大人の財力を舐めるなよ?」


 本当は結構厳しいのだが、いざとなったら貯金専用にしている口座から引き出せば良いし。


「やった! ありがとうかず兄」

「駒村さん……。本当にありがとうございます」

「気にしなくて良いから。それより遅くなるんじゃないぞ」

「「はーい」」


 手を挙げて素直に返事をする二人を見て子供みたいだな……と思ってしまったが、みたいも何も二人ともまだ子供だった。


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