第63話 バイトとJK②

        ※ ※ ※ 


 多くの人が駅の中を行き交う夕暮れ時。

 駅を出たひまりは周囲をキョロキョロと見渡しながら、白い帽子をより深くかぶる。


 奏音の学校の文化祭の帰りで、『あの人』を見てから数日後。

 少しでも『あの人』に見つかる可能性を避けるために、この帽子を買った。

 特にお洒落は意識せずに購入したが、「かわいい!」と思いのほか奏音からの反応が良かったので嬉しい。


 ニヤけた顔を引き締め、ひまりはもう一度周囲を警戒してからバイト先に向かう。


 それにしても、『あの人』がこんな所まで自分を捜しにくるとは思ってもいなかった。それほど心配をかけてしまっているのだろう。


 帰る時期が来るまで家のことは極力考えないようにしていたのだが、さすがに胸が苦しくなった。

 両親のこと、そして――。


「ごめんね、美実さん……」


 歩きながら、ひまりはキュッと唇を噛んだ。






 店の裏口前でひまりは立ち止まり、深く深呼吸をする。

 高塔に告白されたあの日以降、ひまりは昼のシフトに入っていた。

 つまり今日は、久々に高塔と会う日というわけだ。


 どういう顔をして彼に会えば良いのだろう。

 態度は? 挨拶の時の声の調子は? 目線はどこにやれば?


 そんな細かな疑問が次々とひまりの頭の中に湧いてきて、胸に不安が溜まっていく。

 店に入るのが怖い。

 でも、このままここで突っ立っているわけにもいかない。

 早く着替えをしなければ遅れてしまう――。


 意を決してドアノブに手を掛けた、その時。

 突然ガチャリと音を立て、ドアが開いた。


「ひゃぅっ!?」

「あら、駒村さん!? ビックリしたぁ」

「店長……。お、お疲れさまです。私もビックリしちゃいました」


 ドアを開けたのは、ゴミ袋を手にした店長の中臣なかおみだった。

 ちょうどゴミ捨て場に置きに行くところだったのだろう。

 二人は顔を見合わせたまま「アハハ」「えへへ」とお互いに笑い合う。


 中臣のおかげで少し緊張がほぐれた。

 ひまりは肩をグルンと回してから、中臣と入れ替わるようにして中に入るのだった。






 メイド服に着替え、手洗いをしてから店内に入る。

 そして否が応でもひまりの視界に入ってくるのは、コンロの前で調理をしている高塔の姿だ。


 顔を合わせづらい。

 でも、今は仕事の時間だ。


(……よし!)


 ひまりは自分の頬を軽くパンと叩いてから歩き出す。

 店に入った瞬間から、自分は『マロン』なのだ。それを忘れてはいけない。


 ミートソースの良い匂いが鼻を通り抜けると同時に、高塔がひまりの方を一瞥いちべつしてから「おはよう」と挨拶をする。


「お、おはようございます。今日もよろしくお願いします!」


 それに対する高塔からの返事は、言葉ではなく小さな笑みだった。

 ひとまず、仕事は問題なくできそうだ。

 ひまりは安堵すると、他のメイドたちの所に向かった。






「お疲れさまですー」

「お疲れさまー」


 特にトラブルもなくバイトは終わった。

 和輝と同じくらいの背丈で眼鏡をかけた男性が来店した時はちょっとドキッとしてしまったが、当然本人ではない。

 似たような雰囲気の人って案外いるもんだなぁ……と考えながら、ひまりは控え室に戻る。


 メイド喫茶には、たくさんの男の人がやって来る。

 外に出ると、それこそもっとたくさんの男の人がいる。

 でも、すれ違う人たちに和輝と同じような気持ちを抱くことはまったくない。


 どういう基準で『好意』になるのだろうか――。


 世の中には一目惚れという言葉もある。

 漫画やドラマで度々見てきた。

 自分でもその題材で短い漫画を描いたことがある。

 でもひまり自身は、その気持ちは理解していなかった。


 確かに格好良いなと思う人とすれ違うこともあるが、あくまでそう思うだけで心がときめくまではいかない。

 一目見ただけで気持ちまで奪われてしまうというのは、どういう感覚なのだろうか――。


 メイド服を脱ぎながら考えるが、答えは出てこない。

 今こんなことを考えてしまうのは、やはり高塔の存在が大きかった。


 彼とは一緒にバイトをしていただけで、ひまりから特別なことは何もしていない。

 それなのに、告白されてしまったものだから――。




 今日は高塔も同じ時間にバイトを終えたので、更衣室から出ると彼の姿があった。

 中臣なかおみは今店内にいるらしく、控え室にはひまりと高塔の二人だけだ。

 忘れていた緊張が、また戻ってきてしまった。


「あの、駒村さん」

「は、はい」

「今日はどうする? その……」


 ひまりは高塔が何を言いたいのか、すぐに理解した。

 駅まで一緒に帰るかどうか? を聞いているのだと。


 それに対する答えはひまりはかなり前から決めており、頭の中で何度も練習していた。


「そ、それなんですが……。店長が対策をしてくれてからあの人も来ていないみたいだし、もう大丈夫です。本当に、ありがとうございました」

「…………そっか」


 丁寧に頭を下げるひまりを、高塔は少し寂しげに見つめる。

 ひまりの胸がキュッと痛くなった。

 同時に湧き上がってくるのは、とある疑問。


「あの……どうして、ですか?」

「ん、何が?」

「どうしてまだ、私に優しくしてくれるのかなって……」


 なにせ、ひまりは高塔を振ったのだ。しかも、あんなにハッキリと。

 避けられてもおかしくないのに。

 それどころか、冷たくされてもおかしくないのに。


 高塔は小さく苦笑してから頭を掻く。


「……好きだからだよ」


 その返答に、ひまりは思わず目を見開いてしまった。


「それじゃあお先に。気を付けて帰ってね」

「は、はい……」


 外に出ていく高塔を、ひまりは呆然と見つめることしかできなかった。


 高塔の言葉に「強いな」と感じてしまったのは、自分がまだまだ子供だからだろうか。

 仮に自分が高塔の立場だったら、普通に接するこができるだろうか?

 本人を前にして泣かずにいられるだろうか?


 とにかく、ひまりにはできないかもなと思ってしまった。

 そしてあることを考えてしまう。


(駒村さんにハッキリと断られたら私、どうなっちゃうんだろう……)


 想像しただけで胸が苦しい。

 それどころか、鼻の奥までツンとしてきた。

 こんな所で泣くわけにはいかないと、ひまりは慌てて頭をふるふると振ってから荷物を手に取るのだった。


        ※ ※ ※ 

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