第57話 メイド喫茶とJK②

「「「おかえりなさいませにゃん!」」」


 店内に入った瞬間、俺と奏音に向けてメイドたちが一斉に声を発する。


 ひまりの接客の練習に付き合ったので知ってはいたのだが、実際に超歓迎モードで出迎えられるとなかなか気恥ずかしいな……。


「こちらのお席へどうぞにゃん」


 入り口近くにいたメイドのお姉さんが、すかさず俺たちをテーブル席に案内してくれる。

 清潔そうな白いテーブル席に案内された俺たちは、勝手がわからないので借りてきた猫のようにおとなしく案内に従うのみ。


 とはいえ奏音は席に着いて早々、物珍しげにキョロキョロと店内を見回し始めた。


「ひまりはどこかな?」


 と呟いた直後。


「お、お、お水をお持ちしました……にゃん」


 やけに震えた声は、とても聞き覚えのあるもの。

 見上げると、他のメイド同様に猫耳と尻尾を付けたひまりが、水とおしぼりをトレイに乗せて持ってきていた。

 その胸には可愛い丸文字で書かれた『まろん』という名札が付いている。


 こういうメイド服を間近で見たのは初めてなのだが、これは確かに可愛いな。

 パニエと言うのだろうか?

 短めのスカートの下から、ボリュームのある白いフリフリがチラリと覗いている。

 白いニーソと相まっていかにもなコスプレ感を醸し出しているが、その雰囲気自体も可愛らしい。


 ――とつい眺めてしまったが、ひまりの顔はゆで蛸のように真っ赤に染まっていた。


「かわいー……」


 半ば呆けつつ奏音が感嘆の声を上げると、ひまりは「ど、どうもデス……」と一回り小さくなりながら答える。

 そしてぷるぷると震えながら水とおしぼりを置いた。


「ど、どうしてここに……?」


 他の従業員に聞こえないよう、小声で俺たちに疑問を投げかけるひまり。


「いや、文化祭でコスプレ喫茶をやるって言ったじゃん? 参考にしたいなぁと思って」

「そ、そうですか……」


 答えながら、生まれたての子鹿のようにぷるぷると震えるひまり。

 あまりの震え具合にちょっと可哀想になってきた。


「あの……他の人たちには、私たちが知り合いってことは、その――」

「大丈夫だ。普通の客として振る舞うから」


 俺が言うと、ひまりはホッと安心してメニューをテーブルに置いた。


「お願いします。それでは改めて――。お客様は初めてのご来店ですか? ……にゃん?」


 あ。やっぱり最初に「にゃん」を付けるのはまだ苦手なんだ。


「はい」

「うん」


 俺と奏音が返事をすると、ひまりはニッコリと笑顔になる。


「では、当店のシステムについてご説明させて頂きますにゃん。ちなみに私の名前は『まろん』と言います。よろしくですにゃん!」


 お、これは――。

 どうやら接客モードのスイッチが入ったみたいだな。


 完全に猫メイドに扮したひまりの説明を、俺と奏音は熱心に聴き入るのだった。






 ひまりから簡単なメニューの説明を聞き終えた俺たちは、どれを頼もうか真剣に悩んでいた。

 というのも、メニュー全般が思っていたより高かったのだ。


 メイドのサービス料も含められていると考えたらまぁ仕方ないな……と思うのだが、今日はそこまで散財する予定ではなかったので、正直に言うとちょっとつらい。


 そこで正面に座る奏音と目が合う。

 奏音も俺と同じことを思っていたらしく、その顔は「何を頼もう……」と困惑気味だ。


「好きな物を頼んでいいぞ」


 こういう時に見栄を張りたくなるのが、女子高生を前にした大人の男としての悲しいさがだ。俺だけかもしれんが。


「でも……本当に大丈夫?」

「大丈夫だから気にするな」


「そっか。じゃあメイドさんと一緒に写真が撮れる、このコースにする」


 奏音が指差したコースは、オムライスとサラダとドリンクがセットになっているコースだ。『オススメ!』と赤文字で主張されている。

 予想するまでもなく、ひまりと一緒に写真を撮りたいんだろう。


 俺は料金を黙視で確認。

 …………よし。俺はドリンクだけ注文しよう。

 飯は帰ってからカップラーメンだ。


 奏音にはあぁ言ったが、節約できるところはやっておかないとな……。






 俺と奏音の心配をよそに、ひまりはしっかりした様子でよく動いていた。

 他のお客さんに対して、実に堂々たる猫っぷり(?)で接している。


 奏音はひまりの動く様子をチラチラと確認しながらオムライスを頬張っていた。


「あ。これ美味しい。店内で作ってるのかな? 冷凍っぽくない」


 と小声で評するところは、長年料理と接してきたからこそだろう。

 俺は猫型に曲がった可愛いらしいストローで、ひたすらジンジャーエールを飲む作業に徹していたところ――。


 カシャッ、というカメラのシャッター音が鼓膜を打つ。

 気付いた時には、奏音がスマホを構えながらニマニマとしていた。

 いや、直前までオムライスを食べていたのに、カメラ出すの早すぎだろ。


「かず兄の仏頂面ぶっちょうづらとその可愛い猫ちゃんストロー、マジで合わない。ウケる」

「ほっといてくれ……」


 自分に似合っていないことぐらいわかっとるわ。

 でもそれを言ってしまうと、店内にいる男たち全員が似合ってない気がする。


 まぁ……これは触れてはいけないことだな。

 非日常の空間を楽しむために来ているわけだし。


 おそらく今後の人生で二度と使うことはないであろう猫型ストローを眺めつつ、俺は残りのジンジャーエールを飲み干した。






 メイド喫茶を後にした俺たちは、すっかり暗くなった夜の街を歩いていた。


「ひまり、可愛かったね」


 奏音はひまりと一緒に撮った写真を見ながらぽつりと呟く。

 写真には水色のペンで『ありがとう♡』と書かれていた。


 心なしか奏音が寂しそうに見える。ひまりが人気で他の客たちからの指名が続き、ほとんど俺たちのテーブルに寄らなかったせいだろうか。


「そうだな」

「それにすごくしっかり働いてて、家での姿とのギャップがあったよね」


 一生懸命に働くひまりは、普段のちょっと抜けた姿とは違い堂々としていて。

 正直に言うと、少し見直してしまった。


「私もバイトした方がいいかな……」


「奏音がしたいなら俺は止めないが――。理由が『金銭的理由で俺に申し訳ないから』というものだったらやめとけ」


 奏音は目を丸くして俺を見つめる。

 どうやらその通りだったらしい。


「金のことは気にするな」


 やはりそれは気にして欲しくなかった。

 奏音に満足な生活環境を提供できているのか――と自信満々で首を縦に振れないのは事実だが、その穴埋めを奏音がやる必要はないと思っている。


 そもそも、奏音が買い物や料理をしてくれるだけで俺は十分すぎるほど助かっているわけだし。


「うん…………わかった」


 奏音は感情の読めない声で答えると交差点で立ち止まる。

 俺もその横に並んだ。


 改めて隣に並ぶと、奏音の小ささがよくわかる。

 でもこの小ささで、俺よりもずっとしっかりしているんだよな――。


「あ。見てかず兄」

「ん?」


 先ほどの返事とはまったく違うテンションで話しかけられた。

 奏音は葉の多い街路樹の一角を指差す。


 そこには白い糸にくるまれた、縦に細長いフォルムの物体が植木の枝にくっついていた。


「これは……蝶のさなぎか?」

「だよね。私初めて見たかもしんない。こんな所にいるもんなんだね。目の前は道路なのに」


「確かに、よく生き延びてきたな」

「蝶になるのも大変だねこりゃ」


 歩道に街路樹が点在しているとはいえ、人間目線でもここらは蝶が生きるには厳しすぎる環境に見えてしまう。

 それでも、こいつは今日まで生き延びてきた。


 そこで信号が替わり、俺たちは人の流れに沿って歩き出す。


 不意にひまりの爪に貼られた、蝶のシールがフッと脳内に浮かんだ。


 そうだな……。

 俺が勝手な期待を抱かなくても、ひまりならきっと――。


「かず兄? どしたの?」


 少し歩くのが遅くなった俺に奏音が振り返る。


「いや、何でもない。すまん」

「そう? ならいいけど。さっきの蛹を観察したいから持って帰るとか言いだしたら、どうしようかと思ったよ」


「そんな小学生みたいなことはしないっての!」


 大人になってから、なぜか虫全般が苦手になってしまったし。

 小学生の時はセミやカマキリを素手で持っていたのが今では信じられん――と、こんなところで自分の『大人』な変化を感じるのだった。

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