第54話 給料とJK

『擬人化ねこカフェ・もふもふ』に、今日も明るい声が響く。


「いってらっしゃいませ、にゃん!」


 店の入り口に立ち、笑顔で客を見送るひまり。


 平日の昼下がりとあって、今の人で店内にいる客はゼロになった。

 入口から外を見てみるが、今日は天気が良くないせいか人通りも少ない。


 ひまりはテーブルの片付けに入る。

 その所作もすっかり慣れたものだ。


 高塔に告白されて以降、幸か不幸か、ひまりがバイトに入る時間は昼に集中していた。

 彼は大学生なので、夜メインのシフトなのだ。

 そのおかげで、ひまりはあの日以降、高塔と顔を合わせていない。


 とはいえ、他のバイトの人にそのことが知られていないかと少しビクビクしていた。


 テーブルを拭き、流しでテーブルクロスを洗いながら考える。


 いっそのこと脈もなさそうで立場的にも難しい駒村を見続けるより、年齢も近い高塔と付き合った方が良いのだろうか。

 彼のことは決して嫌いではない。

 良い人だとも思う。


(でも、私はここにお金を稼ぎに来ただけで、恋愛をしに来たわけじゃないし――)


 何より、それは高塔にも失礼だと思う。


 と考えてから、それは駒村に対しても同じことだと気付いた。

 別に恋愛をするために家出してきたわけではない――。


(私が、今ここにいる理由――)


 明確すぎるほど明確だ。

 先日、駒村と奏音に宣言したではないか。


 必要なお金を貯めてから、両親と向き合ってみると。

 ここにいる期限も決めている。


 でも、胸の内から湧いてくる自分の感情に嘘もつけないわけで。


 キュッとなる胸を誤魔化すかのように、ひまりは力を入れてクロスを絞り店内を見回す。


 ようやく慣れてきたアルバイトだが、既にやめることを考えてしまっていることが、少し後ろめたかった。






「駒村さぁん」


 バイトのシフトが終わり、控室に戻ろうとしたひまりを、野太い声が呼び止める。


「はい――。あ、店長」


 振り返ると、店長がニコニコしながらおいでおいでと手招きしていた。


『擬人化ねこカフェ・もふもふ』は見目麗しい女性、中身も誰よりも乙女、でも戸籍上の性別は男性である店長、中臣なかおみが経営している店だ。

 コンセプトから店の内装まで、彼女(?)の趣味を全開にしたのがこの店なのだ。


 他の店の経営もしていて忙しいらしく、なおかつひまりがシフトに入った時間に店にいないことが多いので、会ったのは面接の時を除けば数回しかない。

 コスプレが相当好きなオタクらしい――と他のメイドたちからは聞いている。


 初めて会った時は見た目と声のギャップに驚いたものだが、数回目である今もあまり慣れない。


 ひまりは素直に中臣なかおみの前に行く。


「はい、駒村さん。お疲れさまぁ」


 と、彼女は茶色の封筒をひまりに手渡した。


 すぐにそれが何かわかったひまりは、目を丸くした後中臣を見つめ――。


「あ……そうか、今日は――。あ、ありがとうございます!」


 ひまりは封筒を大事に握り、深々と礼をした。


「ひまりちゃんは振込みじゃなくて手渡し希望って最初に聞いたから、私も張り切ってお金を袋に詰めたんだゾ。それにしても、ふふっ。やっぱりひまりちゃんは反応が素直で可愛いわぁ」


 頬に手を当て、嬉しそうに笑う中臣。

 バイト未経験なひまりが採用されたのも、彼女に気に入られたからだろうな、というのは何となく察している。


「ど、どうもです」


「大切に使うんだぞ。初めてのお・ち・ん・ぎ・ん☆」

「はい!」


 謎のウインクを残し、中臣は去っていく。


 キャラは強烈だが、以前のストーカーの件ですぐに対策をしてくれたのでとても良い人である――とひまりは認識している。


 ひまりは控室に戻りながら封筒を見つめる。


 お小遣いでもお年玉でもない。

 生まれて初めて、自分で稼いだお金。


 バイトを始めてから、お金を稼ぐことの大変さを知ることができたのは良かったとひまりは思う。


 駒村は微塵も顔色に出していないが、ひまりに色々と買ってくれたことが、いかに彼にとって大変なことだったかを理解した。


 同時に、両親の顔も脳内に浮かぶ――。


「………………」


 お金の入った封筒をギュッと握るひまりの眉間には、皺が数本寄っていた。






        ※ ※ ※ 


 夕方。

 やたらと上機嫌な磯部からの飲みの誘いを断り、俺はすぐに会社を出て――。

 そしてすぐに立ち止まる。


「友梨……」


 植え込みのすぐ側で、あの日以降、接触がなかった友梨が待っていた。

 俺は途端に困惑する。

 どう返事をすればいいのか、未だに決心することができていなかったからだ。

 ただ――。


「かずき君、ごめんなさい」

「――――え?」


 俺が反応を返すより早く、いきなり友梨は頭を深く下げた。

 本当にいきなりだったので、俺の思考は付いていかない。


「え……えっと……?」

「その、この間のこと……」


 この間のこと――つまり告白のことだろう。

 だが、それについていきなり謝罪してくるとは、一体どういう意味なのか。

 まさか「やっぱりやめとく」ということなのか? 俺、告白されたのに振られたってことになるのか?

 頭の中が疑問でいっぱいになる俺に向けて、友梨は目を伏せながら続けた。


「かずき君の今の状況のこと、考えずに言ってしまって……。奏音ちゃんとひまりちゃんのことがあるのに、私のことなんて考える余地がないよなって、家に帰ってから気付いたんだ……。だから、ごめんなさい」


「あ、あぁ…………」


 それは友梨の言った通りだった。今はあの二人のことで手一杯だ。


 友梨に告白される前から――普通に仕事をしている時も、奏音とひまりのことがどうしても浮かんでしまっている状態が続いている。

 今の俺は二人のことで気持ちに余裕がないというのは、確実に事実である。


「だからね……。やっぱり私が言ったことは、なかったことに――」

「それはできない」

「――――え?」


 俺の返答に、今度は友梨が目を丸くした。

 確かに俺は友梨の告白に驚き、戸惑い、そして返答に困っている。

 けれど。


「なかったことにはできない。いや、しない。友梨がどれほど勇気を振り絞って言ってくれたのか……それだけはわかっているつもりだ。幼馴染み……だし」


 知り合ってからおよそ二十年。

 彼女の性格や行動パターンから考えるに、『告白』というものが友梨にとって簡単でないものということは知っている。


『好き』というたった二文字で、俺たちの関係が大きく変わるかもしれないという恐怖を抱えながら、それでも友梨は言ってくれたんだ。


「だから、返事は待っててくれないか。かなり遅くなるかもしれないけど」

「かずき君……」


 友梨は目の端に涙を浮かべて微笑する。


「それはちょっとズルい……ズルいよ。そんな答え方されたら、益々好きになっちゃうじゃない」

「う……えっと……」

「ふふ、冗談だよ。でも、うん。わかった。私、二人のことが解決するまで待ってる。たとえどういう答えになっても――待ってるから」


 友梨はそう言うと、軽く手を振ってから俺に背を向ける。

 俺はしばらくの間その場に立ち尽くし、友梨の後ろ姿を見つめることしかできなかった。

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