第52話 不安とJK

 昼休み――。


 食堂で昼食を食べ終えた俺は、非常階段の踊り場に一人移動する。

 電話をかけるためだ。

 ここは静かだし、滅多に人も通らない。


 昼休みの賑やかな空気とは一変、埃の動きまで察知できてしまいそうな静けさが広がっていた。


 俺は少し緊張しながら、スマホの連絡帳の中から親父の電話番号を見つけ、タップする。

 親父も働いているが、たぶん今は昼休みのはずだ。


 数回の発信音の後、『おう、どうした』と名乗らないまま親父が電話に出た。


「突然ごめん。叔母さんのことで何かわかったことはあったかなと気になって――」


『うーむ……』


 親父は一瞬唸ってから、


『捜索願は出してあるんだがな、今のところ特に目立った進展はない』

「そうか……」


『それに捜索願を出したからといって、警察も特に見つけてくれるわけじゃないみたいなんだ』

「え、そうなのか?」


 少なからずショックな情報だった。


『ああ。未成年や老人とか、一人で暮らしていくには困るだろう――という人は捜索してくれることもあるらしいけどな。自立している大人が自らの意思で出て行った場合は、事件性がない限り熱心に捜索されないらしい』


「確かに、警察も家出した大人を捜す時間はなさそうだよな……」


 捜索願も結構な数でありそうだし、そこまで業務に手が回らないというのが実情だろう。


『そして仮に見つけてもだ、家に戻す強制力は警察にはないんだと』

「…………」


 つまり叔母さんが自らの意思で家に戻る決意をしない限り、帰って来ないと――。


『まぁ、仮に見つけたら、どこにいたのか一応こっちに連絡はくれるらしい』

「そうか……。うん、わかった」


 限りなく望みは低そうだな……。


『……奏音ちゃんの様子はどうだ?』

「今のところ元気にやってるよ」

『そうか……』


 そこで数秒沈黙が続く。


 奏音の様子に対しては、本当にそれ以上言えなかった。

 ひまりがいるおかげで落ち込みすぎていないというのが実情だろうが――やはりひまりのことは親父にも言うわけにはいかない。


『とはいえ、平気であるはずがないだろうしな……。和輝、すまんがもう少し頼む』

「うん、俺は大丈夫だから」


『休憩時間が終わるから切るぞ』

「俺もそろそろ戻らないと。ありがとう」


 電話を切ってから、俺は深く息を吐く。


『もう少し』が一体どれほどの期間になるかはわからないが――。

 最低でも、奏音が高校生の間は家に置いておく決心はついた。


 そこでふと思う。

 ひまりの両親は――彼女を本気で見つける気があるのだろうか、と。


 念のためニュースなどは欠かさずチェックしているのだが、『高校生の少女が行方不明』というものはまだ見ていない。






 夕方の帰宅ラッシュの電車を乗り継ぎ、奏音の地元の駅に着く。

 一つ前の駅で大量の人が降りたので、この駅で降りる人はかなりまばらだった。


 駅前で待ち合わせだったはずだが、奏音の姿が見当たらない。


 スマホを取り出して奏音に電話をしようとしたところで、「かず兄!」と後ろから奏音に呼ばれた。


「ごめんごめん。ちょっと喉乾いちゃってさ。コンビニでジュース買ってたの。かず兄のもあるよ」


 奏音は持っていたペットボトルを俺に渡してくる。

 一見水かと思ったが、よく見ると桃のジュースだった。


 ジュースとか、長いこと飲んでいないな。

 家で飲むのは発泡酒ばかりだし。


「じゃあ遠慮なく貰っておこう。行こうか」

「うん」


 ペットボトルの蓋を開けながら歩き出す。

 一口飲むと、爽やかだが後を引く甘さが口内に残る。


 久々に飲むと凄く甘いな。

 だが、仕事疲れにはちょうど良いかもしれない。


 奏音も歩き始めにグイッとジュースを飲んだ。


「ぷはぁ~~~~。冷たいっ」


 飲み屋のおっさんみたいな反応をした後、奏音はもう一口飲んでからとある方向を見つめる。

 それは奏音の家がある方角だ。


「うん……冷たいね」


 果たしてそれは、ジュースに向けられた言葉だったのだろうか。


 少し憂いを帯びた奏音の横顔は、夕日に照らされてやけに綺麗に見えた。






 奏音のアパートに着いた。

 一度来たことがあるからか、今回は前より早く着いたように感じた。


 奏音はポストに溜まっていたチラシや封書を一気にガサッと取った後、慣れた手付きで鞄から鍵を取り出し、玄関を開ける。


「うーん。やっぱり畳の匂いがきつい」


 玄関を開けて早々、鼻に通り抜けるイグサの匂い。


「住んでる時はこんなに匂ってなかった気がするんだけどなー。気が付かなかっただけなのかな」

「人が生活してない、てのもあるんじゃないか?」


「あー、なるほど……。確かに料理とか洗濯とか、生活してたら何かと匂いは発生してるもんね。そっか。誰もいないからか……」


 靴を脱いで家に上がった奏音は、すぐに電灯を付けて奥の畳の部屋に行く。

 窓を開ける音がした後、また台所に戻ってきた。

 換気しに行ったらしい。


 奏音は雑に持っていたチラシや手紙を一枚ずつ確認して、重要な封書がないか確認。

 ほどなくして、チラシ類はまとめてゴミ箱に捨てた。


 残ったのは叔母さん宛ての『健康診断のお知らせ』と書かれたハガキだけだ。


 奏音はそのハガキの上に、文化祭のチケットを重ねて置いてからスマホで写真を撮る。

 叔母さんに送るためだろう。


「送信……っと。これでわかるでしょ」


 早速送信したらしい。

 これを読んで戻ってきてくれたら良いんだが。


「これで用は終わりなんだけど……って、ちょっと待って。服を持って行きたいから!」


 奏音はそう言うと畳の部屋に行く。

 特にすることもない俺はただ待つしかない。


 しかし、スマホで連絡か――。


 なぜかそこで友梨の顔が浮かんでしまった。

 今さらだが、連絡先を交換していないことに気付いたのだ。


 高校生の時に携帯電話の番号は交換したのだが、お互いにかけたことは一度もなかった。


 俺が持っているスマホは、あの時持っていた携帯とは番号が違う。

 一度落として完全交換したから。


 今、友梨と簡単に繋がる手段がなくて安堵している自分がいた。

 答えがまだ、見つかっていないから。 






 奏音の家を出る頃には既に日が沈み、空はすっかり群青色になっていた。


「ご飯を買って帰るか」

「うん。ひまりが待ってるもんね」


 家を出てから、奏音の歩き方が少しだけ弾んでいるような気がする。


 初めて俺の前で泣いた前回の時より、少しだけ状況が前進したからかもしれない。

 少なくとも、叔母さんは奏音のメッセージを読んでいる。


「あのさ、かず兄」

「ん?」


「あ、えーと、その……」


 奏音は急にモジモジとし始めた。

 

「どうした? トイレか? そういえば家で行ってなかったよな」

「なっ――!? 違うし! かず兄、ほんっとそういうとこはデリカシーないよね!?」


「す、すまん」

「もう……。せっかく謝ろうと思ってたのに、気が変わるじゃん」


「謝る? 俺は別に奏音に謝ってもらうようなことはされてないけど」

「んーと…………初日のこと……」


 途端にテンションが落ちた奏音は、申し訳なさそうに上目遣いで見上げてくる。


「何か私、態度悪かったじゃん……?」


「あの時はまぁ……。そもそも男と暮らしたことがなかったからって、自分で言ってただろ」

「そうだけどさ……」


 歩きながら奏音は少し落ち込む。

 まさか今頃それについて言われるとは。そもそも気にしてたとは思ってもいなかった。


「別に俺は気にしてないから。で、今は多少は大丈夫になったか?」

「うん。他の男の人はまだわかんないけど――かず兄だけは平気だよ!」


 満面の笑みが街灯に照らされる。


「そ、そうか……」


 あまりにもストレートに言うものだから、こっちもちょっと照れてしまった。

 とはいえ、嫌な気分ではない。


「うし! 早く帰ろ!」


 奏音も少し照れてしまったのだろうか。いきなり走り出してしまった。

 その走り方はあまりにもかろやかで、『高校生』という若さを実感してしまう。


「おい。仕事帰りの運動不足の大人を走らせるなよ!」


 俺は慌てて奏音の後を追うのだった。

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