第51話 連絡とJK

「あ、おかえりかず兄」

「おかえりなさい」


 帰宅した俺に声を掛けてくれた二人に、しかし俺は返事をすることができなかった。


「これ、友梨から」


 貰った紙袋をテーブルに置くと、二人の目が輝く。


「あ、友梨さんに会ったんですね」

「中身は何だろー」

「マフィンて言ってたな」

「今日のデザートにしよう!」


 奏音は目を輝かせながらマフィンが入った箱を取り出す。


「ん、待って。下にも何かあるよ」

「え?」


 二人は早速興味津々に紙袋から白い箱を取り出す。


「これは――タオル?」

「バスタオルだね。かわいー!」


 クルリと丸まった色違いのバスタオルが3枚、箱の中に並んでいた。

 小さな羊の絵がたくさんプリントされている。


 確かにこういう生活用品はありがたい。

 二人と暮らし始めてから、タオルの使用枚数も増えたしな。


「色が違うから専用にできるね。かず兄は青でいい?」

「ああ」


「ひまりは?」

「私はベージュでお願いします」


「じゃあ私はピンクか。んじゃ、明日からお風呂上がりはこれで」

「今日のお風呂上がりから早速使いたいな」


 タオルを頬に当て、ふわふわを堪能しながら言うひまり。


「コラコラ。新品は一度洗ってからじゃないと」

「そういうものなの?」


「そういうものなの。でないと吸水性悪いよ」

「そうなんだ……」


 きょとんとするひまりに頷きながら答える奏音。

 こういうところで奏音の生活力の高さを感じてしまう。


「てわけで、明日の洗濯の時によろしくね。柔軟剤は入れなくていいよ」

「うん、わかった」


 二人の会話を聞きながら俺は洗面所に向かう。


「すまん、先に風呂入っていいか? ちょっと今日は疲れた」

「あ、うん。わかった……」


 奏音は面食らった顔で答える。


 いつもと違う雰囲気が出てしまっているかもしれない。

 でもそれを取り繕う余裕がないので、俺は黙って洗面所の扉を閉めた。






「はぁ……」


 湯船の中に浸かりながら、俺は濡れた手で何度も顔を擦る。


 友梨と別れてから、頭も心もずっと落ち着かない。


 俺は人の気持ちに鈍感な方ではない――と思っていた。


 事実、奏音とひまりが俺に抱く感情は察している。


 でも、まさか友梨までとは――。


 そこで思い出す。昔、手を繋いだ時のことを――。

 確かにあれは好意ゆえの行動だったのかな? とは思う。


 でも俺は、20年経った今も友梨がそのように思ってくれているとは気が付かなくて――。


 ……気が付かなかった……?


 ふと自分の思考に違和感を覚える。


「いや、違うな……」


 本当はわかっていたのかもしれない。

 でも無意識に気付かないようにしていた。

 心にフィルターをかけていた。


 きっと『幼馴染み』という言葉にくるまれた安心感を、盲目的に信じていたのだ。


 突然訪れた自分のモテ期に嬉しく思う反面、単純に喜べない自分がいる。


 友梨に対して俺はこれからどう返事をすればいいのか――本当にわからない。


「だって……20年だぞ」


 四六時中一緒にいたわけではない。

 距離ができた時期もある。


 そういう意識をした時期も――昔は確かにあった。


 でも、今さら――。


 俺にとって友梨は、もう家族のような存在になってしまって――。


 時間というのは残酷だ。

 昔確かに抱いていた感情は、既に変質してしまった。


『かずき君がどれだけ頑張っていたか、本気だったのか――私は知ってる』


『ずっと、見てたから』


 友梨の声が頭の中で再生される。


 この言葉は素直に嬉しかった。

 でも――。


 これから俺は友梨にどう接すればいいのだろう。


 しばらく湯船の中で考えたが、結局答えは出てこなかった。






 風呂から上がると、テーブルの上には既に夕食が並んでいた。

 今日は肉と野菜の炒め物と、中華スープとサラダ。


「遅かったね。ちょっと寝てた?」

「あぁ、まぁ……」


 時計を見ると、どうやら俺は風呂に40分は入っていたらしい。

 どうりで少しのぼせ気味なわけだ。


「お疲れみたいですね……。今日は早く寝てくださいね」

「ありがとう。そうするよ」


 席に着いて箸を手に取ったところで、「あの……」と奏音が何やら言いたそうにこっちを見てきた。


「どうした?」

「疲れてるかず兄に言うのもちょっと気が引けるんだけど――」


 奏音はおずおずとスマホの画面を俺に見せてきた。


 画面に表示されているのは、SNSのメッセージのやり取り。

 ただし、奏音の方から一方的に送っているだけだ。


 その相手の名前欄には『お母さん』と表示されている。


 どうやら奏音は、毎日一言ずつ叔母さんにメッセージを送っていたらしい。


 ただしどこにいるのか? というものではなく、今日は学校で何をしたとか、何を食べたとか、画面に表示されているのはそのような些細なことばかりだ。


「実はね、昨日まで全然既読付いてなかったんだけど……今日見たら既読が付いてた」


 俺は目を丸くした後、もう一度画面をよく見る。

 確かにどのメッセージにも『既読』の文字が付いていた。


「電話は相変わらず出ないんだけどさ……。かず兄、明日ちょっと家を覗きに行っていいかな? 置いておきたい物があるから」

「置いておきたい物?」


「うん。文化祭のチケット」


 部屋の空気が一瞬固まる。


「去年も渡したんだけど仕事で来れなかったんだよね。でもさ、ほら。今回は仕事……じゃないはずだし? だから、もしかしてと思って」


 あくまで淡々とした態度を崩さない奏音だが、その言葉にどれほどの希望が込められているのか――俺も、そしておそらくひまりも察してしまった。


「ああ、わかった。そういうことなら俺も一緒に行こう」

「いいの?」


 俺はコクリと頷く。


「会社が終わってからになるけどな。駅で待合せでいいか?」

「うん、それでいい。……ありがと」


 奏音は安堵したように小さく笑ってから、今度は申し訳なさそうにひまりを見た。


「ごめんひまり。明日、ちょっと晩ご飯遅くなるかも」

「私は大丈夫だよ。気にしないで行ってきて」


 そういうわけで、再び奏音の家に行くことが決まったのだった。

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